連載
#25 宇宙天文トリビア
彗星を撮りたい!2回も飛行機を飛ばしたのに…1年ごしの撮影計画は
「飛行機を2回も飛ばして成果ゼロか……」。帰りの機内は、お通夜のようでした。世紀の大彗星といわれる「紫金山・アトラス彗星」を雲の上からバッチリ撮影し、社内外に見せつけようと思っていたのに、彗星の姿すら確認できなかったのです。1年ごしに撮影計画を立ててきた、その結果は……。(朝日新聞デジタル企画報道部・東山正宜)
紫金山・アトラス彗星の接近は、2024年最大の天文イベントの一つです。前年の初めに発見されたときから、肉眼で見えるくらい明るくなるのではないかと期待され、熱心な天文ファンには南半球に遠征する人も現れました。
YouTubeチャンネル「朝日新聞宇宙部」を運営する筆者は、「その彗星を、国内でいち早く撮影して、ドカーンと紙面やデジタルに載っけたい」と考えていました。
ベストタイミングは、彗星が太陽に最も接近する9月末だろうと踏み、1年ごしで撮影計画を練ってきました。
撮影地点はどこがいいか。グーグルアースとにらめっこして候補地を探し、休日には息子とドライブがてらレンタカーを走らせ、房総半島や静岡県をロケハンして回りました。
しかし、日本はなんだかんだ都市の明かりが強いし、地平線近くまですっきり晴れるチャンスはめったにありません。
水平線までの視界が確保できて、天候に左右されず、確実に撮影するにはーー。
私は、映像報道部(いわゆる写真部)のエバラフォトグラファーに相談しました。
エバラさんは、天体写真に関心を持ってくれている一人です。珍しい天文現象があるたび、2人でああでもないこうでもないと作戦を練り、朝日新聞紙面やデジタル、YouTube向けの写真や動画を撮影してきました。エバラさんは今年5月には北海道でオーロラの撮影に成功しています。
2人で出した結論は、朝日新聞が保有しているビジネスジェット「あすか」で上空から撮ろうというものでした。雲の上まで出てしまえば、秋雨前線も台風も関係ありません。
「あすか」は、撮影用のガラス窓がある特別仕様のジェット機です。他社にも、飛行中に窓を開けられるジェット機がありますが、もちろん低高度でしか開けられません。「あすか」は、高高度でクリアな写真を撮れるほとんど唯一のジェット機です。
さっそく航空部に打診してみると、乗り気になってくれました。彗星が見える9月末から10月に機体の定期点検を入れないようにしてもらった上で、今年4月、私は彗星の専門家として知られる国立天文台の渡部潤一・上席教授にメールをしました。
「うちの社機に乗って、上空から彗星を解説して頂けませんか」
渡部先生も、すぐに快諾してくれました。
その後、彗星がなかなか明るくならなかったり、アメリカの専門家が「紫金山・アトラス彗星はすでに崩壊が始まっている」という縁起でもない論文を発表したりしたのですが、彗星は順調に明るくなり、撮影時日時は9月27日の未明と決まりました。
この時期、彗星は夜明け前の東の空で午前4時ごろに見えます。そこで、我々は、三陸海岸沖の太平洋上で彗星を捉えることにしました。逆算すると、撮影チームは、羽田空港にある朝日新聞の格納庫に午前1時集合、2時半ごろ離陸となります。
深夜とあって、みんなテンションは高め。「あすか」は羽田空港のD滑走路から飛び立ち、上空1万2000mを目指します。
雲の上に出ると、上空にはオリオン座がぎらぎらと光っています。さすがエベレストよりも宇宙に近い世界。この高度までは、大型の民間機でもなかなか来ることはありません。
ところが、もうすぐ撮影ポイントというところで、パイロットと整備士がなにやら慌ただしくチェックや確認を始めました。なんと、計器の一部が故障して、うまく動いていないようなのです。
しばらくして、機長から「このままだと、いざというときにオートパイロットが効きません。安全のため、すぐに帰投することにします」とアナウンスが流れました。
なんてこった。
とにかく彗星を写せないか、シャッターを切りましたが、機体はすぐに雲の中に入ってしまいました。
でもまあ、安全は第一なので仕方がありません。
着陸して朝6時くらいに解散。ふて寝をして、エバラさんから電話があったのは翌日の夕方でした。
「計器の在庫があって、もう直ったみたい。明日飛べる?」「明日って、6時間後のこと?」「いや、明日の夜。1日と6時間後」「いいよー」「じゃ、調整してみるわ」
ありがたいことに、渡部先生もふたたび乗って頂けることになって、改めて30日未明の飛行が設定されました。
急な日程調整だったため、事前申請の関係で今回は8000mまでしか上がれませんが、彗星を撮るには十分なはずです。
地上付近は相変わらず悪天候でしたが、雲の上に出ると機体も安定し、東の空に月齢27の細い月が浮かんでいるのが見えました。うまく撮れるか。緊張しておなかが痛くなりそうです。
もうすぐ撮影開始というところで、月が雲におおわれ始めました。どうやら、高層の雲が漂っているみたいです。いやな予感がします。
機長が「この先に高い雲がありそうです。引き返して、さっきの場所から撮りますか?」と聞いてきました。引き返すと5分はロスします。一方、引き返さずにこのまま突っ込むと、雲に入って撮れないかもしれません。
東の空はすでに明るくなっていて、悩んでいる時間はありません。
「……引き返しましょう!」
結論から言うと、この判断はいまいちでした。その5分間で空はさらに明るくなり、彗星を見つけるのは極めて難しくなってしまったからです。
私は双眼鏡で東の空を探しながら、エバラさんに、とにかくシャッターを切りまくるように要請しました。
渡部先生も、やはり双眼鏡で探していますが、東の空には高層の雲がまだ残っていて、なかなか見つかりません。
「これはなかなか厳しいなあ」「こんなに難しいもんですかねえ?」
事前に、南半球や、ハワイ・マウナケア山頂に朝日新聞宇宙部が設置している星空カメラでは長い尾が観察できていたのです。余裕だと思っていましたが、目の前には夜明けの空が広がっているだけに見えます。
その時、私の双眼鏡の視界に、ぼうっとした光の点が入ってきました。位置は予想通りの場所ですが、かんじんの尾は、あるような、ないような……。紫金山・アトラス彗星なのか、確信が持てません。
「これかなあ。あの、ひょろっと延びている雲のすぐ上」とエバラさんや渡部先生に伝えましたが、2人はそれでも見つけられないようです。
そうこうしているうちに、夜明けはますます進み、もう、見えている天体は月だけになりました。ゲームセットです。
私は機長に「ありがとうございました。帰投しましょう」と伝えました。
「こんなに見えにくいもんですか」「かなり難しいなあ」「思ったより雲がありましたねえ」「記事をどうするか、検討し直します……」。機内はまるでお通夜です。
1回目は故障とは言え、2回も飛行機を飛ばして成果ゼロとは、仙石秀久が大敗した「戸次川の戦い」に並ぶ大失態と言えます。
だからといって減給になることはありませんが、これから空撮の提案が通りにくくなっちゃうかも……と絶望しました。
着陸後、私とエバラさんは撮影データをコピーして、それぞれがパソコンのモニターで確認することにしました。
私はいったん帰宅してパソコンにデータを移し、ディスプレーに写真を表示させました。チェックしていくと、1千枚ほど撮影したデータの20枚目くらいに、夜明けの空に尾をなびかせる彗星の姿が写っていました。
写っていたのは最初の方だけで、後半はもう夜明けが明るすぎて写っていませんでした。やはり、最も早いタイミングで見られたかどうかだったわけです。
ほっと胸をなで下ろして、「写ってました!」と全員にメールを流すと、エバラさんから電話がかかってきました。
「動画にも映ってる!! 撮れてる。よかった、よかったぁ~」。フォトグラファーにとって、撮れているかいないかのプレッシャーは記者の比ではないんですね。
彗星の写真は、その日の夕刊社会面を大きく飾りました。あ~、よかった。2人とも胸をなでおろしました。
現在は、SNSなどでスマホでの撮影投稿も相次いでいる紫金山・アトラス彗星。今月いっぱい、日没後の西の空で観察できます。
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