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HKT48松岡はなさん、心の支えはドラ2の絆 卒業決意の理由は
福岡を拠点に活動するアイドルグループHKT48の松岡はなさん(24)が9月28日、福岡市で卒業コンサートを行います。10年前に期間限定の「バイトAKB」で活動を始め、その後、HKT48に加入。自身が初センターを務めた代表曲「最高かよ」は、ライブでファンもメンバーも一体となって盛り上がる定番曲になっています。9月11日に発売されたHKT48の最新シングルが最後の選抜メンバーとしての活動となる松岡さんに、歩みを振り返ってもらいました。
8月3日、炎天下の東京・お台場。国内最大級のアイドルフェス「TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)」のステージにHKT48のメンバーが立ちました。お披露目から3カ月しかたっていない7期生2人を含む16人は、約30分間、途中トークや自己紹介を交えず、一気に8曲を披露しました。
終盤に入ると、松岡さんの卒業を意識した構成に。7曲目「君とどこかへ行きたい」を、「ドラフト2期生」の同期として活動してきた今村麻莉愛(まりあ)さん(21)とWセンターで披露。
新たな世界への旅立ちを歌った歌詞、センターの2人が舞台袖からそれぞれ中央に向かって互いに歩み寄る振り付け。松岡さんは少し目をうるませました。
「麻莉愛ちゃんと目が合って、なんか悲しくなりました」と松岡さんは振り返ります。
ラストは「最高かよ」。加入2年目で初センターに抜擢された思い入れのある曲。イントロで「あー よっしゃ行くぞ~、タイガー、ファイヤー、サイバー、ファイバー」という「MIX」を会場もメンバーもいっしょに叫び、盛り上がりは最高潮を迎えます。
曲の終盤、松岡さんは「ありがとうございました。ファンのみなさんも、メンバーも大好きです」と感謝を口にしました。
「HKT48のメンバーもファンも大切にしているTIFのステージ。関東で多くのアイドルファンを前にパフォーマンスできる大切な機会です。そこで、ファンのみなさんがすごく楽しそうに、でも泣いている方もいるのが見えて、私も泣きそうでした」
ステージを降りると、全身にかいた大量の汗とともに、達成感に包まれたそうです。
会場には両親も見に来ていました。
小学生のころからヒップホップなどのダンスを習っていた松岡さんは、2014年、期間限定でAKB48の活動にアルバイトとして参加できる「バイトAKB」に、本人が知らないうちに母親が応募したことが、アイドルになったきっかけでした。
続いて、第2回AKB48グループドラフト会議(2015年5月開催)に応募、指名によりHKT48での活動が始まります。
「バイトAKBが終わった段階で、私はいいかなと思ったんですが、母親が『もったいないから受けたら』と言ってくれて、ドラフトに応募しました」
「自分は、こうしたいというより、周りに言われたらそれを頑張るタイプ」と自己分析する松岡さんですが、加入当時中学3年生、はじける笑顔とキラキラした輝き、高いダンススキルなどでで、またたく間に、人気メンバーになっていきます。
初のセンター曲「最高かよ」が発売されたのは、加入からわずか1年3カ月後の2016年9月でした。その年にはAKB48のシングル表題曲の選抜メンバーにも選ばれます。
「とにかく1日がどんどん過ぎていったので、記憶がないんです。ただ、まだ自分が人気か人気じゃないかもあんまり分からないぐらいの時に、どんどん前に出させていただいていたので、いいのかなっていう風に思っていました」
初センターについてはこう回想します。
「前に人がいない。隣がさっしー(指原莉乃)さんとか、さくちゃん(現在は韓国の5人組グループ「LE SSERAFIM」で活動する宮脇咲良さん)とかだったので、はあ、どうしようという感じにもなっていました」
それでも、取材を受けたり、歌番組に出たりするうちに、次第にセンターとしての責任や自覚を感じるようになったそうです。
「最高かよ」については「たくさんの方が好きって言ってくださり、ありがたい曲を頂いたとすごく思います。最初聴いた時は、歌詞にMIXが入っていて、うそなんじゃないかなっていう曲でした。それがこんなにもたくさんの方に知っていただけて、盛り上がれるのってびっくりです」。
当時は指原さんが劇場支配人を兼任し、ライブのセットリストも発案するなど辣腕をふるっていました。
「本当に何もかもやってくださっていたので、私はもう普通に楽しんでいました。ライブも、ただ歌って踊って楽しんで盛り上げていければいいと感じで、楽しかった思い出しかないんです」
2019年春に指原さんが卒業、翌20年からのコロナ禍によってアイドルとしての活動が大幅に制限されました。
松岡さんは「不安はめちゃくちゃ大きかったです。歌って踊るのが大好きなのにできない。ファンの方たちとも会えない。さくちゃんとなこちゃん(矢吹奈子さん=卒業)がその時は韓国で活動していていなかったので、私が前に立たせていただくことが多かった」と振り返ります。
活動の支えになってきたのは同期の「ドラフト2期生」の絆でした。
加入当時は11歳、身長130センチほどで「お子さま」キャラで話題となり、成長に伴いダンススキルの高いメンバーとして人気となった今村さん、デビュー当時はおかっぱ、その後、トーク能力やバラエティ番組への適性で人気となった村川緋杏(びびあん)さん。個性あふれるメンバー3人が仲良く活動してきました。
村川さんは2022年秋にアソビシステムに移籍し、現在はアイドルグループ「CANDY TUNE」で活動していますが、今もLINEグループで報告しあっているそうです。
「ドラ2は心の支え。普段の出来事も伝えるし、何かつらいことがあっても、いっしょに頑張ろうって言い合っています」
この夏のTIFでは、同じ日に出演していた村川さんとも会場で会うことができました。「びびあんはCANDY TUNEで毎日のようにライブをやって頑張っていて、尊敬します」と松岡さんは話します。
そうした中、HKT48は先輩だけでなく後輩である4期生も次々と卒業し、世代交代が進みます。松岡さんも22年秋、1期生として最後に卒業した本村碧唯さんから、本村さんの後任としてチームKⅣのキャプテンに指名されました。
「周りに頼って、意見を聞いて何とかまとめる感じでやってきました」
はなちゃんといえば笑顔というイメージがファンにはとても強いですが、笑顔でいることがつらかったことはなかったのでしょうか。
「体調が悪い時はちょっときついなと思うこともあるんですが、でもそんな本当にしんどい、みたいな時はあまりないです。あんまり落ち込まないし、悩んでも一晩寝たら忘れるタイプです」
「モチベーションを自分で高めるとかも特にないんです。もう使命っていうか、なんか、そうしなきゃいけないみたいな感じに多分体が自然となっているのだと思います」
卒業を決意した日は、ふいに訪れたそうです。
昨年10月、東京都内で開かれた4期生運上弘菜さんの卒業コンサート。後輩の卒業を見送った後、突然、「ああ、やりきった」という感情に包まれたそうです。
村川さんには早い段階で相談していましたが、今村さんには「悲しませるのが申し訳ない」という思いから告げるのをためらっていました。
それでも相談した兄から告げた方がいいと助言され、発表する1週間前に告げたそうです。今村さんは「あー、やっぱりそうなんだ」とそれまでの気配から卒業を察していたそうです。
松岡さんは、アイドル活動はやりきったと感じています。
9月11日発売の新シングル「僕はやっと君を心配できる」が最後の選抜メンバーとしての活動になります。
「選抜に入らせていただいたことがありがたいです。ちょっとしか活動できないので私はもういいかなって思ったんですけど、でも入ってほしいと言っていただいたので、素直にうれしいです」
昨年12月発売の前作、「バケツを被れ!」に続いて、ともに5期生の石橋颯さん(19)、竹本くるみさん(20)がWセンターを務めます。
HKT48のファンに浸透している「かわいい」「仲がいい」というイメージに加えて、格好良さや個々の強さを打ち出したミュージックビデオになっています。
「いぶちゃんくるちゃんは前回も全然心配はいらなかったんですけど、多分もっと成長した、すごくいいパフォーマンスが見れると思っています」と期待を口にします。
新シングルには新たに選抜入りしたメンバーもいます。7期研究生、 江浦優香さん(13)と 龍頭綺音さん(14)は今年5月に加入したばかりの中学生です。
「成長というか楽しみなメンバーがたくさんいるのが、いいなってすごく思います。選抜に入ると、(MV撮影や出演、取材などを通して)可愛くなったり、垢抜けたりするので、どんな風に成長していくのかすごく楽しみです」
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