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#13 大河ドラマ「光る君へ」たらればさんに聞く

「私の史実はこれで…」枕草子、誕生の経緯 声に出して読むべき理由

清少納言がまつられている「清少納言社」がある車折神社。多くの人が参拝していました
清少納言がまつられている「清少納言社」がある車折神社。多くの人が参拝していました 出典: 京都市右京区、水野梓撮影

目次

大河ドラマ「光る君へ」。ファーストサマーウイカさんが演じる清少納言が「枕草子」を書き始めた経緯が描かれ、多くの平安文学ファンが涙し、SNSでも話題になりました。清少納言を推す編集者・たらればさんは「枕草子は声に出すことをイメージして書かれた文章で、改めて心に響くと再認識させてもらった」と語ります。(withnews編集部・水野梓)

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心の宝箱にしまったシーン

水野梓・withnews編集長:大河ドラマ「光る君へ」第21回では、ついに清少納言が枕草子を書き始めました。

たらればさん:感無量でした。テレビの前で号泣していました。

水野:父が亡くなり、兄が流罪になって、自ら髪をおろして「生きていてもむなしいだけ」と語る定子さまのために、「春はあけぼの」「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬はつとめて」とつづって定子さまの枕元に差し入れる清少納言の描かれ方、すばらしかったですね…!

たらればさん:ファーストサマーウイカさん、高畑充希さんの演技も、セットもセリフもすばらしく、もう万感の思いです。これ以上ない表現でした。生きててよかった…。
水野:(笑)。「枕草子」の執筆動機や経緯はどこまで明らかになっているんでしょうか?

たらればさん:一般的には、枕草子の跋文(ばつぶん)、いわゆる「後書き」に書かれているものが執筆の経緯だと言われています。

ある日、定子さまの兄の藤原伊周(内大臣)が、一条天皇と定子さまに紙を献上したとあります。

定子さまから「帝は中国の歴史書『史記』を書かせているそうだが、こちらは何を書いたらいいか」と聞かれた清少納言は、「枕にこそは侍らめ(枕にございましょう)」と答えたところ、それを気に入った定子さまから「あなたにあげるわ」と紙を賜ったと。

この「枕」というのは、「史記」に「敷布団」「しきたへ(枕の枕詞)」という説があります。

水野:ドラマではまひろ(吉高由里子さん)が「史記」とかけて、「中宮さまを励ますために、四季を書いたらどうか」と勧めていましたね。

たらればさん:まさかの紫式部による枕草子執筆推奨説ですよね。驚きました。

この時期は、定子さまは弱り目に祟り目で大変だった頃です。

初産の妊娠中に実家が火事になって、定子さまは家の者に背負って焼け出された…という記録があります。おそらく清少納言も近くにいたでしょう。

ドラマのように、炎に包まれる二条邸で清少納言が定子へ涙ながらに「お生きにならねばなりませぬ」と訴える場面があったかどうかは分かりませんが、私の中の史実はもうこれでいいです。

あのシーンは一生心の宝箱にしまっておいて、時々思い出して反芻します。
水野:ドラマでは寝所で横たわる定子へ、清少納言が御簾越しに1枚ずつ枕草子を差し入れている演出でしたが、「実際は、巻物(巻子本)に書いていたのではないですか」という質問が来ています。

たらればさん:ドラマでは、1枚1枚にちらし書き、でしたね。

清少納言が書いた元原稿は残っていないので、彼女がどういう体裁、レイアウトで枕草子を書いたかは分かっていませんが、和歌はあんなふうに1枚1枚に書いていたので、ちらし書きだった可能性もあります。

ただ個人的には、当時、紙は今よりも大変貴重なので、もっと1枚に詰め込んで、みちみちに書いていたんじゃないかなと思います。

まあでもビジュアル要素としてはドラマのあの描写は100点満点です。襖に貼りたい。

音読をイメージしてつくられた第一段

水野:高畑さん演じる定子さまが声で枕草子を読まれたシーン、胸に響きましたね…。

たらればさん:ええ。録音して全段ぶん発売してほしいです(真剣)。

水野:たしかに(笑)。

たらればさん:これは皆さん、ぜひ一度試してほしいんですが、手元に枕草子を置いて、声に出して読んでほしい。

和歌は歌なので当たり前ですが、枕草子は散文でありながら、特に第一段については音読を強くイメージしてつくられているので。ぜひ声に出して、なめらかな感じと、浮かんでくる情景を味わってほしい。
春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこし明かりて。紫だちたる雲の細くたなびきたる
抑揚がきいていて、メロディアスな文章です。それが高畑さんの声で耳にできたというのもうれしいですし。

ああ、枕草子の第一段は詞(ことば)である前に、詩(うた)なんだなあ…というのがよく分かって。

水野:子どもの頃、何度も音読しているうちに覚えちゃいましたよね。今回のシーンを見ていて、古典を勉強していてよかったなと思いました。

たらればさん:今はテキストファーストが進んでいて、黙読が当たり前。「ことば」における文字列と音の乖離が結構大きい時代ですよね。

一方で、そもそも日本語というのは、中国から漢字がわたってくるまで長く「音声のみの言語」でした。

それが漢字が入ってきて「文字」をともない、一気に成長するわけですが、それでも「声に出して読む」という和歌や韻文とともに発達してきました。

「枕草子」は散文ですけど、声に出すことを強くイメージして書かれた文章だと思います。高畑さんの声で聞いてみて、改めて心に響く「ことば」だなぁと再認識させてもらいましたね。

波乱含みだった「枕草子」研究

水野:習った上で忘れてしまったのかもしれませんが、清少納言が枕草子に不遇な中宮さまのことを書かなかった…という背景は知らなかったんですよね。

たらればさん:枕草子の執筆動機や成立論にはいろんな説があるんですが、これは中古文学界で有名な池田亀鑑先生の説で、<枕草子は、栄華の絶頂にありながら政変に巻き込まれて一気に不遇な環境へ転がり落ちた中宮定子の悲しみを一切描かないかたちで、栄華の部分のみにクローズアップして執筆された>と、そのように読んで改めて内容を吟味し解釈する必要がある、という、わたくしが非常に大好きな内容です。

それがNHK大河ドラマで採用され、美しいかたちで映像化されて……もう……。

水野:私も号泣してしまったので、分かります……。

たらればさん:枕草子の研究史はかなり波乱含みでして、今でこそ「源氏物語と並ぶ平安王朝二大作品」というように捉えられていますが、それはここ半世紀くらいの話で、以前はもっとずっと評価が低かったようです。

それにはいくつか理由があって、一つめは四系統二種類(池田亀鑑先生分類による)が伝わる写本ごとに、内容や順序のバラつきが大きくて本文(ほんもん)研究が進みにくかったこと。

二つめは前後に類似作品がなく文学史の系統に入れづらかったこと。

三つめは紫式部が日記でものすごく批判していて、源氏びいきの研究者から蔑まれていたこと、などがあるようです。
滋賀県大津市の石山寺にある紫式部像
滋賀県大津市の石山寺にある紫式部像 出典: 水野梓撮影
たらればさん:まああとは、そもそも清少納言のような進歩的な志向が気に食わない、受け入れられづらい、という時代性もあったでしょうし、そのうえで作品論と作家性が結びつけられがちな作風だったのも研究停滞のひとつの要因だったと思います。

そういうさまざまな背景がありながらも、枕草子を愛する文学研究者の皆さんが地道に研究を積み重ねてくれたおかげで、文学史的なポジションが向上し、作品研究や史実とのすり合わせが進み、いま、令和に生きるわたしたちも気軽に楽しめているわけですね。ありがたい話です。

水野:なるほど。ドラマをきっかけに枕草子の概要をつかみたいと思って、「100分de名著」の清少納言・枕草子(著・山口仲美)を読んだら、後生の読者が順番を入れ替えている可能性もあると書かれていてびっくりしました。

「枕草子はどこから読んでもいい」とたらればさんがいつもおっしゃってますけど、そういう理由もあったのか、と思いました。

たらればさん:鎌倉時代初期、枕草子が執筆された200年後くらいに、「偉大な作品はなるべく著者が書いた原文をそのまま写して記して残そう」と考えた藤原定家という人がそこそこ特殊だったわけで、そうでない大多数の写筆者は「こっちの方がいいんじゃないの」と自分なりに書き換えたり、順番を置き換えたり…ということが多々あった時代なんですね。

後生に伝わった理由 カギは彰子さま?

水野:リスナーさんから「枕草子が今まで残っているのは、道長の力なのでしょうか。自分が追い落とした人に仕えていた清少納言の文章を残したのはなぜなのでしょう」という質問もありました。

たらればさん:いい質問ですね。個人的には、敗者の文学作品であった枕草子がなぜ後世に残ったかは、「彰子さま」がカギを握っていると思っています。

水野:紫式部も仕えることになる、道長と倫子さまの間の長女ですね。
京都市右京区にある車折神社の「清少納言社」。清少納言がまつられています
京都市右京区にある車折神社の「清少納言社」。清少納言がまつられています 出典: 水野梓撮影
たらればさん:はい。定子さまの後に入内して一条帝の皇后になる人です。歴史物語「大鏡」には「天下第一の母」と記された、いわゆるグランドマザー。

当時、基本的に書いたものの原本は子どもたちが管理していたと言われています。清少納言にも紫式部にも娘がいて、二人とも彰子さまに仕えるんですよ。そして「読みたい」という希望があれば原本を貸し出していました。

おそらくそれを許していたのは彰子さまだろうと言われています。

彰子さまがなぜ「政治的に敵対していた」とされる定子さまが主役の枕草子を残すことを許し、清少納言の娘を女房として雇っていたか、史実に記録はありません。

なぜなんでしょうねえ。気になりますねえ。うふふ。けれど、確実にバトンをつないだひとりです。

水野:いろいろ想像しちゃいます。

たらればさん:この彰子さまと枕草子の関係が、大河ドラマでどう描かれるかは、今後の楽しみのひとつです。ぜひ描いてほしいですね。
◆これまでのたらればさんの「光る君へ」スペース採録記事は、こちら(https://withnews.jp/articles/keyword/10926)から。
次回のたらればさんとのスペースは、7月7日21時~に開催します。

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