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F1中継で何度も聞いた「マンションCM曲」天才作曲家の数奇な人生

集合住宅などが立ち並ぶパリの街を映した「クリオマンション」のCMより=明和地所提供
集合住宅などが立ち並ぶパリの街を映した「クリオマンション」のCMより=明和地所提供

目次

エッフェル塔の見える街角で読書にふける女性。店頭に並ぶ色とりどりのお菓子。カフェで思い思いに寛ぐ人々。整然とそびえる集合住宅。次々移り変わるパリの景色を包み込むように響く、壮麗な弦楽アンサンブルと美しい歌声。

1990年に制作され、33年後の今も使われ続けているCM音楽があります。マンションデベロッパー明和地所(東京都渋谷区)の「クリオマンション」シリーズのために作られた「アパルトマン」です。CMの尺は最長で30秒でしたが、優雅さを体現した映像とあいまって、聴く人の心に西欧への憧れを植え付けた作品でした。

この音楽の作・編曲者、片柳譲陽(かたやなぎ・じょうよう)さんが3年前に亡くなっていたことが、このほど遺族から明らかにされました。どんな音楽家だったのか生前の姿を伺い、今なお魅力的な楽曲の背景を探りました。

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F1中継の合間に

「Serenity / Deep inside of me / Window of my dreams / My treasury」
(心の底に/穏やかさがある/夢へと続く窓/かけがえのない)

現行の明和地所株式会社「クリオマンション」CM

「アパルトマン」は、豊かなアルトのボーカルと弦楽合奏によるクラシカルな響きに、打楽器や逆回転再生されたシンバルのような効果音が加わる、不思議な印象を残す楽曲です。

作詞者は「マイケル・G」、歌手は「Miss. J」とクレジットされています。

制作当初、CMは故アイルトン・セナらの活躍で盛り上がっていたモータースポーツ「F1グランプリ」の中継などで、たびたびスポット出稿されていました。

多くの人の記憶に残る、このCM音楽を作ったのが片柳譲陽さんです。

1953年、東京都の出身。ビートルズに多大な影響を受け、麻布中学2年の時にはインドの民族楽器シタールを入手、独学でジャズにも傾倒しました。

ファッションから音楽の世界へ

片柳さんは、高校卒業後に渡仏してパリ大学で学んだといい、フランスや日本のファッションブランド業界で働きました。

片柳譲陽さん=2012年12月15日撮影、高畠由加里さん提供
片柳譲陽さん=2012年12月15日撮影、高畠由加里さん提供

世界的デザイナー三宅一生さんの事務所に勤務し、作品の写真集の編集に関わったこともありましたが、音楽への興味も持ち続け、1979年、高価だったモジュラーシンセサイザーを入手して本格的な創作活動を始めました。

イエロー・マジック・オーケストラが牽引したテクノポップブームの中、80年に本間柑治(かんじ)名義で制作した「ホンマ・エキスプレス」のアルバム「You See I...」を発表。電子音主体の洗練されたサウンドが、新しい音楽を求めるリスナーやミュージシャン仲間を魅了しました。

「ホンマ・エキスプレス」のアルバム「You See I...」(1980年発表)
「ホンマ・エキスプレス」のアルバム「You See I...」(1980年発表)

後年アニメ作品「シン・エヴァンゲリオン」「進撃の巨人」などの音楽に携わった作曲家・天野正道さんらとのプロジェクト「TPO」では、デジタル技術で音楽制作のあり方を大きく変えたオーストラリア製の最新鋭機材「フェアライトCMI」などを駆使。日本の電子音楽の歴史に足跡を刻みました。

片柳さんはその後、活動の中心をCM音楽に移しましたが、2010年には携帯ゲーム機ニンテンドーDS1台だけでテクノポップを演奏する実験プロジェクト「DS i Love You」を立ち上げて複数枚のアルバムを発表。健在ぶりを示しました。

「DS i Love You」のアルバム「CHRISTMAS DINNER」(2010年発表)。外車好きだった片柳さんは、フランスの名車シトロエンDSを借りて撮影に臨んだそうです=高畠由加里さん提供
「DS i Love You」のアルバム「CHRISTMAS DINNER」(2010年発表)。外車好きだった片柳さんは、フランスの名車シトロエンDSを借りて撮影に臨んだそうです=高畠由加里さん提供 出典:「DS i Love You」オフィシャルサイト

しかし2017年に肺がんが見つかり、脳に転移。新型コロナウイルス感染症のパンデミックで世間が騒然とする中の2020年4月、都内の病院で亡くなりました。66歳でした。

「人生が凝縮された作品」同業者の妻

1989年、片柳さんは音楽家だった高畠由加里さんと仕事を通じて出会った3カ月後に電撃結婚。結婚式は片柳さんの友人らがいるパリで行われ、費用は片柳さんが愛車のポルシェを売り払った代金で賄ったといいます。「アパルトマン」はその翌年の作品でした。

所属事務所プロデューサーでもある高畠さんは、制作当時にはこの楽曲「アパルトマン」とは関わっていませんでした。後になって演奏者やスタッフについて調べたものの、詳細はわからなかったそうです。

結婚式が行われたパリでの写真。エッフェル塔はこの年100周年を迎えていました=1989年10月18日、高畠由加里さん提供
結婚式が行われたパリでの写真。エッフェル塔はこの年100周年を迎えていました=1989年10月18日、高畠由加里さん提供

「音を初めて聴いた時『優美だが、こんな難解な曲で良いのだろうか』と思った」と高畠さんは振り返ります。

スローテンポの音楽に「もっとCMとしてわかりやすいキャッチーな要素があった方が良いのでは」と懸念したそうです。

しかし映像が入ったCMを見て、認識を改めました。

短い中にもドラマを感じさせる場面と一体となった音楽は大人の鑑賞に堪え、クライアントの明和地所が想定した「集合住宅での恒久的で上質な暮らし」を体現したものになっていました。

高畠さんは「かつて住んでいたパリを思い出しながら作っていたようでした。本当に彼の人生が凝縮された作品となった」と言います。

ヤマハ掛川工場で名ピアニスト・リヒテルがリサイタルで使用したグランドピアノを試奏する片柳譲陽さん=2016年10月3日、高畠由加里さん提供
ヤマハ掛川工場で名ピアニスト・リヒテルがリサイタルで使用したグランドピアノを試奏する片柳譲陽さん=2016年10月3日、高畠由加里さん提供

そして、「本人も作った時は、ここまで長年にわたり愛される曲になるとは予想していなかったと思います」。

ネット上での讃辞や、動画共有サイトに公開されたファンによるカバー版の存在などは、片柳さんも知っていたそうです。

晩年には、片柳さんを診察した医師が、「アパルトマン」の作者と知って感激し、握手を求めてきたこともあったといいます。

「他社にない財産 今後も大切に」

CMクライアントの明和地所は、1986年創立。東京や神奈川、札幌、福岡、名古屋でマンションを供給しています。

創業5年目に知名度向上を目指して作られたのが「アパルトマン」が流れるCMでした。

「他の不動産会社にはない斬新な映像と音楽」を目指して創業者の故・原田利勝さんが自ら指揮を執って制作。広告代理店勤務の経験もあった原田さんは、完成したCMを気に入り、「音楽はずっと『アパルトマン』で行くぞ!」と指示したそうです。

好景気で求人難だった当時、同社は大学生にアピールしようと若者に人気の高いF1でのCM出稿を選んだ、とのことでした。

時差の関係で深夜から未明に放送されることが多かったF1中継と結びつけて、このCMを記憶されている方は多いようです。

同社は現在も個人投資家セミナーでCMを紹介しており、参加者アンケートでは、当時大学生で今や50代となった来場者らが「懐かしかった」と反応したといいます。

音楽はそのままに、CMの映像部分は時代と共に作り替えられました。

当初はパーティードレスの女性で上質感を表現していましたが、リメイクでは働く女性を想起させるたたずまいに代わり、現在はセーヌ川、エッフェル塔、ビクトワール広場などパリの街を背景に日常を楽しむ様子のものになっています。

現行の明和地所株式会社「クリオマンション」CM

CMは2001年以降も首都圏のキー局で約4600回流され、札幌・狸小路商店街など同社がマンションを供給している都市の街頭ビジョンでも放映されました。

「アパルトマン」が聞こえるよう、音が出せるビジョン限定での出稿だそうです。

明和地所の経営企画部・宮本玲美部長は「30年以上前に片柳様とのご縁をいただき、弊社オリジナルCM音楽として誕生した『アパルトマン』は、明和地所の歴史とともにあります。今後もブランド価値を訴求する重要なファクターとして、大切にしていきたいと考えています」と話します。

8年前にCMを作り替える際、別の音楽を提案してきた制作会社もあったそうですが、「『アパルトマン』がテレビから流れてくると明和地所・クリオを想起してくださる方が多くいらっしゃる。それは他社にはない明和地所の財産だ」と改めて確認したそうです。

「片柳譲陽様のご逝去の報に触れ、ご冥福をお祈りするとともに、感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました」

現在の「クリオマンション」のCMでは「太陽王」ルイ14世の騎馬像が飾られたパリ・ビクトワール広場も映し出されています=明和地所提供
現在の「クリオマンション」のCMでは「太陽王」ルイ14世の騎馬像が飾られたパリ・ビクトワール広場も映し出されています=明和地所提供

未完の美しさ 音楽の続きは……

私事になりますが1990年代、駆け出し記者だった私は、深夜のブラウン管に映し出される異国の街を窓越しにのぞき見るような思いで眺めていました。

そして「いつかはこの景色の中に身を置きたい」と切望したものでした。

はるか後年、出張で訪れたパリでは、まさにCMに出てきたような趣味のよい集合住宅が古い街並みと溶け合い並んでいました。

パリジャンにとってはただの日常風景だったかもしれませんが、私は「この場所には見覚えがある」と郷愁にも似た感動を覚えました。

「アパルトマン」を聴いた少なからぬ人が、「この曲の続きが聴きたい」「もっと長いフルサイズ版はないのだろうか」と感じたのではないでしょうか。

明和地所にも曲名やCDの有無などの問い合わせはあったそうです。

実は1993年発売のコンピレーションCD「とっても優秀な日本のCM音楽」(廃盤)に、この曲の1分弱のバージョンが収められていました。

しかし内容はほぼCMで披露された演奏の繰り返しにとどまり、結尾に歓声の効果音などが被せられているだけで、サビや間奏、後奏など新しい要素はありませんでした。これ以外の録音は残されていないといいます。

高畠さんは「彼があの空気の中にいたからこそできた曲。もし今ある以上の部分を付け加えたら、たぶん別の世界観になってしまうでしょう。あの秒数が完成形」と話しました。

「完結しない余韻の美しさが、曲の価値を一層引き立てています。映像も含めてあの形にとどめるのが最善だと思います」

亡くなる1カ月前にオークラ千葉ホテルで撮影された写真=2020年3月25日、高畠由加里さん提供
亡くなる1カ月前にオークラ千葉ホテルで撮影された写真=2020年3月25日、高畠由加里さん提供

外車を愛し、結婚式では10歳年下の高畠さんのため、ウェディングドレスやケーキを手作り。

ジャズ喫茶の経営を手がけたこともあったという片柳さんは天才肌の音楽家で、高畠さんによると自宅のテレビは常につけっぱなしでした。

「頭の中で、いつも音楽が湧いて鳴り続けているんだ。テレビで気を紛らせないと」。そう語っていたといいます。

今年は生誕70年。生前に発表した作品の再発売や、完成したもののお蔵入りになっていたアルバムをリリースする企画が進んでいます。

印象的な楽曲を数多く残したCM音楽の名手が再評価されるきっかけになるかもしれません。

明和地所クリオマンションのテレビCMは、新年1月1日から10日まで首都圏、札幌、福岡、名古屋で放映予定。箱根駅伝の中継でもスポットで流されるそうです。

【関連サイト】片柳譲陽さんの訃報のお知らせはこちら→https://dsiloveyou.com/FH.html

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