イギリスの名物オーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』でイギリス中を魅了した、とにかく明るい安村。コンビ時代はエリートコースを歩むも解散、ピン芸人に転向し“全裸ポーズネタ”で大ブレークした矢先に不倫報道で失墜。紆余曲折を経て、再び脚光を浴びた。安村はなぜ、何度でも立ち上がれるのか。そのしぶとさの理由に迫る。(ライター・鈴木旭)
とにかく明るい安村は、北海道旭川市出身。幼少期は、少年野球チームのエースとして活躍し、プロ野球選手に憧れた。現在タレント・パチスロライターとして活躍する元相方の栗山直人は、その野球チームで仲良くなった同級生だ。
お笑いが好きだった2人は、中学3年の文化祭でコンビを組みネタを披露。そこで観客を笑わせる快感を知った。栗山から高校卒業後に芸人になろうと誘われ、安村の意識はお笑いへとシフトしていく。
とはいえ、安村が進学したのは野球の強豪校・旭川実業高校だ。野球漬けの毎日を送り、レギュラーにはなれなかったものの、甲子園に出場。本稿で紹介するように何度も「ブレイク」できた安村のしぶとさは、この頃の経験に裏打ちされているのかもしれない。
一方、子どもの頃からガキ大将だった栗山は高校を中退し、“ヤンチャ”な生活を送っていたという。高校時代はほとんど会わなかったが、ともに約束は忘れていなかった。
栗山が東京に行こうと提案し、2000年春に2人で吉本興業の養成所NSCに入学。程なく頭角を現し、約600人いる同期のうち3組が出場できるライブに抜擢されるほどに。毎月ネタを披露し、徐々に手応えをつかんでいく2人。紛れもなくエリートコースを歩んでいた。
もともとのコンビ名は「シベリアンハスキー」。安村の祖母から「画数が悪い」と指摘され、新しい名前を決めあぐねていたところ、同郷の先輩であるペナルティのワッキーがいくつも候補を提案してくれた。そのうちの1つ、「アームストロング」がコンビ名になった。
2005年、2人はお笑いオーディション番組『ゲンセキ』(TBS系)で存在感を示し、同年10月からスタートした後続番組『10カラット』のレギュラーメンバー10組に抜擢される。栗山は「売れたな」と思い、その足で新宿の高層マンションの下見に行ったという。
しかし、残念ながら半年後に番組は終了。厳密に言うと、レギュラーの中でも突出して目立っていたオリエンタルラジオ、ハリセンボンら5組の番組がスタートし、そのほかのメンバーが外されたのだ。栗山は当時の悔しさをYouTubeチャンネル「芸人履歴書ちゃんねる」の動画「【完全版】元『アームストロング』くり(栗山)【辞めた芸人に話を聴こう File.34】」でこう振り返っている。
「あれは折れましたね。覚えてますわ、いまだに。(中略)めちゃくちゃ恥ずかしいすけど、(筆者注:脱落組の)みんなで夜、湘南の海に行きました。最後の収録終えたあと」
それでもアームストロングは活動を続けた。『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)や『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)、『エンタの神様』(日本テレビ系)といったネタ番組に出演し、ヨシモト∞ホールで開催される若手ライブでも目立つ存在となった。
『M-1グランプリ』では準決勝に進出し、2010年には『NHK新人演芸大賞』の演芸部門で大賞を受賞している。しかし、実力を認められながら、30歳を超えても思うような活躍はできなかった。
当時は、M-1の結果が今よりも重要視される傾向にあったのだ。やり場のないフラストレーションが募っていく2人。コンビ解散の話は、結婚後、子どもが生まれたばかりの安村のほうから切り出した。
「収入も下がってきて、月収15万円ぐらいになっていましたかね。子供を育てて生活するには苦しかった」<「とにかく明るい安村が明かす、裸一貫の半生記 『50歳になっても裸芸を続けていたい』」(リアルサウンド ブック)より>
2014年4月、コンビを解散。栗山は、もともと好きだったパチスロ関係の道へ。安村は妻子を養うため、安定した会社に就職しようと考えていた。しかし、「まだ芸人やりたそうな顔してるよ」という妻の一言で踏みとどまり、2年ほど続けてダメなら辞めようとピン芸人としての活動を決意。新たな芸名は、とにかく明るい安村。景気の良い名前で、崖っぷちから再スタートを切った。
ピン芸人になってすぐの頃は、悪戦苦闘の日々が続いた。仲間がライブに呼んでくれるものの、どのネタもいまいちウケない。
そんな矢先、当時好きだった元AKB48・渡辺麻友の写真集『まゆゆ』(集英社)の表紙(体育座りの姿勢で水着を隠した写真)を改めて見て“全裸ポーズネタ”の着想を得る。
また先輩芸人のガリットチュウ・福島善成の助言によって、女性もののビキニパンツを前後反対にはくスタイルが定着した。このあたりからも、今に続く、仲間に慕われる安村の人柄が垣間見える。<とにかく明るい安村の写真集「安心してください、はいてますよ」(竹書房)より>
2014年9月、自身の単独ライブで全裸ポーズネタを初披露。ピンク色の照明の中、お立ち台でピン芸人のスギちゃんのように「いまから全裸に見えるよ~う。どうだ~い?」と言い放つ、今とは異なるパフォーマンスだ。パンイチ姿、ストリップ劇場を思わせる演出も相まって観客の反応は悪かった。しかし、なぜか安村は「いける」という自信があった。
次に試したのは、事務所の生配信番組。ここで芸名の通り、元気かつ爽やかなパフォーマンスで臨んだところ大ウケする。その後、ライセンス・藤原一裕の結婚式の余興で披露すると、バラエティー番組の作家の目に留まった。
これをきっかけにテレビ出演が急増。2015年の『R-1ぐらんぷり』(カンテレ/フジテレビ系。現『R-1グランプリ』)で決勝に進出し、同年の「ユーキャン新語・流行語大賞」で決め台詞「安心してください、穿いてますよ。」がトップ10入りするなど、大ブレークを果たした。
安村はさまざまなアイデアを柔軟に試す。そして、上手くいかなければすぐに切り替える。このような姿勢が、後述するように、『ブリテンズ・ゴット・タレント』の活躍につながっていったことはとても興味深い。
順風満帆な日々を送る安村だったが、2016年3月、『週刊文春』(文藝春秋)に不倫疑惑を報じられた。世間からバッシングを受け、好感度は急下降。収録済みの番組やCMもお蔵入り。予定していた30本以上の仕事もなくなったという。
妻には平謝りし何とか許してもらえたそうだが、本格的なテレビ復帰には数年の月日を要した。しかし、そんな渦中に出演できた唯一の番組があった。特番時代の『有吉の壁』(日本テレビ系・2015年~2020年1月。同年4月以降はレギュラー放送)である。
番組の内容は、若手芸人たちがお題に沿った芸を披露し、MCの有吉弘行が「〇」「×」で判定するというシンプルなものだ。ここで安村は、何度スベってもめげない全力のパフォーマンスで一目置かれる存在になっていく。
バリカンで無造作に髪を切るパフォーマンスが定番となり、人気コーナー「ブレイク芸人選手権」で披露した歌ネタ「東京ってすごい」(北海道で育った純朴な安村少年が、大都会東京で生まれ変わったことを表現するパフォーマンス)は視聴者に絶大なインパクトを与えた。安村自身、『有吉の壁』への思い入れは人一倍強かったようだ。
「余計なことは考えずに一生懸命やりきる。それだけです。ほかの人は売れてるからいろんな仕事もあるけど、僕は『壁』オンリーなんで集中できますしね。番組がはじまった2015年はちょうど僕が売れかけてたときで、そのあと仕事がなくなったときも、ずっと『壁』は出してくれた。その感謝がもちろんあるし『結果残さなきゃ』って気持ちがノります」<「クイック・ジャパンvol.153」(太田出版)より>
『有吉の壁』がレギュラー化されると、コロナ禍に入ってリモート映像での出演を余儀なくされる。そんな中でも安村は、バケツいっぱいに入った湯を被り自宅を水浸しにして笑わせた。まさに身を削ってのパフォーマンスだ。
マツコ・デラックス、伊集院光といったタレントがこれを絶賛し、また徐々に露出が増え始めた安村。ここ最近の『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ系)では、メインゲストに絡んで笑わせるクレーマー芸人の常連となり、風格さえ漂っている。
そんな安村が『ブリテンズ・ゴット・タレント』で脚光を浴びたのは、ある意味で必然だったのかもしれない。所属事務所の吉本興業は、2010年前後から海外展開に力を注いでいる。
もちろんイギリスのお笑い事情をリサーチしたうえでのことだろうが、ゆんぼだんぷ、ウエスP、ゆりやんレトリィバァらの裸芸が各国の『ゴット・タレント』でウケた流れを見て、安村をプッシュしたところもあるのではないか。
予選・準決勝で披露したネタの選択も良かった。サッカー選手、騎手、イギリス近衛兵、人気スパイ映画『007』シリーズの主人公として知られるジェームズ・ボンドのほか、ラストで女性アイドルグループ・スパイス・ガールズの「Wannabe」やエルトン・ジョンの「I'm Still Standing」といったイギリスの著名アーティストの楽曲で全裸ポーズを畳み掛けた。
イギリス文化にネタを寄せたことで、片言の英語ながら現地の会場を味方につけたのは間違いないだろう。
安村には、これまでの紆余曲折で培った、大舞台で物怖じしないハートの強さ、猪突猛進のパフォーマンス、他人のアイデアをネタに昇華する柔軟性があった。『ブリテンズ・ゴット・タレント』決勝でも、番組スタッフが提案したヒーローネタをすぐに受け入れ、現場のリハーサルで調整したという。
英語版の決め台詞「ドントウォーリー、アイムウェアリング」の後の「パーンツ!」というレスポンスも含め、現場の偶然性をポジティブなものに変える芸風や姿勢が、審査員や観客に伝わり、決勝の大合唱へとつながったと想像される。
国内でもネット動画やテレビでその雄姿が報じられ、意気揚々と凱旋した安村だったが、日本の劇場ではややウケ。6月11日に放送された『ワイドナショー』(フジテレビ系)に出演し、MCの東野幸治ら共演者たちから塩対応を受けた点も含めて、安村らしいと感じる。
6月28日に放送された『有吉の壁』の企画「茨城 おもしろヤンキーだけ乗れる列車」の2駅目で安村が脱落したことを受け、通過したチョコレートプラネット・長田庄平が「ちょっと待てお前、“場つなぎの安(村)”乗ってねぇじゃねぇか!」と口にしていたのが印象的だった。
泥臭く笑いを取る安村は、共演者から絶大な信頼を寄せられているのだろう。過去にタイムマシーン3号の山本浩司は、同番組における安村のすごさをこう語っていた。
「『有吉の壁』は、見たことない景色に連れてってくれる。『こんなに酸素薄いのか』っていうぐらいの(笑)。『安村ってずっとこんなところでおぼれてるのか!』って驚きますよ。スベッたら普通はそそくさと帰りたくなるものじゃないですか。安村は『スベッた時こそ現場にいるべきでしょ』って言うんですよ。すごいトコで生きてるなーって思います」<FRIDAYデジタルの「タイムマシーン3号が語る『M-1で容姿ネタ』から苦悩した10年 『賞レースで栄光をつかめなかった男たち』タイムマシーン3号」より>
現在、YouTubeチャンネル「有吉の壁【公式】壁チャンネル」で海外向けに安村の動画が配信されているが、実際に日本の“体を張った笑い”が他国でどんな評価を受けるのかも気になるところだ。
2000年~2002年までアメリカで放送されていた、バカバカしいスタントが魅力のテレビ番組『ジャッカス』(劇場版は2022年時点で第5作まで公開されている)のように、安村の個性が発揮される場所があるならば、個人的にはぜひとも挑戦してほしい。