今年4月からスタートした『芸能きわみ堂』(NHK Eテレ)。オアシズ・大久保佳代子が日本舞踊、長唄、狂言といった古典芸能に体当たりで挑む姿が何とも面白い。かねて前身の番組も初心者向けの構成ではあったが、『芸能きわみ堂』における視聴者との心の距離の近さは一線を画している。大久保と古典芸能、2つが交わることで起きた化学反応とは?(ライター・鈴木旭)
『芸能きわみ堂』は、2011年から11年続いた『にっぽんの芸能』、2022年度の『新・にっぽんの芸能』から引き継がれ、今年4月からスタートした教養番組だ。2020年から司会を務める俳優・高橋英樹が続投し、新たに大久保佳代子が加わった。
かねて初心者向けに古典芸能の魅力を伝える番組構成ではあったものの、「NHK」「古典芸能」という組み合わせに“とっつきにくさ”を感じる視聴者も多かったのではないだろうか。ところが、そこに大久保のキャラクターが入ることで、途端に見やすいものになるのだから不思議だ。
同番組の見どころは、何と言っても「大久保さん、お稽古です」のコーナー。ほとんど接点のなかった古典芸能に、大久保が体当たりで挑戦するというものだ。
初回は日本舞踊。指導を担当する舞踊家・尾上菊之丞が「日本舞踊と言ってもいろんな部分があるんですが、『エロス』というものをテーマにして進めていきたい」と口にすると、しばし宙を見上げ「得意分野かも」と目を細める大久保。過去に「自分の性欲が怖い」と語っていた彼女ならではの反応に思わず笑ってしまう。
「好きな男性を誘う場面を演じる」との例題が出ると、大久保なりの寸劇を開始。「いい店あるんだけどさ、飲み行こうよ」と手招きし、「行ける? 行ける?」と酔った中年男性のように執拗に聞きながら相手の手を掴み、グイグイと舞台袖へと誘導する姿に思わず菊之丞が吹き出す。
そこから仕切り直し、菊之丞が大久保の手を取ってしばし見つめ合ってから自身の袖に相手の手を入れ、袂に隠すようにして移動する日本舞踊のスタイルを披露。大久保の例が良い意味で振りとなり、古典芸能の“奥ゆかしさ”が際立って見えた。
親しみやすいリアルな言葉や感情も、大久保の大きな魅力の1つだ。
例えば前述の日本舞踊で、菊之丞が袂に手を隠す場面を「袂で隠すことで、この中でいろいろなことがあり得る」と解説すると、大久保は高揚した表情で「たしかに。本当だ」と目を丸くさせ、「すごい、深い、エロい、素晴らしい!」と感激して見せる。
また、“狂言の歩き方の型”を学ぶ放送回では、大蔵流の狂言師・茂山逸平から中腰で鼠径部に手を添え水平に歩く指導を受けるも、しんどそうな大久保。「今んトコ、やってて楽しいとか、ぜひ見ていただきたいという気持ちにまったくならない」と本音を漏らし、苦笑していたのが印象的だ。
さらには、長唄で使用される三味線に挑戦。試しに一定のリズムで単音を弾く大久保に指導役の長唄演奏家・東音味見純(とうおんあじみじゅん)が「すががき」(吉原など廓の場面で演奏されるフレーズ)をそれとなく合わせると、「うわ~いい男」「嫌いじゃないんですよ、踊らされるのが」と嬉々とした表情を浮かべる。
しかし、その後短いフレーズを弾く段になると、三味線の糸(弦)を押さえる指と手首が動かない。たまりかねた大久保が「2、30代でやってたら、もうちょっと手首がしなやかだったんですけど。まぁ関節がきしむきしむ」と口にすると、味見が思わず苦笑い。これに大久保が「笑いごとじゃなくてね、ホントに」と追い込む姿もおかしい。
なかなか三味線が弾けず、ため息混じりに「帰りたい……」と肩を落とす大久保。それでも頑張る姿に「すみません、もうちょっと頑張ってください」と味見がエールを送る。「先生が優しいからブチ切れられない」と言いつつ特訓を続け、何とかフレーズを弾き切る姿は、さながらカルチャーセンターで奮闘する受講生のようだった。
そんな大久保だからこそ、こちらも知らず知らずのうちに古典芸能の世界に魅了されていく。時に階段を踏み外しながら、一歩また一歩と進む姿が実にリアルなのだ。
例えば日本舞踊の名作「藤娘」に挑戦する放送回では、化粧・衣装・かつらを受け持つ実際の職人が大久保をサポートした。
顔師(和の化粧を施す職人)がメイクする最中、大久保が「ちょっとどういう方向にいってるか、まったくわからないんですが。お美しくなってるはずだと……」と口にすると、「これからです。まだまだ」と遮られる。これに「まだなってなかったみたいです」と大久保が苦笑する姿を見て、余程手間が掛かる作業なのだと認識できる。
続いて、衣装の着付け。帯を含め、総重量約7キロの衣装を職人2人がかりで大久保に着せていく。「動ける気がしないんですけど」と不安を漏らし、お太鼓(帯を結び上げた時に背中に出る部分)に装飾をつけるシーンで、「何ですか? このデカいランドセルみたいなヤツは」と戸惑う大久保に親近感が湧く。
最後にかつらを装着すると、「うわぁこりゃ大変だ。さらに頭にこの重量……ぎょっお~!」と頭を揺らす。ようやく本番を迎え、短い「藤娘」を踊り終えたところで「いいですね、日本舞踊」と清々しい笑みを浮かべた。
しかし、「悔しい。ちょっと本当に持ち帰って1週間後に発表したいぐらい」と調子に乗ったところで尾上菊之丞から「お待ちしております」と合いの手が入り、「いや大丈夫です。ウソです」と即答して笑わせるあたりが大久保らしい。
庶民的でありながらどこか品のある彼女だからこそ、第一線で活躍する職人たちも心を許すのではないか。そんなやり取りが、古典芸能の世界を身近なものにさせているのだと思う。
酔っ払った夜中2時に好きな男性の前でaikoの「カブトムシ」を歌えば“効き目がある”と思っていたという大久保が長唄を学び、稽古のVTRが終わると古典芸能に精通する高橋英樹のわかりやすい解説が待っている。こうしたコントラストが何とも心地よい。
日本舞踊、狂言、長唄の稽古が続き、ある程度の知識を備えて「平成中村座」の演目の一部が放送されたのも見やすかった。すでに視聴者は、大久保と同じ教室に通っているような感覚で舞台を観ることができるからだ。
今年5月、姫路城の前に出現した平成中村座の芝居小屋。まずは、その前に建てられた三十軒長屋(江戸の芝居町を想起させる商店街)で地元の名産や土産物屋の商品を楽しむ大久保ら一行。続いて客がひしめく劇場内へと移り、独特の臨場感の中で映し出された「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」「播州皿屋敷」の熱演シーンは圧巻だった。
観劇後、大久保が「本当エンターテインメントですね! 会話のすべては聴き取れないんですけど、内容もわかったし。所々コントみたいなやり取りが多くて、笑いもいっぱい起きてて。やっぱり長唄とか三味線もちょっと学んだじゃないですか。こっちでやられてるのもちょっと気になって見ちゃったり」と興奮気味に語る姿も印象的だった。
NHKのYouTubeチャンネルでは、尾上右近と尾上松也が歌舞伎の基礎や楽しみ方を解説するなど、どこまでも初心者に優しい番組だ。古典芸能に苦手意識を持つ者でも、50代になり“姉さん”の立場になった大久保の奮闘記として一見の価値があるのではないだろうか。