連載
#24 名前のない鍋、きょうの鍋
アイドル活動を支える〝名前のない鍋〟 料理に割く時間は最小限で
みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。
いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。
「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。
今回は、上京して「アイドル」の夢を叶えた都内の女性のもとを訪ねました。
吉乃椿(よしの・つばき)さん:2000年大阪府生まれ、河内長野市で育つ。2021年上京、オーディションを経て5人組のアイドルグループ『I’mew(あいみゅう)』のメンバーとなる。現在、都内でひとり暮らし。公式HPは(https://imew.tokyo/)、Twitterは(https://twitter.com/tsubaki_imew)
ドアを開けて迎えてくれるなり、「きょうはよろしくお願いします」と、深々としたお辞儀で迎えていただいた。
吉乃椿さんは2年前からアイドルグループのメンバーとして活動されている。ライブ会場やグラビア、舞台と活動の幅は広い。様々な仕事先で今みたいなお辞儀から仕事が始まっているんだろう。
部屋に入れていただいた瞬間、窓にかけられていた華やかな衣装が目を引いた。瞬間「セーラームーンみたいだな」と思ってしまった自分の年齢を思う。
「衣装は自分の管理なんですよ」
そうか、陰干しされていたのか。舞台で着たあとは風通しのいいところに置いて、次回のライブでまた着用されるわけだ。(もちろん、定期的にクリーニングもする)
紫色を基調としてフリルやドレープがあしらわれ、一部シースルーのところもある。凝ったデザインで、ショービズにおけるアイドル的なイメージのいろいろなものが詰まっているようにも思えた。
衣装をはじめメイク道具、その他の必要なものすべてを自分で持ち歩いての移動になるとのこと。吉乃さんは現在22歳、若いとはいえ体力的にも大変な毎日だろう。きちんと食べているのだろうか。
「はい、食べてます! ただ自炊といえば鍋ばっかりで。野菜もたんぱく質も一緒に摂れてラクだし、鍋ひとつで作れるから。味つけはもう鍋キューブに頼って、切るだけですけどね」
だんだんと言葉に大阪のアクセントが入ってくる。生まれも育ちも大阪の河内長野市だ。
「いいところですよー、物価が安くて。こっち来て驚きました、こんなんで特売とか名乗らないでほしいって思うこと、よくありますね」
テンポよく野菜を刻みながら話す吉乃さん、調子が出てきたようである。
部屋にいるときは休みたいし、好きな漫画やゲームを楽しむ時間もほしい。何より振り付けや歌詞を覚えるなどの自己練習もある。料理に割く時間は最小限と考えると、鍋は好都合なのだ。
「今、水菜にハマってるんです。おいしいなと思って。鶏ささみを入れるのはカロリーが低いから。豆腐は1丁全部入れます。オクラを鍋に入れるの、めずらしいですか? 実家のお味噌汁にはよーく入ってたんですよ、だから身近な存在で」
料理を始めたのは上京した2年前から。
だが、その前から母親の料理を見て、なんとなく「そうするのか」と門前の小僧習わぬ経を……なことも多かったようである。お母さんは料理上手だったようだ。
「いや……そんなことは(笑)。母は創作料理が多いんですよ、一度カルボナーラ作ったときはホンマにおいしくなくて。単なる牛乳うどんでしたね。『味見したん、これ⁉』って聞きました」
と教えてくれつつ、手のひらで4等分した豆腐をまず鍋に入れ、ひと口大に切った野菜を足していく。野菜を先に切ってから肉を切り、使った包丁とまな板を洗った。
余った肉と野菜はこまめに保存袋に入れ直して、冷蔵庫に戻す。常温に置く時間が短ければ短いほど、生鮮食材は劣化も遅い。
こういうあれこれも、お母さんに習ったようだ。短い時間だがキッチンに共に立って、吉乃さんは生活力を親からしっかり受け継いでいる人、という印象を持った。
「料理は母からだけじゃなく、高校のときバイトしてた飲食店で見ていて、参考になったことも多いんです。私、高校の学費を自分で払ってたんですよ。父親とずっと仲が良くなくて、そのとき家庭環境もあまりよくなかった」
「私自身が躁鬱(そううつ)みたいになってて、学校も休みがちになって。そしたら父親が『行かないなら自分で学費払え』って。だからバイトして払っていたんです」
あるとき、自分が高校に行く必要はないと思い至り、中退する。今でも後悔はないと吉乃さんは言った。
その後はバイトをしつつ過ごしていたが、アクションゲームの『龍が如く5』に出合ったのがターニングポイントとなる。登場人物のアイドル、澤村遥が歌う曲の歌詞が心に響いた。
「私は本当はこんなんじゃない、というような歌詞があるんです。希望のある歌詞で。こんな曲を歌える仕事ができたらいいな、私もアイドルやりたいという気持ちが生まれました」
思い立ってからの行動は早かった。検索して、現在所属するグループのオーディション情報を見つけてすぐに応募。20倍以上の倍率の中から見事に合格を勝ち得る。
母親への報告は後になってしまったが賛成してくれ、上京資金の一部を援助してくれた。
「それまでバイト代の中から家に入れていたお金を貯めてくれていたんです。自分の貯金と合わせて上京したのが20歳のときでした」
もうすぐデビューから2年が経つ今、何を思うのだろう。
「もっと歌うまくなりたい、ですかね。ボイトレ(ボイストレーニング)に通い出して成果は感じてます。ただこのまま続けていて大丈夫なのか、とも。やりたいことをやれているんですけど、成功する保証はないし」
成功って、吉乃さんにとってどういうことですか。
「え、うーん……それだけで食べていけるかどうか、ですかね。私ぐらいの人、吐いて捨てるほどいるし。24歳までになんとか自分の名前で仕事が来るようにしたいんです」
エイジズムやルッキズムに繋がる話で、聞くことが憚(はばか)られる気持ちも強くあったが「今の仕事をしていて、年齢を重ねていくということに対する抵抗感はありますか」とうかがってみた。「もちろん」と即答される。
「若い人のほうがちやほやされるのは明らかですよね。こういうグループで『最年少メンバーです』と自己紹介することはあっても、最年長と紹介することってないじゃないですか」
ここで同行してくださってたマネージャーさんが「いや、それはケースによるよ」と発言されたが、一般的に吉乃さんが言われるケースは多いだろう。
「だからこそ、自分にしかないところを早く伸ばしていきたい。でも、何が自分にはあるんだろう……」
自問自答を繰り返しているようだった。しかしそれは健全な悩みというか、羽ばたくために必要な力は、養うべきものは何なのかと必死で考えている感じが伝わってくる。
この春には演劇をはじめて経験し、強いやりがいを感じた。今後はそちらの方面も頑張っていきたいと語る。
突然話が変わるようだが、今回の吉乃さんの鍋は炭水化物が入っていないことがちょっと心配だった。
炭水化物は太る原因と思われがちだが、れっきとした必須栄養素である。
吉乃さんのパフォーマンスも見てみたが、結構はげしく歌って踊る。エネルギーの源である炭水化物、カットし過ぎてないといいのだが。
「外で食べることも多いんですが、そういうときは同席の方が気をつかわれないよう普通に食べているんですよ。でもやっぱり体型のこともあるから、家では節制していて。姉が陸上をやってたこともあり、食べる大切さはいろいろと教えてくれてるんです」
自分の仕事上、見られることも仕事のうちという強い意識が彼女にはあった。節制しつつも健康体であることは基本と感じているようで、心強く思える。
デビューという夢を幸運にも一発目のチャレンジで叶えた吉乃さん。よく言われることだが、デビューまでは夢、それからはずっと現実問題だ。
結果を出したいと焦る気持ちって若い頃ほど強かったな、と20年以上前の自分の感覚がよみがえってくる。
そういう気持ちに押しつぶされないといいけれど……なんて勝手に思っていたら、伝わったのか「私、努力したら大抵のことは叶うと思ってるんです」と吉乃さんが言う。だからただ、努力し続けますと。
あっけらかんとした笑顔がなんとも、頼もしかった。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮らしと食」をテーマに、忙しい現代人のための手軽な食生活のととのえ方、より気楽な調理アプローチに関する記事を制作する。主な著書に『自炊力』(光文社新書)『台所をひらく』(大和書房)など。
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