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新聞の人生相談、時代超え変わらない悩み 昭和から多い「家族問題」
人はなぜ新聞の人生相談を頼ったのでしょうか?
人の悩みは、いつの時代も変わらない。新聞の人生相談コーナーをさかのぼってみると、そう思わずにはいられません。どの時代も多いのは家族についての悩み。相談者の多くは女性で、昭和の時代から変わらず夫との関係や子どもを心配する声が掲載されていました。
「媒酌結婚後、良人に愛人のあることを知りました。良人は、今日でも一切私には秘密にして居るのですが、私はどういふ態度をとつたものでせうか、毎日独りで迷つて居ます」
1931(昭和6)年に始まった、朝日新聞「女性相談」の第1回目。掲載された相談は「夫の愛人問題」です。
92年も前のため表現こそ時代を感じますが、相談内容にはそこまで古さを感じられません。むしろ既視感を覚える方もいるのではないでしょうか? 夫(妻)の不倫や浮気に関する相談は、現代に至るまで何度も寄せられています。
1963(昭和38)年の朝日新聞「身上相談」には「夫に愛人 私は破滅寸前」という見出しで夫の女性問題を嘆きつつ離婚を悩む相談が載り、1965(昭和40)年には「かけおちした妻」という見出しで、年下の既婚男性のもとへ行った妻との今後について迷う投稿がありました。
時は流れ、2009(平成21)年には朝日新聞で人生相談「悩みのるつぼ」が始まりました。連載2回目には、「既婚女性と『やばい』感じです」と既婚男性から自らの行動を反省する、けれど止められないという悩みが掲載されています。
朝日新聞には色恋の話を投稿しやすかった……わけではありません。
読売新聞の人生相談をまとめた『日本人の人生案内』(1988年、読売新聞社婦人部編、平凡社)にも、「妻子ある人と恋 陰の存在でもと思う職業婦人」(1950・昭和25年)や、「パートの妻、男と家出『結婚二十三年、やっとゆとりできたのに』」(1981・昭和56年)といった相談が寄せられていました。
子どもに関する相談も、時代を問わず似たものが並びます。
1931(昭和6)年の朝日新聞「女性相談」には、専門学校に入学した20歳になる息子が「堕落する」という内容が掲載されています。
「私共の知らぬ間に喫煙も飲酒も致して居るので御座います。(中略)私共一家のため及びこの前途ある青年のためこの際母として私の取るべき方法を御示し下さいませ」
時代を追ってみていくと、その後も子どもについて様々な相談がありました。
「三十六歳、中学三年をかしらに男の子三人の母です。(中略)先日、長男が学校の生徒会のお金千円ほどを着服していたことが発覚、学校から謹慎五日を申渡されました。(中略)自分が優等生だった夫にはショックだったようで、『曲がった根性を直してやる』と、やっきです」(1965・昭和40年、朝日新聞「身上相談」)
「高校二年の長男は順位は普通ですが、英語と社会が並みはずれて悪く、またレポート未提出のため欠点になっているものもあります」(1969・昭和44年、朝日新聞「身上相談」)
家庭にテレビがあることが当たり前になり、ゲーム機で遊ぶようになると、向き合い方への相談も出てきました。
「子供にテレビをどう見せるか」(1982・昭和57年、朝日新聞「読者が回答する人生相談」)
「ゲームに夢中の小三 注意すると『おめえ、うるせえ』」(1985・昭和60年、読売新聞「人生案内」)
「子どもにゲームを与えたくない」(2020・令和2年、朝日新聞「悩みのるつぼ」)
新聞の人生相談では読売新聞「人生案内」の歴史が長く、1914(大正3)年から100年以上も続いています(タイトルの変更や戦争で中断あり)。
大正期の読売新聞の人生相談欄を研究した、流通科学大学人間社会学部の桑原桃音准教授によると、新聞で人生相談欄が開設されたのは明治期のことでした。
1906(明治39)年にはのちに東京新聞となる「都新聞」で、読者の問いに新聞記者が答える形で掲載していたそうです。当時は恋愛、結婚、夫婦関係の相談は少なかったといいます。
人生相談欄は新聞以前に雑誌で連載されていました。『女性記者ーー新聞に生きた女たち』( 1994年、春原昭彦編、世界思想社)などによると、その後、新聞でも投書ブームが起こり、大阪毎日新聞で「家事問答」が、報知新聞で「家庭はがき便り」などの相談欄が新設されたようです。
桑原准教授は、大正から始まった読売新聞の人生相談欄が「新聞紙上の身の上相談欄において『一身上の出来事』を投稿できるスタイルを確立した」と指摘します。
相談者は男女関係なく、1日30~60通、面談も毎日5~15人ほどで、内容は「恋愛、結婚、夫婦の問題などのほかに、健康、法律、就職の斡旋や美容など」幅広かったようです。
1931(昭和6)年、読売新聞の相談欄は「悩める女性へ」と名前を変え、女性の相談を中心に扱うようになりました。
同じ年、朝日新聞も女性を対象とした「女性相談」を始め、開設8カ月で1万7052通の相談が寄せられています。
読売新聞、朝日新聞の共通点は、女性向けの紙面で展開していたことです。
桑原准教授は「当時の女性の社会的立場の弱さから身の上相談欄が出現した」と話します。身近な人へも相談しづらいことがあったそうです。
「一部の階層では、恋愛、結婚の話題を口にすることで、その女性の地位を低下させることにつながる傾向がありました。当時女性にとって恋愛はその後の人生において重要な問題であり、性関係や妊娠にもつながりやすい点で身体的リスクが高い問題でした」
「身の上相談の編集者の意図は、社会的弱者である女性の悩みを中心にひろっていきたい、私的な悩みを周囲に吐露する女性のリスクを考えて相談欄を女性向けにしたいといったものでした」
「女性の相談を新聞の相談欄が扱うことは社会的に意義があったと考えます。一方で、男性自身が悩みや弱みを吐露しづらい・してはいならない風潮とも関連があったのではと疑問がわくため、しっかりと検証していきたいです」
その後、朝日新聞で1963(昭和38)年に始まった「身上相談」には、1年余りで3000通ほどの相談が寄せられました。相談者は女性に限っていませんでしたが、約7割が女性。最も多い相談は「夫について妻からの相談」だったようです。
1974(昭和49)年に出版された『女・きのうからあすへー人生相談60年ー』(読売新聞社婦人部編、三省堂)によると、1972(昭和47)年の1年間に読売新聞「人生案内」に寄せられた投書はおよそ2000通。女性が8割で、相談内容は男女ともに「家族・生活」が一番多く、生活苦や肉親のトラブルが多かったそうです。
男女別に相談内容を見ると、女性で2番目に多かったのは「夫婦」、男性では「恋愛・結婚」でした。
SNSがない時代で、現在より新聞が身近なメディアだったこともありますが、人はなぜ新聞の人生相談コーナーに相談しようと思うのでしょうか。
哲学者の鶴見俊輔は、1956(昭和31)年に出版された『身上相談』(思想の科学研究会編、河出書房)の中で、新聞や雑誌に相談を投稿することについて「自分に代って考えてもらいたいという要求に根ざしている」と記しています。
「自分の問題を、世論の前にうちひろげ、世論にたいして自分の問題の重みをためして見るという働らきをも、もっている。また、自分の問題についてすでに自分であるていど方向づけた解決策に、世論の支持をえたいという考えもまざっている」
朝日新聞の「悩みのるつぼ」は2023(令和5)年現在も続いています。
担当編集長と編集者によると、相談者の年代は10~80代まで幅広く、多くは女性からで夫や子どもといった家族の問題について寄せられるそうです。
相談内容を見ると「女性は相手との関係性に悩み、男性は自分自身のことで悩みを抱えている」傾向があるといいます。
編集長は「相談に『正解』を出すことが目的ではなく、回答者の専門や人生経験を反映してお答えし、考え方を示す場です」と説明します。
「相談内容について家族で話すという読者もいますし、自身が回答者の立場となって意見を寄せてくれる方もいます。考えるアイテムになっているのかもしれません」
新聞の相談欄へは、普遍的な問いが寄せられることもあります。過去には「勉強はなぜ必要か」(1964・昭和39年、朝日新聞「身上相談」)や、「なぜ自殺はいけないのですか?」(2013・平成25年、朝日新聞「悩みのるつぼ」)という10代からの質問も寄せられました。
もしかしたら、今悩んでいることは過去に誰かが悩んでいたことかもしれない。新聞の相談欄をたどると、考え方のヒントが見つかるかもしれません。
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