話題
人工内耳〝バズ〟から見えた理想の社会像「聞こえない」人が望むこと
エンタメを「遠慮せず」楽しめる未来
聴覚障害がある人々向けに開発された、音声を聞き取りやすくするための医療機器・人工内耳。今秋、この機器にまつわる体験談が、SNS上で話題を呼びました。中途失聴者が登場するドラマが人気を博すなど、様々な立場にある人々への関心が高まっている昨今。誰もが暮らしやすい社会をつくるため、必要なこととは何でしょうか? 当事者、非当事者の関係性という観点から考えます。(withnews編集部・神戸郁人)
「知ってる方も、知らない方も、少しでも多くの人に届きますように」
添付されたメモ帳アプリのスクリーンショットによると、投稿者は開演後、近くに座っていた観客が何かを操作しているのに気付きました。そして録音機器ではないかと疑い、声をかけます。
しかし、その観客は耳が不自由で、人工内耳を使っていました。人工内耳とは、補聴器が十分な効果を発揮しない場合に、音声を聞き取りやすくする機器です。聴力レベルなどの医学的要件や、ユーザー自身の社会的背景を考慮して用いられます。
体外に据えたマイク付きの装置で音声を拾い、電気信号に変換。耳付近に埋め込んだ受信機と、耳奥の蝸牛(かぎゅう)という部位に挿した電極を介して、脳に伝える仕組みです。観客が持っていたのは、音量調節用のリモコンでした。
投稿者は「丁寧に説明してくださった」としつつ、「知識がないからと楽しみに来てる人を傷つけてしまうような声かけをしてしまった」とも記述。同様の事態が起きないように体験を共有した、と締めくくっています。
「知識としてみんなで共有した方がいい」「勇気ある声かけだし、とても大切なことが書いてある」。ツイートには称賛の声が寄せられた一方、「トラブル回避のため会場スタッフに伝えた方が良かった」などのコメントも書き込まれました。
ツイートした本人は、今回の一件をどう受け止めているのでしょうか。投稿者の7cさん(@___ooo777)を取材しました。
「当事者でないと知らないことが多く、それが原因で、無意識に誰かを傷つけてしまう場合もある。そう学びました」。7cさんが語ります。
いわく、今回関わりを持った観客は、劇中で曲が流れるたび、かばんの中でリモコンを操作していたといいます。類似の場面に立ち会う経験がなかった事情もあり、スタッフに報告する選択肢が思い浮かばず、とっさに声をかけたのだそうです。
「実際にリモコンを見せて頂くと、本当にボイスレコーダーのような見た目の機器でした。上映後、会場の外に出てからも、色々なお話をしました」
「人工内耳を装着していること。聴力が低下した経緯。出力の調節によって聞こえ方が変わること。そういった点について、優しく丁寧に教えてくださいました」
7cさんは従来、聴覚障害の当事者と交流したことがなかったそうです。補聴器や手話について、ある程度把握していたものの、人工内耳の知識もありませんでした。それだけに、今回の一件から、大きな影響を受けたと振り返ります。
「知識を得ることによって、あらゆる可能性を想像できると思っています。ツイートをご覧になった皆様が、知り、気づき、理解して助け合える。そうなったら、お互い生きやすく、素敵な世の中になるのではないかと考えています」
多くの人々が心を寄せた7cさんの投稿。実際に人工内耳を使用している人物にも、感想を聞いてみました。
東京都在住の社会福祉法人非常勤職員・森岡見帆さんは、両側感音性難聴の当事者です。感音性難聴とは、耳に入ってくる音をうまく聞き取れなかったり、ゆがんでいるように感じられたりする状態を指します。
「多様性を認める過程で、人工内耳や人工内耳ユーザーへの関心が高まるのは良いことだと思います。劇場側に(ユーザーへの)配慮について、来場者に説明するよう求める感想も見受けられましたが、完全な形で行うのは難しいのが現状です」
「一方で劇場やライブ、会議など、周囲の環境に合わせて人工内耳の調整を行う場面はあります。機器の使い方や、機能の詳細について、当事者が非当事者に説明することは大切です。今後、それが当たり前になっていくと考えます」
森岡さんは普段、人工内耳をどのように使っているのでしょうか。いわく、音量や音質の基本設定は、聴覚障害がある人の、言葉によるコミュニケーションを支える言語聴覚士が行います。その設定に慣れることが前提となるそうです。
設定を調整するかどうかは、使用者の事情によって異なります。森岡さんの場合、必要に応じて、サウンドプロセッサと呼ばれる機器本体のスイッチで、自らボリュームや音声認識プログラムを変えるなどしているといいます。
「私が身につけているものは、プログラムや音量の変更を、サウンドプロセッサで行うタイプです。ただ何度もスイッチを押してしまい、うまく状態を切り替えられたかどうか分からないことが、しょっちゅうあります」
「そのためツイートを見て、『リモートアシスタント(リモコン)を目視で確認できるとは、何と便利なんだろう』と感じました。機器を選ぶ際は、自分の聞こえの状態や、使いやすさも踏まえるのが良いと、改めて思います」
生まれつき耳が聞こえない森岡さん。人工内耳を使い始めて以降、補聴器では拾い切れなかった音声が、耳に飛び込むようになりました。なじみがない音に注意を向けながら、聞こえ方などの感覚を確かめていると話します。
「演劇やオペラ、ミュージカルなどを観る際は、舞台手話通訳や字幕といった観劇サポート付きの演目を選んでいます。また鑑賞中、セリフや歌詞が聞き取りづらいときは、人工内耳の設定を適切なものに変更しますね。自分なりに没入感や臨場感を体験しているんです」
森岡さんによると、人工内耳で聞き取った音声の捉え方は、聴覚に障害が生じた時期や聞こえの状態により様々です。中途失聴者の場合、過去に耳にした音を記憶していることが少なくありません。音楽などを楽しめることも多いそうです。
翻り、耳が生来聞こえない人にとって、音声は基本的に初めて出会うもの。どのような性質を伴うのかが分からず、一つひとつ記憶していくケースもあるといいます。
当事者が自らの世界を広げていくことを、側面から支援する。人工内耳は、そのような役割を担っていると言えるかもしれません。
他方、「知らないこと、知る機会がないということが、誤解と差別につながる」と語る聴覚障害の当事者もいます。立場を問わず使える施設や商品「ユニバーサルデザイン」の普及などに関わる、松森果林さんです。
松森さんは学生時代に聴力を失いましたが、人工内耳ユーザーではありません。その反面、ツイッター上で注目を集めた一件と通底する出来事を、過去に体験したと教えてくれました。
いわく、松森さんは劇場で「UDCast」と呼ばれるサービスを利用しています。映画の音声を文字化し、専用のめがねやスマートフォンの画面上に字幕として表示できるアプリです。
最近は上映前の段階で、劇場の利用客に対し、アプリについてアナウンスされることが増えているといいます。しかし数年前は、UDCastの関連機器を身につけているだけで、他の人々からいぶかしむように見られることが多かったそうです。
「周囲の視線が気になり、暗くなってから機器を装着していました。今はむしろ、アプリについて広く知って頂くチャンスと思い、積極的に使っています。ただ、それはあくまで私個人の話。遠慮しながら利用する人も、決して少なくありません」
技術革新によって、障害の有無を問わず、エンターテインメントを堪能できる機会は増えてきました。また中途失聴者の人生が題材のドラマ「silent」がヒットするなど、耳が聞こえない・聞こえづらい人々への社会的関心も高まりつつあります。
そんなタイミングだからこそ、当事者を交えて、UDCastを始めとした補助的ツールの周知策を議論する。その重要性がますます高まっていると、松森さんは強調しました。
「耳が聞こえるか、聞こえないかにかかわらず、一緒に(劇や映画を)楽しみたい。この願いを、当たり前に実現できる社会にしていきたいものです。そのために、まずはお互いについて『知る』ところから、全てが始まるのだと思います」
1/40枚