マンガ
私、〝透明人間〟じゃなかった…ろう者の母親を救った看護師の対応
「無視しない」当たり前の姿勢が持つ価値
ミカヅキさんは、長男・ちどりくんが3歳の頃から、かかりつけの病院に通っていました。院内の看護師のうち、とりわけ強い信頼を寄せていたのが、タツミさんという人物です。
口の形がはっきり分かるようにしゃべり、相手の唇の動きを読む口話をやりやすくしたり、先生との会話で分かりづらかった情報をメモしてくれたり。聴覚障害があっても、会話に支障が出ないよう、いつも細やかに配慮してくれたのです。
長女・かのこちゃんが生まれると、きょうだい共に診てもらうように。そしてかのこちゃんが生後7カ月の頃、高熱を出し、夫婦で病院に足を運びます。待合室が混んでいたので、同行した夫・コマさんは、マイカー内で待機するため離席しました。
「そういえばパパさんは?」「今後の流れを説明したいからパパさんにも来てもらお?」
かのこちゃんの細菌感染が判明し、治療方針を話し合うタイミングで、タツミさんから提案を受けたミカヅキさん。「……わかりました」と冴えない顔で応じます。
どうして気が晴れなかったのか。実は、過去の体験が影響していました。夫婦で病院を訪れても、スタッフが重要事項を伝えるのは、耳が聞こえるコマさんに対してだけ。ミカヅキさんは、いつも蚊帳の外でした。
ましてや今回は、他でもないタツミさんの口から、夫の名前が出たのです。「率直な気持ちとしては私に話して欲しかった」「また透明人間になっちゃうのかな」。しかし娘の体調が最優先だと思い直し、わき上がる疎外感をぐっと抑えます。
大事な話は全部夫の方に行くんだ。心の準備はできてる――。そう覚悟した先に待っていたのは、意外な展開でした。「じゃ、説明しますね」。そう切り出したタツミさんは、コマさんではなく、ミカヅキさんの目を見据えて話し始めたのです。
「私、透明人間じゃなかった」「ちゃんとここにいる」
タツミさんの振る舞いに、ミカヅキさんはいたく感動します。そして点滴の準備をすると告げられ、「お願いします」と答えながら、母親としてやり取りできた喜びをかみ締めるのでした。
漫画には「ハッとした」「聴覚障害以外にも当てはまる」といったコメントが連なり、3万超の「いいね」もつきました。
「漫画に描いたのは5~6年前の出来事です。普通のママとパパとして、夫と同じタイミングで情報を共有でき、とてもうれしく思いました」。ミカヅキさんは、当時の心境について、そのように振り返ります。
ミカヅキさんによると、看護師のタツミさんは、常に目の前の相手と真摯に向き合う人物でした。
たとえば子供に病状などを説明する際、情報を正確に伝えようとするあまり、最初から近くに控えた親と話す人々は少なくありません。
しかしタツミさんの場合、まず子供と対話し、質問への回答が難しいときにだけ親の意向を確認したといいます。
「相手が誰であっても、目の前の人を無視しない。そんな姿勢に胸を打たれました」
今回の漫画でミカヅキさんは、別の病院で経験した、苦々しい出来事にも言及しています。ちどりくんが生まれて間もない頃、急に発熱し、通院した際の思い出です。
わが子の容体について書き付けたメモを、受付の看護師に手渡したミカヅキさん。しかし相手は紙を一瞥(いちべつ)するやいなや、帯同していたコマさんと言葉を交わし始めたのです(詳細はこちら)。
「本来コミュニケーションを取るはずの相手を無視して、付き添いの家族などに向かって話すことを『第三者返答』といいます。私の場合、夫が耳が聞こえる人なので、これまで嫌というほど経験してきました」
なぜ、そんなことが起こるのでしょう? ミカヅキさんは、以下のような事情があるのではないか、と推測しました。
看護師は、患者の要望を受けて、臨機応変に行動する必要があります。特に混雑時は業務が立て込むため、一人ひとりの対応に、十分な時間が割けなくなりがちです。ミカヅキさんも、この点を重々承知していると語ります。
ただ聴覚障害者は、非当事者と比べて、第三者返答を経験しやすい状況に置かれています。常態化すると、他者から蔑ろにされたような感覚を抱くことにもつながり、心が疲弊してしまう恐れがあるのです。
「あらゆる感情や疑問を持つことも、声を上げることも諦め、『無』になってしまいたい。第三者返答にさらされ続けたとき、そういった気持ちになります。投げやりな私の姿を、子供たちが見たとしたら、どのように感じるでしょうか」
「『何が何でも私と話して欲しい』というわけではありません。相手や周囲の状況を踏まえ、何を最優先とすべきか考え、その都度ベストな選択をしていきたい。ただ今回の漫画を描いた背景にある思いについても、ぜひ知って頂きたいのです」
ツイッター上には、漫画に対する様々な反応があふれています。特に多いのが〝透明人間〟という表現に関する感想です。
「国際結婚すると、居住国出身ではない配偶者は、日常生活を送る中で何かと〝透明人間化〟してしまいがち」。「認知症患者も似た状況に陥りやすい」。そうした声を受けて、ミカヅキさんは次のように話します。
「〝透明人間化〟してしまう事態についての主張は、決して間違いでも、我慢して押さえ込まなければならないことでもありません。自分の中にある素直な疑問を、どうか無視せず、大事に持っていて欲しいなと思いました」
そしてツイートのコメント欄では、聴覚障害者との関わり方についての質問も散見されました。ミカヅキさんは「知ろうとする気持ちがとてもうれしい」とした上で、こんな風にも語ります。
「耳が聞こえない人と話すのは初めてという人から『接してみると、意外と普通の人なんですね』と言って頂くことが少なくありません。そう、普通なんですよ!(笑)知らないから、どう会話して良いか分からなくなるのではないでしょうか」
「まずはこういう人がいるよ、と理解してもらうことが必要なのかな、と思います。そして、聞こえない人の考え方は様々です。なるべく多くの当事者から意見を聞き、その方なりに接し方を見つけて頂けたらいいですね」
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