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連載

#17 名前のない鍋、きょうの鍋

いつもの鶏団子スープで家族と囲む… 地域を思う〝名前のない鍋〟

家族の好き嫌いも包み込む「鍋」の包容力

「鍋はいつも我が家を救済してくれてます」と話す粂真美子さん
「鍋はいつも我が家を救済してくれてます」と話す粂真美子さん 出典: 写真はいずれも白央篤司撮影

みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。

いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。

「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。

今回は、食のライターから政治家へ転身した女性のもとを訪ねました。

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名前のない鍋、きょうの鍋
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粂 真美子(くめ・まみこ)さん:1970年、埼玉県川越市生まれ。旧姓、小澤。専門学校を卒業後、アパレル会社に勤務。25歳で結婚退職したのち、アルバイト的に始めたライター・編集業が軌道に乗り、様々な雑誌に寄稿するように。食を専門とし、雑誌『東京カレンダー』『料理王国』の副編集長も務めた。2019年の統一地方選に出馬、現在は川越市議会議員。夫、両親、犬1匹と暮らす。公式HPは https://kumemamiko.com

まな板の大きさに圧倒された。

油揚げにキノコのパック2つを置いても、まだまだ余裕でスペースがある。あまったところで長ネギ1本をすいすい切れる。小学生の机ってこのぐらいの大きさじゃなかっただろうか。

「うちは両親に私と夫の4人家族、そして隣に住む弟夫婦とその子どもたちもよくごはんを食べに来るんです。8人分作るときもありますから」と、粂真美子さんは教えてくれた。

「人数が増えたときにも、鍋はいいですよね。うちの鍋はとにかく、ごった煮。シンプルなおいしさも分かりますけど、何でもいっしょくたに食べられるのが私にとってはいいところ。仕事が終わって急いで買い物して、あれこれ作っていられないですし。鍋はいつも我が家を救済してくれてます」

テキパキと食材を刻まれる、その包丁の構えがなんともいい。おや、大きなボウルを出して、たっぷりのショウガとひき肉をこね始められた。

「うちは鶏団子、よく入れるんですよ。塩、醤油にごま油で味つけ。母がずっと作ってきたものです。今は……私のほうがうまいかな」

そういってニヤリ。お正月にもこの鶏団子は必須で、醤油味のあんかけにしていただくそう。

鶏団子は先に煮て、きょうの鍋のスープにする。鍋の仕込みが一段落したところで、真美子さんのこれまでをうかがった。

今年52歳、生まれも育ちも埼玉県の川越市だ。かつての城下町の名残、蔵造りのまち並みが観光スポットとして人気である。

真美子さんが育ったのは市内中心部、にぎやかな商店街だった。

「みんな顔見知りでした。うちは農機具を扱うお店で、隣がお蕎麦屋さんで。にぎやかといっても、ちょっと行けば土手もあってヨモギを摘んだり、川で小魚釣って親が天ぷらにしてくれたり。イナゴつかまえて佃煮なんかも作ってたんですよ」

自宅前にて。好きなアーティストは松任谷由実
自宅前にて。好きなアーティストは松任谷由実

20歳のとき、アルバイト先のスキーショップで同い年の剛史(つよし)さんと知り合う。5年後に結婚した。

「やさしかったですね。彼の実家は板橋区の酒屋さんなんですよ。商店で生まれ育ったもの同士、分かり合う何かもあって。あと、私を否定しない。『そこ直したほうがいいよ』とか、そういうこと言わない」

百貨店に勤務する夫の剛史さん、右は愛犬のハルタさん
百貨店に勤務する夫の剛史さん、右は愛犬のハルタさん

専業主婦になるつもりはなかった。知人の紹介で、雑誌編集のアルバイトを始める。時は1995年、雑誌文化がまだまだ元気だった。

「やってるうちに自分でも書いてみたくなったんです。27歳でライター業を始めて、編集部によく売り込みに行きました。当時書いていたのは『東京ウォーカー』などの情報誌や男性ファッション誌が多かったです」

ライターを続けるうち、食に関する記事発信が専門になっていった。レストラン紹介を受け持つ機会も増えていく。

「あの頃はとにかく新店紹介を多く求められて。飲食店をよく手掛ける建築家や内装業者に直接当たって新店を見つけてましたね。工事中のそれっぽいところを目にしたら『何ができるんですか?』なんて質問もして。だんだんと、優れた料理人を探して記事にすることにやりがいを感じていきました」

ライターは「天職」とまで感じた真美子さんだったが、現在はなんと川越市の市議会議員なのである。どんな人生の転機があったのだろう。

「東日本大震災の後、復興に関する取材が増えていったんです。被災された地元を活気づけるため、様々な企画を考えては実行に移すキーマンが各地にいるんですね。そんな方々と出会ううち、私が育った川越にもこういう人材がもっといてくれたら……と」

ならば自分がやってみようか、という思いになっていく。社会貢献をしたいという気持ちも増した。地域活性を考えるなら、政治家になるのが近道ではないか……と、ここで夕飯の時間になる。いったん台所に移動だ。

「彼は私と違って几帳面」とは真美子さんの夫評。料理上手で、「焼きそばやナスのピリ辛炒めが特においしい」
「彼は私と違って几帳面」とは真美子さんの夫評。料理上手で、「焼きそばやナスのピリ辛炒めが特においしい」

先の鶏スープを鍋に入れ、一度沸かしてから食卓へ運ぶ。「持っていくよ」と、夫の剛史さんがサッと現れた。真美子さんの仕事が忙しいときは食事もよく作られるそう。

たっぷりの白菜に油揚げ、鶏団子に魚介の寄せ鍋。うしろのざるにはきのこ類やエビしゅうまいも載っている。別皿にはピーラーでむいた大根とにんじんも
たっぷりの白菜に油揚げ、鶏団子に魚介の寄せ鍋。うしろのざるにはきのこ類やエビしゅうまいも載っている。別皿にはピーラーでむいた大根とにんじんも

真美子さんのご両親に、今夜は隣に住む弟さんの息子、12歳の丈虎(たけとら)君も加わった。

お父さんは箸、お母さんは取り鉢、丈虎君は飲みものの用意と、連携がとてもスムーズで自然で、舌を巻く。座ってるだけの人はいなかった。

「お父さん、ポン酢取って」
「虎、ごまだれ取って」

調味料のパスが続く。そしてお母さんが鍋中で何かを探している。

「ねえ、タラどこ?」
「この辺にあったはず」
「行方不明になっちゃった」とさびしそう、好物なのだそうな。

ちなみにお父さんはタコ好き、剛史さんはポン酢が苦手。好みもいろいろのメンバーがひとつ鍋を囲む。鍋の包容力を思う。

みんなが箸を進める中、真美子さんの楽しみは晩酌だ。いい表情で飲まれるなあ。さて、議員になられた経緯の続きを教えてください。

「2015年頃、次の選挙を目指そうと思いました。行政との関わりを持とうと、まず市の農政モニターになって、農業振興審議会の審議員公募を受けて、受かることもできて。選挙活動資金はライター活動で貯めていきつつ」

地元の自治会にも必ず顔を出すようにして少しずつ地盤をつくり、2019年の統一地方選挙で当選。1960票を得た。

鍋の具がどんどんなくなっていく。さすがに5人だと早いなあ。

「シメはこの“ひもかわ”がうちのお決まりです」

きしめんよりさらに幅広の小麦麺で、埼玉県は比企郡のお店のものだった。ちなみにきょうの豚肉は川越産『小江戸黒豚』、味が濃くてうま味が強い。

「やっぱり、地元の食振興に貢献したいですね。音楽フェスなどでの文化振興にも力を入れています。性犯罪を減らすというテーマも取り組んでいることのひとつ。子どもたちが安心して暮らせる社会をつくりたい」

語気が強まった。

ダイニングテーブルの近くには資料がたくさん並んでいた。議会の質問準備に追われる日々である
ダイニングテーブルの近くには資料がたくさん並んでいた。議会の質問準備に追われる日々である

議員になってみて、「市民の方々は我慢強すぎる」と感じている。不便なこと、つらいことや不安があったらどんどん議員に相談してほしい、と。

「もっと使ってください、議員を。私たちは単なる地域の代表者。政治に対する不満を伝えるのはワガママでもなんでもないです」

ひもかわを元気にすすりながら、真美子さんは言った。

食卓をつぶらな瞳でずっと見つめていたハルタさん、今年11歳
食卓をつぶらな瞳でずっと見つめていたハルタさん、今年11歳

取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416

みなさんは、どんな時に鍋を食べますか?
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