連載
40年続けた自販機ビジネス、事業転換してわかった「業界の変化」
キャッシュレスに温暖化…強まる逆風
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キャッシュレスに温暖化…強まる逆風
77歳の父が事故った。そこで、前からの夢だった親子による「ミルクスタンド」作りを決意。その前に、しなければならなかったのが父の「仕事の終活」だった。「街の牛乳屋」から始まりベンディングサービスと呼ばれる自動販売機での飲料水の販売をやってきた父。実は、コンビニ商品の台頭やキャッシュレス化など、業界的に難しい局面を迎えていた。長年にわたって築いてきた地元とのご縁。40年続けた仕事の事業転換だけに、様々な決断を迫られることになった。
牛乳屋から始まり、自販機での飲料水の販売をしてきた私の父。ルーツである牛乳に原点回帰し、私と父の親子で自然放牧牛乳を扱うミルクスタンドを作ることにした。
しかし、その前に、やることが……40年にわたって続けてきた父の事業をたたまなければいけない。自動販売機での飲料水の販売、「ベンディングサービス」と呼ばれる父の「仕事の終活」だ。
街中で自販機の扉を開けて缶を入れている様子を見たことがある人も多いだろう。まさに、あれが父の仕事だ。
飲料メーカーからお茶やジュース、そして牛乳などを購入し、それを専用のトラック、通称ドリンクカーで運搬。自販機に一本一本入れていく。
父の場合、管理する50台程度の自販機が各所に点在しており、1週間周期で設置先を回りながら、在庫を補充していた。会社を立ち上げて40年。その前に個人でやってきた期間を含めると51年間、この仕事を続けてきた。
会社や学校、施設、通り道など、自販機は様々な場所に置いてあるが、自販機のビジネスは年々厳しくなっている。
要因の一つがコンビニだ。自販機で販売されているペットボトル飲料が割引されて安価で販売されているし、店内でいれるコーヒーもここ10年で広がった。
そんな中、飲料の利益率はかなり低いため、飲料メーカーは定価で販売できる自販機に力を入れている。そのため、飲料メーカーは自販機での販売を外注せず、自社やグループ会社が手がけるように行うようになっているという。結果、様々な飲料メーカーの商品が並ぶ父の会社のような「独立系」の自販機がシェアを奪われているのだ。
極め付きはキャッシュレス化。最近ではキャッシュレスで購入できる自販機は増えている便利なので私もキャッシュレスで買うことが多い。
しかし、キャッシュレス対応するための設備費は安くない。さらに、キャッシュレスは決済会社へ手数料を納めなければいけない。台数の少ない小さな会社では対応できず、大企業の自販機に取って代わられることになる。
さらに、ここ数年では温暖化問題で、環境負荷の低い自販機の導入を要望されることも増えている。自販機を取り巻く時代の流れに、父のような小さな会社は対応できなくなっていたのだ。
これだけ厳しい自販機ビジネスの中で追い打ちをかけたのが新型コロナだった。
父の会社の自販機の多くはスポーツ施設などに設置されていたが、施設の封鎖などもあり売り上げが前月比13%になった時もあった。
それでも、なんとか踏ん張っていたところ、昨年、父が交通事故に。認知症の祖母を養う必要もあり、77歳という高齢でも運転を続けていたが、さすがにこれはもう厳しい。今の仕事を辞めて、私と父でミルクスタンドを作ることになった。
決断はしたものの、そう簡単に物事が進むわけではない。業態転換するにしても、初期はある程度の収益確保が必要だ。そこで、父の仕事は完全にやめずに、外注化することにした。
自販機のビジネスは場所の権利がとても大切だ。父は長年地元で仕事をしてきた。イベントへの協賛、地元の団体への寄付など、地域への長年の貢献もあって、父を信頼して場所を貸してくれているところがほとんどだ。なので、場所の権利は保持しつつ、作業を外注してもらうことにした。
そこで、今までお付き合いのあった会社の方々に声がけをして、コンペをさせてもらうことにした。色々なご提案をいただいた中で、長年、父が付き合ってきた飲料メーカーさんにお願いすることになった。設置する場所はそのままに、今まで父親がやってきた業務を代行してもらう。つまり、50台の自販機が「独立系」から飲料メーカー系に変わることになったのだ。
外注が決まったら、今度は自販機の交換だ。契約の関係もあり、全ての自販機を、外注先のものに切り替えることになった。
自販機自体はどこでも大体一緒だが、売っている飲料は、その町、そのエリアによってかなり変えている。父は全て自分で現場に行って作業してきたので、設置先の方々や、お客さんともよく話をしていた。場所ごとに要望に合わせており、同じ中身はないほどだった。それが、自販機切り替えによって、ある程度メーカーの意向に沿う形で同じようなラインアップになる可能性もある。ただ自販機を切り替えると言っても、父親としては複雑な思いもあったようだ。
さらに、自販機の切り替え作業も簡単ではなかった。長年買ってくれたお客さんがいるから最後までちゃんと販売したい。そうした父の思いもあり、ギリギリまで自販機を空にしないよう、在庫をある程度入れ続けた。結果、切り替えるときに大量の余りが発生してしまった。
そして、いざ撤去。50台ほどの自販機に入っていたジュースやお茶、牛乳などは合計で4500本にものぼった。
余った在庫は、フードバンクと地元のスポーツ団体に渡すとことにした。常々、余った飲み物は自分のものにせず色々な人に渡したいと言っていた父。今までも、災害が起きたら倉庫の飲み物を寄付したり、コロナ禍で余ったジュースを自宅前で無料提供したりしていた。
フードバンクの担当の方と相談して、届け先は吉祥寺のカトリック教会に決まった。フードバンクの倉庫があり、そこから地域の児童施設などにいる子どもたちに食事を提供するそうだ。
ちなみに、その教会、昔、父が通っていたところだった。カトリック信者だった父は小さい頃、毎週のように訪れていたという。そのような場所に最後の缶が届くというのも何か不思議な縁だ。
寄付も全て終わり、倉庫は全て空になった。最後はトラックの処分だ。家族としては77歳になる父が高齢運転をすることに反対はしていたが、ずっと家の前にあったトラックがなくなるのは寂しいもの……。当然、父の気持ちは計り知れない。
ちなみに、父が運転してきたトラック「ドリンクカー」は、今のものでなんと7台目。自販機の販売では大量に缶を運ぶ&出し入れが多いため荷台が特殊に加工されている。
ディーラーさんのところへ届けにいく時、いつものように淡々と運転していた父だったが、もうドリンクカーを運転することはなくなる。きっと、寂しい気持ちだっただろう。
「ドリンクカー」の引き渡しで事業転換はようやく一区切りついた。半年にわたって様々な交渉や作業があった。個人事業主は簡単にやめられない。しかし、いざ終わると、あっけない。
終わった次の日。仕事がないのが寂しいのか、父は事務所にいた。やはり働くのが好きみたい。
ひとまず、ありがとう。自動販売機、ドリンクカー、父。これから自然放牧の「ミルクスタンド」作りが始まります。
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