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味方は自分しかいなかった発達障害の私 同じ苦しみ我が子には二度と
友達と物を分け合うという概念が理解できなかった――。子どものころから周囲と違う「生きづらさ」を抱えていたというふくふくさんは、子育て中に発達障害と診断されました。二人の子どもも昔の自分自身と似た生きづらさを抱えています。「同じような境遇の人たちに少しでも力になれれば」とブログのマンガなどで経験を発信するふくふくさんに、結婚するまで感じていた苦しみについて聞きました。
<発達障害>
発達障害は、生まれつきの脳の働き方の違いにより、幼児のうちから行動面や情緒面に特徴がある状態。興味や関心に偏りがあったり、コミュニケーションでの自分の気持ちを伝えたり、相手の気持ちを読み取ることが苦手な「自閉症スペクトラム障害」(ASD)や、発達年齢に比べて落ち着きがなかったり注意が持続しにくい「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」、全般的な知的発達には問題がないのに、読む、書く、計算するなど特定の学習のみに困難がある「学習障害(LD)」などがある。文部科学省の調査(2012年)によると、全国の公立小中学校の通常の学級に、発達障害の可能性のある子どもは6.5%在籍している。
(厚労省・文科省HP参照)
「子どもの頃から苦しかったのは、家族も含めて自分のことを分かってくれる人はいないということでした。外でいじめがあっても、自分の中のもう一人の自分と一緒に解決しようとしていた。味方は自分だけでした」
ふくふくさんは、自らが発達障害で他の人と感性が違い、こだわりが強いと分かったのは、自分の子どもたちが発達障害の疑いがあると言われたつい数年前のこと。診断がついたのは昨年でした。
子どもの頃から集団行動が苦手で、生きづらさを感じていました。ふくふくさんが子どもの頃は、世の中で発達障害が認識されておらず、十分な行政のサポートもなかった時代です。
学校では「言うことが聞けずわがままな子、空気が読めない子」と言われてしまっても、何も解決方法が見つかりませんでした。
幼少期から、友達とのトラブルが多かったと言います。例えば、物の貸し借りが苦手でした。
「一つの物を共有する」という概念が高校生までピンと来ず、幼稚園のころは、他の子は貸すことが出来ている中で、オモチャを貸してと言われると「嫌だ」と怒ってしまったといいます。
「当時は、『私がいまこれを使いたいのに、なんで他の子にわたさなければならないんだろう。先生も同じのをもうひとつ用意すればいいのに』と思い、どうしても納得ができませんでした」。
学校生活も苦労しました。授業を聞くことと、ノートに書き取ることが同時にはできませんでした。
また、「先生が書いた通りに書かなければならない」というこだわりがあり、教師が書いた文字の色や太さ、枠の形もそのまま丁寧に書き写していました。短期記憶が苦手だったため、一文字書いたら黒板を見て、の繰り返し。「授業を受けるというよりも、黒板を写すために学校に行っている時間でした」
しかし、席にはおとなしく座って板書はこなすので、「ちゃんと授業を受けている」と思われ、その大変さに気づいてくれる人はいなかったそうです。
授業はまじめに受けていてもテストの成績は良くないため、先生からは「もうちょっと勉強を頑張ろうね」と言われて終わり。特性から来る問題ではなく、勉強不足だと思われてしまっていました。
両親は4歳のときに離婚したため、ふくふくさんは母親の実家で育てられました。「母はひょうひょうとしていて、人の話をスルーするタイプ。つかみどころがありませんでした」。祖母は、言葉の表現があまり得意ではなく、自分の思い通りにならないとよく激高していたといいます。
「母親は、勉強ができなくても何かしら就ける仕事はあると思っていました。そのためか、私の成績がよくなくても『何とかなるでしょう』と真剣に捉えていませんでした」
学校では劣等生のレッテルを貼られ悔しかったといいます。高校になると、書き取るのを諦めて授業中に絵を描くようになっていました。
10代から芸能事務所に所属し、高校卒業後はアルバイトで生活していました。
ファミリーレストランのホール、コンビニ、事務、ゲームセンターなど経験した様々なアルバイトの中には、最も苦手な「一度にたくさんの事を同時に行う」いわゆる「マルチタスク」をこなす能力を要するものも多くありました。
「努力してもできないことばかりでした。例えば、飲食店のホールの場合、入店したお客さんを案内しているときに『すみません』と別のお客さんに言われた場合、入店したお客さんを席に案内している間に、呼ばれたお客さんのことを忘れてしまいました」
いじめは日常でした。「何を教えても同じ失敗を繰り返し、動くのが遅いのでいらいらされてしまいました。仕事をさぼっていると思われていました」。ロッカーで陰口を言われ、集団無視も。最終的には、居づらくなりアルバイトを辞めることが多かったといいます。
現在、ふくふくさんは結婚して2児の母親です。自らの白血病の闘病生活、子育てについてマンガやインターネットラジオを配信することで、やりがいを感じているといいます。
実は3年ほど前、ふくふくさんは白血病と診断され、闘病中です。発覚したのは、慢性骨髄性白血病。健康診断を受けたおかげで発覚が初期だったため、抗がん剤を毎日服用することで、入院や手術もなく過ごせているといいます。ただ、副作用には苦しみました。全身に発疹ができ、体が重く動けなくなるほか、髪の毛も抜けました。副作用を軽減するため薬を飲む量を減らし、現在は何とか落ち着くことができているといいます。
白血病になり、子どもたちの将来への考え方も変わったといいます。「人間はいつ死ぬか分からない。それなら、『将来よい会社に入らなくては』と心配するよりも、1日1日いかに大切に生きるかということの方が大切。子どもたちには『今を大切に』生きることを私の生き様を見せながら伝えたい」
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