IT・科学
蛭子能収さんの〝つらくない認知症〟 ギャンブルやめて見つけたもの
「知らない人と話すのが好き」
「つらく見せなければいけないかなって思うくらい……それはだめか」。認知症であることを公表している、漫画家・蛭子能収さんから返ってきたのは意外な言葉でした。 2014年に軽度認知障害と診断を受け、2020年7月に放送された健康情報番組の中で、レビー小体型認知症の可能性が高いと診断された蛭子さん。認知症になってからの日々の過ごし方や、介護の様子について、17年間連れ添うマネジャーの森永真志さんに同席してもらい、YouTube「たかまつななチャンネル」で聞きました。
――本日は蛭子さんの認知症について、お伺いしたいと思っています。初めて認知症と診断されたときは、どんな気持ちでしたか?
蛭子さん)
認知症って、そんなに大した病気ではないと思っていたんです。1週間もすれば治るんじゃないかな、と。実際は長引く病気だということを、のちに知りました。それから専門の病院に行ったような気がするけど……(マネージャーの森永さんに)行ったかな?
マネージャー)
はい。今も通院していますよ。
――病院にいつ行ったか、なども忘れてしまうことがあるんですね。
マネージャー)
でも、もともと人の名前が覚えられないなど、忘れっぽいところがあります。
蛭子さん)
そう。昔から、人の名前が全然覚えられない。
――認知症としてはどんな症状がありますか。たとえばレビー小体型認知症の場合、実際には見えないものが見える「幻視」の症状が現れることもあると伺ったのですが。
蛭子さん)
俺も見たことがあるんですけど、何を見たのか忘れてしまった。デパートで何かが見えたんですよね。そんな大したものじゃないのかもしれないけど。
マネージャー)
「デパートの売り場で、電車が走っているのが見えた」と話していましたよ。
蛭子さん)
電車が見えるって言ったっけ? 本当かな。要するに、ずっとボーッとしているような状態なんですよ。何かが目の前を通ったような気がするんだけど、何が通ったのかがわからない。頭の中に、情報が入ってこないような感覚なんですよね。
マネージャー)
他にも、洗濯カゴを奥さんに見間違えたと言っていました。奥さんが倒れているように見えたと。
蛭子さん)
それはあったね。女房が倒れたように見えたんですけど、全然倒れていないんですよ。一緒にいたマネージャーが「違う違う」と教えてくれました。
――幻覚が見えるというのは怖いですね。
蛭子さん)
怖くはないです。幻覚を見ている、と自分で思っていないので。
――過去のインタビュー記事をいくつか読ませてもらったのですが、「レム睡眠行動障害」によって睡眠時に暴れたり、夜間頻尿があったりしたと書いていました。
蛭子さん)
自分ではそういうことがあったとは思わないんです。夜にお手洗いに行ったとかも、全然覚えていないんですけど…。
マネージャー)
一晩で5・6回は行っていましたよ。
蛭子さん)
一晩で? 自分ではわからないんですよね。
――認知症になってから仕事や生活は変わりましたか?
蛭子さん)
仕事…変わったかね?
マネージャー)
変わりました。認知症に関する取材が多くなりましたね。
――奥様との関係性は変わりましたか?
蛭子さん)
どうだっけね。
マネージャー)
すごく変わりましたね。蛭子さんが奥さんのことを「好き好き」という感じで、ずっと奥さんのそばにいます。
蛭子さん)
離れていると、寂しいと思うようになったんですよ。すぐに家に帰りたくなっちゃう。「帰りたい、女房に会いたい」という気持ちがどんどん大きくなっている。だから、常に女房のことを考えています。
――以前は違ったのですか?
蛭子さん)
昔は怒られてばかりでした。俺がギャンブルばかりしていたので。それは間違っていたなと思いますし、今では謝りたい気持ちでいっぱいです。
最近は女房に「ありがとう」と言う回数も増えました。とにかく「ありがとう」とばかり言っています。女房が一番好きですし、本当はいつも一緒に行動したいくらいです。
マネージャー)
昔は照れて「ありがとう」も言えなかったんですよ。
蛭子さん)
言えないとまずいなと思って。
――最近はギャンブルもあまり行かれなくなったのですか。
蛭子さん)
まったく行っていないです。パチンコ、麻雀、競艇、全部やめました。
――それで今、奥様と一緒にいる時間が楽しい、ということなんですね。
蛭子さん)
そうですね。前から楽しかったんだけど、今は特に。これまでと変わらず、ごはんをちゃんと作ってくれますし、おいしいです。ただ、迷惑はすごくかけていますね。
――奥様が介護されているそうですが、自宅での介護は大変ですよね。最近、蛭子さんはショートステイ(短期入所生活介護)にも行ってらっしゃると伺いました。
蛭子さん)
最初からその施設に入っていたんだっけ?
マネージャー)
いや、介護する奥さんの体力を回復するために、行き始めたんですよ。
蛭子さん)
本当はショートステイも乗り気ではなかったんだけど、女房と話して「ちゃんと入らないとだめだ」と言われてね。俺はショートステイが何なのか、そもそも知らなかったんですけど、入ってみたら、いいものなのかなって。
マネージャー)
イラストを描くなど、いろいろなことをやっているみたいです。結構楽しくやっていると、僕は聞いています。
蛭子さん)
俺が家に帰ると、女房がまず「私の名前は分かっている?」と聞くんですよ。忘れちゃうことも昔はあったんですけど、今はなるべく女房の名前を覚えて帰らなきゃ、って思っています。
――自分が認知症だと考えると、つらくなることはありますか?
蛭子さん)
そんなにつらくはないんですよ。もっとつらく見せなければいけないかなって思うくらい……それはだめか。認知症になろうが仕方がない、生きていくことはできる。そんなふうに考えているから、さほどショックを受けてはいないんですよね。
――今日お話を伺っていても、明るく、悲観されていないように見えます。認知症であることも、前向きに受け入れられたのでしょうか。
蛭子さん)
俺、人が思うのとは違うことを言いたくなるんですよ。
――天邪鬼なところがある?
蛭子さん)
よく言われました、天邪鬼って。多分そういう性格だから、深刻になりすぎると笑っちゃうんですよね。
――認知症で苦しんでいる方や、受け入れたくないという方へ、何かメッセージはありますか。「出来事やものを忘れていくのがつらい」と思う方もいらっしゃると思うのですが。
蛭子さん)
俺もそれは思いますけど……何だろうな。これ難しいな。俺は、知らない人を見たり、話を聞いたりすることが好きなんですよ。「この人、おもしろいことをやっているなあ」と人の動きを見るとか。だからそういうのを……あれ、わからなくなってきたな。
マネージャー)
何か楽しみを見つけられるといいですよね。蛭子さんは、公園に散歩しに行くのが好きじゃないですか。子どもたちが遊んでいるのを見るのが好き。
蛭子さん)
そうそう。あとは、若い人の中に、俺みたいなのが好きな人もいるんですよ。若い……人気者で……。
マネージャー)
有吉さん?
蛭子さん)
有吉さんだ。有吉さんとかが気にかけてくれるのは、嬉しいですね。活躍している人たちに俺はついていって、これからも生きていきたいなと思います。
――今、介護をしている人に対して、何かメッセージはありますか。
蛭子さん)
介護をしている人たちには、本当に「ありがとうございます」と思っています。会うたびに「ありがとう」という一言は言いたいです。俺も、女房のことを忘れないようにして、家に帰らなきゃいけませんね。
――蛭子さんのお話を聞くことで、少し病気のことを前向きに捉えられた方もいるんじゃないかと思います。ありがとうございました。
(取材:たかまつなな、監修:精神科医・森隆徳、編集協力:塚田智恵美)
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〈たかまつなな〉笑下村塾代表取締役。1993年神奈川県横浜市生まれ。時事YouTuberとして、政治や教育現場を中心に取材し、若者に社会問題を分かりやすく伝える。18歳選挙権をきっかけに、株式会社笑下村塾を設立し、出張授業「笑える!政治教育ショー」「笑って学ぶ SDGs」を全国の学校や企業、自治体に届ける。著書に『政治の絵本』(弘文堂)『お笑い芸人と学ぶ13歳からのSDGs』(くもん出版)がある。
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