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舞台「志村魂」メンバーが明かす志村けん伝説「終わった気しない…」
豪快な飲み会、楽屋で読んでいた手紙
2006年から開催され、毎年恒例の人気舞台となった『志村魂』。共演者たちは主催・主演の志村けんさんをどう見ていたのだろうか。主要メンバーであるダチョウ俱楽部の肥後克広さん(59)、寺門ジモンさん(59)、上島竜兵さん(61)、ラッツ&スターの桑野信義さん(64)、俳優の坂本あきらさん(72)、野添義弘さん(63)、西村直人さん(52)。タレントの磯山さやかさん(38)、女優の種子さん(52)、パフォーマーの川村理沙さん(37)に公演中や酒席のエピソードなどを含めて話を聞いた。(ライター・鈴木旭)
――公演中、もしくは本番が始まる前の志村さんというと、どんな場面を思い浮かべますか?
種子:たまに女子楽屋をパトロールしてたことがありましたよ。もう、ふいに。
川村:あと子どもたちからもらったお手紙とかを、楽屋の机の上に置いて読んでましたね。「こんなこと書いてあるんだよ」とかって笑いながら。
寺門:本番中のエピソードで言うと、バケツの水をバーンッとかけて笑わせるコントがあるんだけど、それを見た一番前の子どもが怖がってギャーッと泣いちゃったことがあるんです。少ししたら収まったんだけど、志村さんがそれをちゃんと覚えてて。舞台が終わる最後の挨拶の時、泣いてた子にグッズを全部持って行って「観に来てくれてありがとう」って渡したのを覚えてます。師匠はお客さんにも優しかったね。
上島:俺が笑っちゃったのは、ステージの下とか衣装とかによく見ると芝居のセリフが書いてあるの。あの人うまいから手ぬぐいでごまかしながら、下に書いてあるセリフを読んだりするんです(笑)。それテクニックなんですけどね。芝居はセリフが長いし、前後しちゃうとストーリーがぐちゃぐちゃになっちゃうから。でもそれだけに、やってて笑いそうになるんですよ。
磯山:私は名前をよく間違えられました。「一姫~」(「一姫二太郎三かぼちゃ」)だと、みんな役名に二郎とか三郎とか数字が入るけど、私だけ「安子」。それもあって、ずっと出る時に「何だっけ?お前」「安子です」ってやり取りして。そのうち、「安子」って書いた紙を上下の舞台袖に貼り始めるんですけど、それでは収まらず(笑)。揚げ句の果てには「磯山さやか」って貼り紙があった。出ずっぱりだから仕方ないんですけどね。
桑野:コントをやってる師匠は生き生きしてましたよ。『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)のスタジオコントも楽しそうだったけど、やっぱり舞台がよかったんでしょうね。前にご本人が「生の舞台はお客さんの反応を直に感じられるからいい」とおっしゃってましたから。『8時だョ!全員集合』(TBS系)が原点にあるんだと思います。
三味線もすごかった。3時間を超える舞台で一幕の後の休憩時間なんかちょっとしか休めないんですよ。そこで切り替えて三味線を弾くっていう、あれが素晴らしい。もちろん技術は、プロに比べたらってところはあるでしょうけどね。毎回、毎回、あの切り替えは、ほかの人じゃできないと思う。
――公演中、または稽古期間中の飲み会で印象的なエピソードはありますか?
上島:いつかの飲み会で、ある人がリーダーのツッコミをすごく褒めたことがあって。前に志村さんも「リーダーは本当にうまい」と言ってたから、僕もそれに乗っかって「リーダーはこういうトコもうまい」って感じで褒め続けたんです。そしたら、褒め過ぎちゃって「俺のほうがうまいよ!」って逆に怒られた(笑)。そういうかわいいところもありましたね。
西村:公演期間が終わってからなんですけど、突然志村さんから飲みのお誘いを受けたことがありました。高級クラブに行ったんですけども、2人だけなんですよ。ちょっと気まずいなと思ってたら、あるタレントさんが隣のテーブルに別で来られていて、結局3人で飲むことになって。
その後、別のお店に移動したんですけど、結局僕は寝てしまったんです。翌日、平謝りしたんですけども、二度と呼ばれなくなりました(笑)。
川村:私も思い出しましたよ。当時、よく飲んでた鉄板焼き屋さんから東京タワーが見えて、飲む前に「ライトが消えたら帰る」っていう約束を毎回するんです。消える時間になると、「3、2、1」ってカウントダウンするんですけど、「帰りましょう」と言っても一向に帰らない。
それが4日間ぐらい続いたから、今日は絶対に帰らせようと思って。普段よりも濃いめのお酒を作って渡してたら、3杯目に「お前、俺を酔わして早く帰ろうとしてんな」って怒られました(笑)。
桑野:酒飲みってね、そういうの敏感なの(笑)。わかるんだよ、酔ってても。
野添:『志村魂』のメンバーって最終的には17、8人ぐらいに落ち着いたんですけど、僕が入った頃は二十数人。稽古終わりに近くの居酒屋さんに全員で飲みに行くんですよ。夜9時半とか10時ぐらいから始まって、12時半ぐらいになると「終電大丈夫かな」ってみんなソワソワし始める(笑)。
でも、志村さんがいるから誰も帰れない。お金ない人も多かったから、「みんなでタクシーに乗って帰ろう」みたいになるんです。そしたら志村さんが、「何人?」と言って1人ずつタクシー代を渡していって。あれはちょっとビックリしましたね。みんな喜んで帰っていったのを覚えてます。
坂本:僕は埼玉だからちょっと遠いんですよ。それで志村さんが「坂本さん、持ってって」とタクシー代を渡してくれる。でも、多くもらうから余っちゃうんですよ。翌日にそのお金を渡そうとすると、「俺はそんなつもりであげたわけじゃない。使ってくれ」と言ってね。現金では返せないから、今度は扇子や入浴剤を買って持って行くんだけど、そのたびに「坂本さん、そういうのはいいから」と言われましたね。
野添:最初の頃はよくカラオケも行きましたね。志村さんは吉幾三さんが好きでいつも歌ってました。
上島:志村さんから「1番俺で2番お前な」と言われて、僕と2人で「酔歌」を歌いながら泣くんですよ(笑)。
桑野:地方のどっかに行った時に、まさにその歌で竜ちゃんと師匠が泣いてた(笑)。僕も泣いた振りしたもん。
――『志村魂』は松竹新喜劇の演目も見どころの一つでした。志村さんが藤山寛美さんやお芝居について何か語っていたことはありますか?
寺門:いつも寛美さんの舞台映像を見られてましたね。細かいギャグからアドリブも全部把握して。そのうえで、「大先輩がやってることを自分なりにどう見せようか」と考えながらやられていました。やっぱり寛美さんのものだし、“大阪のお笑い”っていうのがあるから最初のうちは大阪方面でやるのを嫌がってましたよ。
桑野:最初は大阪公演なかったもんね。でも、実際にやったらすごいウケてた。
寺門:そう、ウケてた。やり続ける中で、誰にもできない志村さんのお笑いになっていくんですよ。僕らは最初からいるので、大阪で嬉しそうにやってるのがすごいことだなと思って。僕とか竜ちゃんは寛美さんの舞台も観てるから、ずっと一緒にいて「うわー」って感動しましたよ。
上島:日増しに自分のものにしていったからね、寛美さんが宿ったように。ちょっと失礼な言い方になっちゃうけど、モノによっては少し寛美さんを超えてるところがあったと思う。それぐらい素晴らしい芸だった。
肥後:別物ですからね、寛美さんの「阿保」と志村さんの「バカ」は。もちろん台本は松竹新喜劇だけど、ぜんぜん違う。志村さんが磯山さんの足見て「大根だ」なんて言いながら、「うぇぁー!」とか「うぇぉー!」とかやってたじゃない?その一言でドッカンドッカン球が投げられる。それって志村さん独自のものですから。
お芝居は、野添さんと志村さん、そこの親子関係のアドリブで引っ張っていくんです。その中で野添さんが笑い死にしそうになってるのが最高に面白かった。野添さんじゃなきゃあの絡みはできない。上島さんとやってもお笑い芸人の絡みになっちゃうから。
野添:でもプレッシャーの中でやってましたよ。志村さんは津軽三味線の稽古もやられてましたけど、やっぱり時間的にはお芝居が一番長かったんじゃないですかね。コントはほとんど1回合わせて終わりでしたけど、お芝居はキチッと見せるっていうところにこだわってたんだと思います。
肥後:種子さんはいろんな役やったけど、「一姫~」の母親・おひさ(種子さん)と息子・三郎(志村さん)の親子愛が本当によかったね。
種子:その分、本当にしんどかったです。稽古から絶対手を抜けないお芝居だったから、「またやるんですか」って内心気が気じゃなかった。でも、志村さんは「一姫~」が大好きだったんですよ。それもあって、もう1回1回、100%の力で私はやり切ったっていう自負があります。
磯山:私は“アドリブのように見せるお芝居”を学ばせてもらいました。観た方が楽屋挨拶に来て「あれアドリブだったの?」って聞かれると、「よしっ」みたいな。それがすごく嬉しかったですね。
――志村さんが他界されて約2年経ちましたが、ふと志村さんを思い出すようなことはありますか?
寺門:夏はソワソワしますよ、やっぱり。季節感として真夏に舞台があったから、体の中に染みついてる。
肥後:去年の今頃かな。『志村魂』の稽古の夢を見たんですよ。上島さんが「今度のあれ稽古しようよ」と言って来て、「今終わったばっかりなのに面倒くさいな」って答えたら、志村さんが「リーダーやろうぜ」とやって来る。その時に「この人もう亡くなっちゃうから、今のうちに思い出作ろう」って思った自分がいたの。
それでハッとしたんですよ、「あ、死を受け入れた」って。最近よく見るのは、舞台の上で「志村さんが生き返った!」って、みんなで慌てて着替える夢(笑)。「志村さんいるよ、ステージに!急がないと」っていう。死を受け入れて、生き返るってことなのかな。
坂本:僕ね、楽屋の化粧前に必ず東八郎さんの写真立てを置いてるんです。志村さんが亡くなってからは、そのお写真も。芝居に出る時は「これから舞台に出て来ます」と伝えて、終わってからは「今日も無事にケガなく終わりました」とご挨拶して帰るんです。その2人がいることで芝居をやる力が湧くの。だから感謝してます。僕ももう少し頑張ろうと思うので、それまで見守っててくれると嬉しいですね。
磯山:コロナ禍だからこそ、志村さんの笑いを見たいなって思いますね。私の場合はバラエティーで、「志村イズム」って言ってくださるんですよ。そんなふうに、周りの方も名前を出してくださるので、そこで余計に志村さんを感じるっていうのはありますね。
種子:私も周りの人からの声で思い出すことが多いですね。昔、舞台を見に来てくれた人が「思いっきり笑いたいんだよ」とかって言うと、「あー、そうだよなぁ……。思いっきり笑ってないなぁ最近」って。
川村:みなさん同じだと思いますけど、私も毎日ちょっとしたことで思い出しますね。
磯山:本当に仲良しだったから余計にね。理沙ちゃんは志村さんの親友だもん。
肥後:志村さんが恋愛の相談するんだから。
上島:そうそう。みんなが行けない時でも、理沙ちゃんだけは行って付き合ってあげてたしね。
川村:(目に涙を浮かべて)友だちだったんですかね、ハハハッ……。
上島:まぁ毎日思い出しますよ、良きにつけ、悪しきにつけ。ずっと流行に敏感な方でした。晩年の『志村魂』の時なんか、ネタ作りでTikTok見てましたから。「若い人に遅れたくない」って気持ちがすごいありましたよ。だって、TikTokで舞台のネタなんか探します?すごいなと思うわ。
桑野:昔から笑いに貪欲な方でした。僕が思い出すのは、最後に会った時のことです。城下のどこかに飲みに行っちゃう前の『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)の収録。12月の暮れだったかな。久しぶりに「悪代官と廻船問屋」のコントがあって、打ち合わせに行ったら「いつも通りな」みたいな感じだったんです。
普段は体のことがあったからお酒は付き合えなかったんだけど、そのコントの中で久しぶりに本物のお酒を午前中から飲んで(笑)。あれが僕にとっては最後のシーンであり、最後のお酒だった。でも、もう1回だけ飲みたかったな、コントじゃなく。きっとまた出て来ます。
野添:京都の現場で内藤(剛志)さんとご一緒した時に「志村さんの番組で真っ裸になってスタジオを走り回ったりしたのがすごくいい思い出になってる」とおっしゃってましたね。俳優でも、志村さんと一緒に仕事したかった方は本当にたくさんいました。
実は僕、お亡くなりになる3週間前にNHKの朝ドラ『エール』でご一緒してるんです。僕が兵隊さんの役で、志村さんと2人だけのシーン。台本上はシリアスなんですけど、もうテストの時から下ネタ言い出して(笑)。スタッフも大爆笑でしたけど、笑っちゃってこっちがやりにくいなって感じでした。もちろん本番はちゃんとやってましたけどね。テストとかリハーサルやる時も、常にスタッフの人たちを笑わせてましたね。
西村:僕は『志村魂』と同じぐらいの時期にスタートした舞台があるんですけど、それが毎年同じぐらいのペースでやっていて、今度20周年を迎えるんですよ。そっちの舞台でコミカルな役を担当していて、さやかちゃんじゃないですけど、ちょっとやると「志村さんみたいだね」ってよく言われます。別に意識してるわけじゃないんですけども、やっぱりどっか志村イズムというものが入っていると思うんです。
一緒にいる時間が長かったし、すごく密に親しくさせてもらったのもあって、親戚とかファミリーみたいな感じになれた。そのことで、バラエティーでは見られない志村さんのすごさ、弱さ、強さみたいなものが絶対に染み込んでる。微力ながら、その志村イズムを次世代に伝えていくのが使命なんじゃないかなと思っています。
肥後:まだ『志村魂』が終わった感じもしないしね。いつかファイナルやりたいね!
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