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志村けんが50代で役者業を始めた理由 弟子が明かした〝ぶれない軸〟
根本にあった「俺はコメディアンだ」
志村けんさん(享年70)は朝の連続テレビ小説『エール』に出演するなど、50代になって役者業にも力を入れていた。そんな変化を間近で見ていたのが、志村さんの弟子で元付き人の山崎まさやさん(52)だ。『Mr.ビーン』など映画の再現シーンを自分のパロディーコントに昇華させた志村さん。「そもそも俳優ができる方だった」と語る、師匠の〝ぶれない軸〟について、山崎さんに語ってもらった。(ライター・鈴木旭)
山崎まさや
――志村さんのコント番組にカナダ出身のコメディアン「レスリー・ニールセン」がゲスト出演したこともありました。現場はどんな雰囲気だったんでしょうか?
最初の共演が『加トちゃんけんちゃんごきげんテレビ』(TBS系)。レスリーさんが映画『裸の銃(ガン)を持つ男』で来日したタイミングですね。僕も映画を観たことがあったから、「うわ、すげぇ!」って感動しました。僕と背はそんなに変わらないと思うんですけど、すごい体格がよくて銀髪の横分けが格好いいんですよ。
相対的に、加藤さん、志村さんがよりちっちゃく見えました(笑)。お三方とも、すごく楽しそうにコントをやっていたのを覚えてます。スタジオに緊張感がないんですよ。いつもの段取り、決めみたいなものはあんまりなく、自由にやってましたね。その後、『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)でも共演したんですよね。
――収録現場以外で印象に残っているエピソードはありますか?
レスリーさんが手のひらに隠れるくらいのポンプみたいな玩具を持ってたんですよ。そのポンプに力を加えると、「ブッ、ブーッ」とけっこう生々しいオナラっぽい音がする。加減によっていろんな音が出るんですけど、その音を聞いた志村さんが「ん? 何だこれは」と反応するわけです。しばらくして、レスリーさんが種明かししたんですけど、どうやらアメリカのジョークグッズだったみたいで。それを志村さんにプレゼントしたんです。
一時期志村さん、それをずーっとポケットに入れて持ち歩いてました。好きなコメディアンからもらって嬉しかったのもあるでしょうし、ブーブークッションみたいな安っぽい音じゃなくてリアルな音だったから気に入ってたのもあると思います。
志村さんがポケットに手を突っ込んで、「ブッ」とやると本当に周りは「誰だよ」って顔をするんです。たとえば女優さんとかアイドルの方が来た時に「ブッ」とやる。そしたら志村さんが怪訝そうな顔で僕に「おい」って言うんですよ。それで僕も「すみません」って頭を垂れると、「空気読めよ」とかって諭される。
少し経つと、また志村さんが素知らぬ顔で「ブッ」とやって、「おいお前、いい加減にしろ」みたいなやり取りを繰り返す。「すみません、こいつが。お前何食ったんだよ、昨日」とかやってると、アイドルの方とかがだんだん恥ずかしがって来るみたいな(笑)。そういうドッキリみたいなことをずっとやってましたね。
――志村さんはよく海外作品のパロディーをやられていましたよね。
『だいじょうぶだぁ』だったと思うんですけど、『Mr.ビーン』(ローワン・アトキンソン主演のコメディードラマシリーズ。後に映画化、アニメ化もされた)とかバスター・キートンのパロディーもやってましたね。
『Mr.ビーン』のほうは、男がテレビを買って来て段ボールから出すんですね。ただ、そのままだと砂嵐で映らない。あれこれ試すうちに、隣の部屋に置くと映ることに気付くんです。でも、それじゃ自分は見られない。それで右往左往すると、服を脱ぐごとに映像がクリアになることがわかって。ズボンを脱ぎ、シャツを脱ぎ、最後は全裸になって段ボールで股間が見えないように固定しながらテレビを見るってオチなんです。
それが見事に再現されていて、感動しちゃいましたね。もちろんそこには、志村さん独自のリアクションがあったり、細かな動きがあったりするので『Mr.ビーン』とはまた違うんですけどね。
――パロディーであれ、言葉のいらないコントこそ志村さんの真骨頂という感じがします。
バスター・キートンのほうもすごかった。映画の中で、家の前に立ってる男のほうに壁がバーンッと倒れて来るシーンがあるんです。ただ、男がいるトコだけ窓か何かで繰り抜かれてて無傷のまま。それを『だいじょうぶだぁ』でやるとなったんです。
前もってレンタルビデオ屋さんに行って借りて見たんですけども、これも本当にそのまま再現してる。朝スタジオに入ってセット見たら、あまりに同じだから僕笑っちゃうんですよ。志村さんも「よく作ってるな、これな」って満足そうでした。
とはいえ、2階建てぐらいの高さの壁が倒れて来るから危険なんですよ。体にぶつかったらシャレにならない。「僕、代役やりましょうか?」って言ったんですけど、「体がデカ過ぎてお前じゃ代役にならない」と。結局ADさんが代役でリハーサルをやって立ち位置やセットを微調整したんです。ものすごい緊張感でした。
いざ本番となったら、志村さんが最高のリアクションをして大爆笑ですよ。またそのリアクションも映画とまったく一緒で感心しきりでした。映画からモチーフを引っ張って来るっていうのは、志村さん毎回のようにやられてましたね。『エルム街の悪夢』『13 日の金曜日』『ゾンビ』みたいなホラー映画もそうです。
『8時だョ!全員集合』(TBS系)でも、名探偵・金田一耕助のパロディーをやってましたよね。志村さんの背後に幽霊が出て来ると、「志村、後ろー!」って会場が沸くコント。あれが原点じゃないですかね。そこから変なおじさんでもホラーっぽい手法が使われるようになったんだと思います。
――いかにギャップで笑わせるか、という原点は『全員集合』にあったと。
志村さんってパロディーはやりますけど、「そこに持って行くアプローチ」とか「いかにして壁が倒れて来るのか」っていうプロセスはオリジナルなんですよ。そこは志村けんワールドにして、「この部分だけあのシーンを再現してみよう」っていうような組み立てがそばで見ていて面白かったです。
打ち合わせとかネタを作る会議でも、まずは映画を作家さんやスタッフさんに観てもらう。当時はVHSですから、何度も何度も巻き戻して「このシーンなんだよ」「これをやりたいんだよな」っていうのをよくやってましたね。それから図面を書く美術進行の方を呼んで、「このセット作れますかね?」という話になるんです。
ただ面白いコントを考えるってだけではなくて、美術セット、衣装、小道具から作り込んでいました。何なら、ネタに付随するカメラ割りまで考えてましたから。そういうところがすごいなと思います。
――コントにこだわっていた志村さんが、2004年から『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)にレギュラー出演するようになった時はどう思われましたか?
びっくりしました。その理由をはっきり聞いたことはないですけど、『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)みたいなコント番組も続ける中で、好きな動物、好きなワンちゃんをモチーフにした『志村どうぶつ園』が始まったわけですよね。そういう意味では、「やりたいことをやる」っていうふうに変わっていったような気はします。
その頃、もう僕は師匠と年に数回会うぐらいの感じでしたけど、コント番組やってた時のスタッフとの関わり方と、『志村どうぶつ園』のスタッフさんとの関わり方が、なんとなく違う感じがしましたね。『志村どうぶつ園』のほうが柔らかい雰囲気というか、朗らかになっているような気がしました。
そういうのを考えると、たぶん「好きなこと、やりたいことをやる」っていう率直なスタンスに変わられたのかなと思うんですよ。舞台『志村魂』が始まったのも、同じような気持ちからじゃないですかね。
――『だいじょうぶだぁ』が放送されている時期に年1回4度の舞台公演(1989年~1992年)を行っています。当時から藤山寛美さんの演目をやりたいというお気持ちはあったんでしょうか?
『だいじょうぶだぁ』公演の頃、お芝居の構想はなかったと思います。僕もちょうど付き人全盛期だったので1回目から使ってもらったんですけど、あの頃はコント一本でしたね。
でも『だいじょうぶだぁ』の中で、半年に1回ぐらいオカリナ奏者・宗次郎さんの寂しげな曲(「悲しみの果て」)だけ流す15分~20分のワンストーリーをやり出した時は驚きました。セリフを全部カットして、一切笑いも入れなかったですからね。
最後は母親役のいしのようこさんが不幸になったり、雪の中で一人志村さんが血を吐いて亡くなったりもする。そのシリーズが放送されるたび、周りから「泣いたけど、あれはどういうこと?」と言われて、「いや、僕に聞かないでください」って答えてました。
しかも、そのドラマの後に変なおじさんやったりしますからね(笑)。師匠にとって、「強烈なキャラクターの笑い」と「シリアスな人の死」っていうのは表裏一体だったのかなという気がしますね。
――由利徹さんの裁縫のパントマイムをオマージュしていたり、シリアスな振りから落とすコントがあったりと、『だいじょうぶだぁ』以降から志村さんに喜劇役者のイメージがついた印象もあります。
けっこう前振りがしんみりしてたり、ちょっとマジメなシーンがあったり。それだけにオチとの落差ができたりもするんですよね。たしかに『加トちゃんケンちゃん』や『全員集合』ではなかったものが、『だいじょうぶだぁ』で少し出て来たような感じがします。
僕が忘れられないのは、さっき言ったセリフのないドラマでいしのようこさんが泣くシーンを演じたことです。ようこさんが本番前に気持ちを入れてたんですよね、セットの横かどこかで。その時、志村さんから「今気持ち作ってるから。そば寄るなよ」と言われたのを覚えてます。
それで本番になると、見事に泣くんですよ。「うわ、すげぇトコ見た」って感動しちゃって。「女優なんだな。おハナ坊だけじゃないんだ」と(笑)。それでいて、ようこさんを気遣う志村さんもいるっていう。カット割りから何から、全部ドラマと同じ作り方でしたね。あの光景はすごい衝撃でした。
――2020年にはNHK朝の連続テレビ小説『エール』に志村さんが出演。山田洋次監督の映画『キネマの神様』の主演も予定していました。晩年になって役者業を始めたのは、どんな理由があると思いますか?
そもそも俳優ができる方だと思うんですよ。本当は「芝居ができなかったらコントはできない」と思ってる方なので。でも、40代まではあえてコント一本でいくっていうこだわりがあったと思うんです。それが、50歳を過ぎて『志村どうぶつ園』とかトーク番組とか、やりたいことをやるようになっていった。その延長に、もしかしたら役者というものがあったのかなという気はしますよね。
――「やりたいことをやる」ようになって、段階的に役者という選択肢も出て来たと。
やりたくないものはやらない方なので、「断る理由がない」という感じでしょうね。だから、「何で白塗りにしちゃったんだろうな」って冗談で愚痴を言いながらも、『バカ殿様』をずーっと続けたんだと思いますし。それと同じように高倉健さんとの映画のオファーが来たら、「出たい、出たくない」とかじゃなくて「断る理由がない」っていう。
実は『となりのシムラ』(NHK総合)の企画会議の段階で、僕二人で飲んだことがあるんですよ。その時、師匠はすごく楽しそうに話してました。「今までやって来たようなコントとはちょっと違うんだよ。ドラマ仕立てになってて、とくに扮装もしてねぇんだよ俺。地頭でさ、普通のお父さんとして出るんだ」って。「すごい見てみたいです」と伝えたら、「うん、けっこう面白いんだよな」って笑みを浮かべていました。
だから、役者とかコメディアンとか、シリアスものだとかバカ殿様だとか、そういうことじゃなくて。自分が楽しいと思ったり、自分がやってみたいことをやられるようになったんじゃないかと思いますね。ただ、その根本には「俺はコメディアンだ」っていうのがあるんです。
もっと役者業をやられていたらギャップがあって楽しかっただろうなと思います。志村さんがシリアスな役を演じるドラマが終わってから、「この後はバカ殿様!」ってナレーションが入ったら面白いし(笑)。そういうの、もっともっと見たかったですね。
――志村さんが他界されてから約2年経ちました。改めて「コメディアン・志村けん」について思うことはありますか?
そもそもコメディアン・志村けんは、テレビの中の人だったんですよ。それが共演したとかじゃなくて、その人のそばにずっといるっていう立ち位置になったわけですよね。そうすると、「もう一人の厳格な父親」みたいな感覚になって来る。ちょうど歳も20個違いますしね。
もちろん日本一のコメディアンだと思いますけども、5年付き人やってるとそれだけじゃ語れないんですよ。中学生みたいにくだらないことで笑ったりとか、怒られたりとか、「こういう時はこうするんだ」って教えられたりとか……。それが正解かどうかはわからないですけど、志村けんの教えが僕の中では絶対的なものになってる。もう体に染みついてるんです。
生きてると、先生だったり地元の先輩だったり、「この人の前だけは背筋が伸びる」って方がいるじゃないですか。それが僕にとっての志村けん。そんな師匠が、付き人を辞めた後に腹を割って話してくれた。くっだらない話から「へぇー」って驚くような話、笑いに関する話、ちょっとした文句、「これは僕にしか言わないだろうな」っていうような話まで。それもまた嬉しかったですね。
その一方で、「何で志村さんの肩揉んでるんだろう」とか「何で志村さんの酒作ってるんだろう」とか、もっと言えば「何で志村さん、僕にこんな話してんだろう」っていう。全部が不思議なんですよね、冷静に考えると。出会って30年経つんですけど、「何で小学校の時に見てたあの方が」っていう違和感だけはずっと消えなかったですね。
――今後、山崎さん自身がコントを演じることはないんでしょうか?
実は僕、明日(2022年2月)から新しい事務所に入るんですよ。コロナ禍の2年間、何をやりたいのか考えたらやっぱりコントだった。とはいえ、コントをやる相方もいないし、どうしようか悩んだんですけど、「俳優ならコメディーができる」と思って。
そこは、師匠がコロナでお亡くなりになって自分を見つめ直した部分も大きいですね。コロナ禍になってなかったら、ずっと目の前にあることをやってたかもしれない。いずれにしろ、改めてコメディーの世界に向き合えるようになったことが嬉しいし、まだまだ師匠の教えが生きて来るんじゃないかって気がするんですよね。
晩年に役者としてドラマに出演したことも含め、志村さんはシンプルに「興味があるかないか」で物事を決めた人なのだと思う。しかも、それは「この内容(またはこの人と)ならやりたい」という極めて局地的な興味だ。お笑いや役者といった枠は関係ない。山崎さんの話を聞いてそう確信した。
考えてみれば、コントの中にあらゆる要素を取り込んだのがザ・ドリフターズや志村さんの笑いだった。そんな師匠を持つ山崎さんが、お笑いコンビ、レポーター、ニュースキャスターと幅広く活動し、再びコメディーの世界へと向かっているのも面白い。きっと天国の志村さんも、その姿を笑顔で見守っていることだろう。
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