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72年続いた銭湯が閉業して起きたこと ふと思い出す…番台からの風景

広島の「平和湯」が伝える戦後の歴史

開店前の準備を済ませ、番台に座って一休みする坂井さん=2022年1月30日午後3時52分、広島市中区、上田潤撮影
開店前の準備を済ませ、番台に座って一休みする坂井さん=2022年1月30日午後3時52分、広島市中区、上田潤撮影 出典: 朝日新聞

目次

銭湯「平和湯」は、原爆ドーム(広島市中区)から北に約1キロの場所にある。店主は常連客から「おばちゃん」と呼ばれ愛される坂井照子さん(88)。1950年の開業当初から番台に座り、72年間、ほぼ1人で店を守ってきた。そんな平和湯の入り口に昨年10月、ある貼り紙が貼られた。《閉店のお知らせ店主も88歳を超え、営業する体力も限界となりました。本当に長い間ありがとうございました》常連客はざわめいた。「うそじゃろ」「困ったねえ」「どこの風呂に行けばええんじゃ」

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カープ初優勝一緒に祝う

大みそかには毎年、約20人が入る浴室がいっぱいになった。広島カープが初優勝した75年には、客と一緒に脱衣所のテレビにかじりついて試合を見守った。

子どもたちが脱衣所を走り回れば、坂井さんが「こらっ」と厳しく叱った。近くの高校の卓球部は数十年間、毎年の夏合宿の風呂として利用した。

営業は土日を含めて週4回。開店する午後4時には、数人の常連客が入り口の前に集まる。湯上がりの客は、冷えた牛乳を裸のままごくり。午後10時の閉店前は、仕事終わりのサラリーマンでにぎわった。

入り口の扉を開けると、開店を待っていた常連客が次々とのれんをくぐった=2022年1月30日午後3時58分、広島市中区、上田潤撮影
入り口の扉を開けると、開店を待っていた常連客が次々とのれんをくぐった=2022年1月30日午後3時58分、広島市中区、上田潤撮影 出典: 朝日新聞

遠くで上がったキノコ雲

平和湯は坂井さんの母のはるみさんが開業した。教師だったはるみさんは心臓が弱く、「番台ならできそう」と、すでにあった平和湯の経営を受け継ぐ形で始めた。平和湯の名前の由来は分からない。

生まれは広島県の山村。原爆の時は、爆心地から北に約40キロ離れた自宅にいた。音や光は聞こえなかったが、遠くでキノコ雲がもくもく上がるのが見えた。

爆心地に近い基町地区に引っ越したのは16歳の頃。自宅近くの川沿いには、ゴザや木々でつくられたバラックがずらりと並んでいて驚いた。原爆スラムと呼ばれた一帯。家を失った被爆者や、中国からの引き揚げ者らが住んでいた。

1950~70年代、広島県と市が近くに20棟の基町アパートをつくった。バラック街の住人らとともにアパートに引っ越し、平和湯もその一角に移った。当時はアパートの部屋には風呂がなく、平和湯は連日、大にぎわいだった。

高校からは走って帰宅し、開店から番台に座った。友人と遊びたい気持ちもあったが、体が弱いはるみさんを助けたい気持ちが上回った。

開業直後の平和湯(左)付近に立つ長女の佳子さん。右は練兵隊の馬の水飲み場跡=坂井照子さん提供
開業直後の平和湯(左)付近に立つ長女の佳子さん。右は練兵隊の馬の水飲み場跡=坂井照子さん提供

ボイラー故障しコロナも

はるみさんが60年代半ばに亡くなり、夫も75年に亡くなったが、営業は止めなかった。

しかし、昨年10月。突然ボイラーが故障し、修理代が400万円かかると聞いた。重油代は高騰し、新型コロナウイルスの影響で客は減っていた。体力の限界も感じ、閉業を決めた。

常連客には「寂しい」と言われたが、無理に続けろと言う人はいなかった。みんな坂井さんの年齢も知っており、「長いことお疲れさん」と言ってくれた。そんな常連客の優しさ応えたくて、年内の予定だった閉業は1カ月延ばした。

東京にいる長男の一也さん(63)は「うそじゃろ」と驚いていた。閉業前の1月中旬に帰省する予定だったが、新型コロナの影響でかなわなかった。「最後に平和湯に入りたかった」と悔やんでいた。

アパートの下の階で暮らす長女の佳子さん(65)は「やっとゆっくりできるね」と気遣ってくれた。

店の入り口に掲げられた貼り紙を眺める坂井照子さん=2022年1月30日午後1時9分、広島市中区、上田潤撮影
店の入り口に掲げられた貼り紙を眺める坂井照子さん=2022年1月30日午後1時9分、広島市中区、上田潤撮影 出典: 朝日新聞

「おばちゃん、ただいま」

開業から72年。振り返れば、色々な思い出がよみがえってくる。

一番うれしいのは、脱衣所を走り回っていた子どもが大人になり、自分の子どもを連れて来ることだ。

正月やお盆に、懐かしい顔がのれんをくぐる。

「おばちゃん、ただいま」

「まあ、おかえり。大きくなって」

そんな瞬間も無くなると思うと、たまらなく寂しくなる。

でも悔いはない。やめようと思ったことも一度もなかった。お客さんの存在が支えになったからだ。

毎回一番風呂のおじさん。同居の母親を亡くして寂しいと嘆くアパートの住人男性。かつてバラック街で暮らし、風呂なしの部屋で生活してきた女性……。

「ここは『みんなのお風呂』。平和湯がなくなったら、みんなの居場所がなくなるんじゃ」

閉業から約1ヶ月。ふとした時に思い浮かぶのは、ともに時間を過ごした常連客の顔だ。

「温かい風呂がなくて、風邪ひいてないかねえ。新しいお風呂は、見つかったかねえ。みんなのことが心配でしょうがない」

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