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「R-1」ショックから1年、芸歴17年の〝まわり道〟手作り賞レースへ
ウーバーイーツで生活費、「Be-1グランプリ」で手応え
親を説得してお笑い芸人の養成所に入ったドッグ石橋さん(36歳)は、これまでに2回、芸人を辞めています。自分にあった芸を求めコンビを解消して上京。ピン芸人として新たな芸風をコツコツと作り上げてきました。ネタ作りに専念するためウーバーイーツで生活費を稼ぎ、賞レースに挑戦する日々。芸歴は17年で「R-1ぐらんぷり」には出られなくなりましたが、11年目以上のピン芸人のために生まれた手作り賞レース「Be-1グランプリ」に挑んだところ、決勝進出を果たしました。わかりやすく順調な芸人人生ではないからこそ生まれる笑いの価値。ドッグ石橋さんの道のりからお笑い界の多様性について考えます。(ライター・安倍季実子)
話を聞いたのは、前回の「Be-1グランプリ」で決勝メンバーに残った、芸歴17年目のドッグ石橋さん。大阪出身ということもあって、幼いころからお笑いに囲まれて育ち、中学の時に見た『一人ごっつ』で、 お笑いのトリコになったと言います。
芸人を目指したきっかけは、幼なじみからの「高校卒業したら、一緒にNSCに行こう」という言葉。両親は大学進学を希望していましたが、「NSCで好きなお笑いをやりたい」と説得して入学しました。
「2人とも合格したんですが、幼なじみは金銭的な事情で入学できなくて、結局、僕だけ入学しました。同期は、東京だとオリエンタルラジオ、トレンディエンジェル、大阪で言えばGAG、トットなどがいます。僕は彼らと比べものにならないくらいの落ちこぼれで、クラスも最下位だったんですが、友達もできてなんとか卒業しました」
そこから芸人人生がスタートするかと思いきや、2年後に芸人を辞めることに。
「オーディション組で頑張ってましたが、劇場メンバーには一度も上がれませんでした。まわりは大卒だったり、社会人経験をしている人が多かったので、高卒の僕の笑いでは勝てないと思ったんです。それに当時は二十歳と若かったので、後から芸人に戻るつもりで一旦辞めました」
予定通り、22歳でお笑いを再開しましたが、再び26歳の時に芸人を辞めてしまいました。
「この時は芸人に戻る気もなく、何となくフリーターをしていました。でも、2012年の『キングオブコント』でバイきんぐさんが優勝したのを見て、やっぱり自分にはお笑いしかないと思いました」
「2回目に復活した時に半年だけピンで活動しました。それが自分的にはしっくりきたんです。でも、それまではずっとコンビで活動していて漫才のイメージがあったのか、色んな人から『お前はコンビを組んだ方がいい』と言われました」
この時、ドック石橋さんは28歳。大阪にいては、1人で楽しく芸人をするのは難しいと感じて上京を決意しました。東京には知り合いがおらず、不安な気持ちもあったそうですが、実際に上京してみると、会社員のかたわらで芸人をする人や、30歳を超えても続けている人がたくさんいました。大阪との大きな違いに勇気づけられたと言います。
「大阪には、そういった人たちがほとんどいなかったので、東京は楽しく芸人をやれる環境で、自分に合っていそうだなと思いました」
上京した後は、マイペースに事務所オーディションを受けつつフリーで活動し、月に2~4本のライブに出演する以外は、ネタ作りとバイトに明け暮れていたそうです。
「コンビニ、カラオケ、漫画喫茶、テレアポなど色んなバイトをしてきましたが、2年前からウーバーイーツ1本に絞りました。シフト制だとネタ作りに影響が出てしまうんですが、ウーバーイーツは自分で働く時間をコントロールできるんで、そんなことはありません。10日間はネタ作りに集中して、次の10日間はウーバーイーツに集中するといったことができるんで助かりますね。というのも、僕のネタは1本作るのに、めちゃくちゃ時間がかかるんです」
ドッグ石橋さんの芸風は、自作のアニメーションを使った映像コント。まずはストーリーを考えてから絵を描き、ナレーションと合わせてアニメーションを完成させます。その後で小道具を作り、練習に入ります。ここまでに100時間はかかるといいます。
「この芸風になったのは1年前くらいです。それまではマツモトクラブさんみたいに、音を使ったネタをしていました。複数人のナレーションが、僕にツッコむ芸風だったんですが、ある日のライブアンケートで、『音だけだと、誰が何を言っているのかがわからない』という感想をもらったんです。そこで、わかりやすくするために声の主を見せようと思い、今の芸風になりました」
昔から漫画が好きで、それが講じて漫画喫茶でバイトをしていたこともあったというドッグ石橋さん。深夜アニメにアテレコをして遊ぶこともあったといいます。
「この芸風の構想は2年ほど前からあったんですが、絵が下手だったんで、まずは絵の勉強をしようと思いました。それがちょうどコロナの時期です」
昨年の新型コロナウイルスの発生によって、お笑いライブは軒並み中止となり、バラエティー番組でも出演者数が少なくなるなど、お笑い業界が全体的に大きなダメージを受けました。
「まわりの芸人はライブがなくなって大変そうでしたが、僕は漫画教室に通って絵を描く練習時間に使えたので、逆にラッキーでした。この期間があったので、思い描いていたネタが実現したんです」
「R-1ぐらんぷり」には、2016年から毎年出場していて、もちろん去年も出るつもりでした。そんな中で発表されたのが、芸歴10年未満という新ルールです。
「決勝や準決勝に行ったことがある人はショックだったと思いますが、僕は2回戦以上に行ったことがなかったんで、ショックよりも諦めの方が強かったですね。『R-1ぐらんぷり』にかけるネタは決まっていましたが、ほかのライブでもできますし、けっこう割り切っていました」
その後、すぐに芸歴11年目以上のピン芸人のための賞レース「Be-1グランプリ」が立ち上がりました。
「主催者のうすくら屋のシュースケさんから直接連絡をもらいました。新ネタで勝負したかったんですが、1回戦までに完成するか微妙な所でした。でも、自分を奮い立たせるために、ネタの完成より先にエントリーしました」
ほかと毛色の違う芸風だったためか、1回戦、2回戦、準決勝、決勝へと順調にコマを進めていきました。
「2回戦以降は、合格のボーダーラインにいると思っていたので、準決勝と決勝に残れて本当にうれしかったですね。特に、決勝はひとつのゴールみたいなものだったので。それに、僕以外の決勝メンバーは、憧れてきた人たちばかりだったので、その中に残れただけで幸せでした」
決勝戦に残ったのは、ギャバホイ、シオマリアッチ、インタレスティングたけし、ふとっちょ☆カウボーイ、Gたかし、カトゥー、街裏ぴんく、ドッグ石橋、ふみつけ大将軍小仲、おぐ(ロビンフッド)、野田ちゃん、快児の12名。芸歴20年を超えるベテランも少なくありません。この中から、ギャバホイ、ふみつけ大将軍小仲、野田ちゃんが最終決戦に残りました。
「最後の3名に残れなかったのは悔しかったんですが、決勝に残っただけでラッキーという気持ちもあったので、あの時はすごく複雑な気持ちでしたね。でも、野田ちゃんさんが優勝した時は、素直な気持ちでお祝いできました」
この賞レースは、バラエティー番組のスタッフさんや作家さんの中で、ひそかに注目されていたようで、出場者の中にはメディアに呼ばれたり、オーディションの声がかかったりした人が多数いたそうです。ドッグ石橋さんも、ある番組ディレクターさんからオーディションに誘われたと言います。しかし、その時はオーディション用の短いネタがなかったため断念しました。
「有名な人ばかりが残った決勝に、無名の僕が入っていたので、『どんな芸人なんだろう?』って気になったのかもしれません」
ベテランばかりが揃った決勝進出者の中に名を連ねたドッグ石橋さんは、言うなれば「M-1グランプリ」の「麒麟枠」。この番組ディレクター以外にも、ドッグ石橋さんのことが気になったテレビ関係者がいたようで、大会後はテレビのネタ番組のオーディションに声がかかり、実際にテレビ出演を果たしました。
AbemaTV主催の「笑ラウドネスGP」、テレビ朝日の「あのちゃんねる」内の「あのー1GP」、TBSの「あらびき団2021」にも出演しました。その中で、特に印象に残っているのは、「笑ラウドネスGP」です。
「放送ではカットされたんですが、今田さんが『芸人1年目の時に、お前みたいなアホなやつで爆笑してたの思い出したわ!お前みたいなアホなやつ、まだおったんか!』と言ってくださったんです。めちゃくちゃ嬉しかったんですが、まさか今田さんに、こんなことを言ってもらえると思ってなくて、固まってしまいました(苦笑)」
「Be-1グランプリ」に出場したことで、発見もあったと言います。
「お客さんのウケと、自分の楽しさのバランスが悪かったことに気づきました。結局はネタをやってる僕が楽しくないと、見ているお客さんも楽しくないでしょうから、今後は自分のやりたい方向に振り切ってみるつもりです。 ほかにも改善点はありますし、発見したこともあるので、今年の大会では、それらを反映したネタで勝負したいですね」
「Be-1グランプリ」に限らず、今年に入ってからいくつもの賞レースが誕生しました。AbemaTVのようなメディアが独自で開催するケース、バラエティー番組内のコーナーとして行うケース、個人が賞金を用意して開催するケースなど、大きさやカラーはバラバラです。
「R-1ぐらんぷり」の出場制限後に生まれたこれらの動きは、「賞レースは全国区のテレビ局が行うもの」というイメージが変わってきていることを示しているのでしょう。
第7世代といった若手の活躍に注目が集まる一方、ドッグ石橋さんのような〝まわり道〟をしてきた芸人のための舞台が用意され、新しい文化を育もうとしています。実際に、ドッグ石橋さんのほかにも、「Be-1グランプリ」をきっかけに、息を吹き返したピン芸人はたくさんいるそうです。
「優勝した野田ちゃんさんのご活躍はもちろんですが、街裏ぴんくさんはユニットコンビを組んで『M-1グランプリ』に挑戦されていますし、ふみつけ大将軍小仲さんは『ジロジロ有吉』などのバラエティー番組に出演されていました」
大きな賞レースやテレビ番組ですぐに成果は出なかったけれど、積み重ねてきた年月から生まれる、その人らしい笑いの価値があります。若手だけではない人材にもスポットが当たる多様性は、お笑い業界全体を進化させるきっかけになるのではないでしょうか。
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