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ヒコロヒーがまとう〝清々しさ〟ジェンダーも笑いで切り返すセンス
原点にあるのは「同化しなくていい」と悟った中学時代
今月22日に放送された『上田晋也VS人気芸人 トーク検定2時間SP』(フジテレビ系)で優勝するなど、今もっとも注目を浴びる女性芸人・ヒコロヒー。ここ数年の活躍の裏には、時流に乗っただけではない彼女特有の背景がある。クラスメイトの同調圧力に屈しなかった中学時代。『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)での絶望……。“やさぐれキャラ”で注目のヒコロヒーが放つ魅力の核心に迫る。(ライター・鈴木旭)
裏山の坂で立ち入り禁止の柵まで自転車のチキンレースをしたり、友人宅のガレージでバーベキューセットを使ってどれだけ火が燃えるかを試したり――。
これは、ヒコロヒーが高校時代にやっていた遊びの一部だ。本人曰く、当時は“2軍の不良少女”だったらしい。まるで勉強しなかったが、ダメ元で受けた近畿大学の文芸学部芸術学科に合格した。
大学2年の時、学園祭のお笑いコンテストを主催する先輩から「1枠足りないから出てくれ」と声が掛かる。お笑いの下地はまったくなかったが、飯をおごってくれるという約束で引き受けた。そこにゲスト出演していたお笑いコンビ・なすなかにしのマネージャーから、「キミ(のコント)、いいね」と言われた。思わぬスカウトだった。
もともと映画やラジオが好きだった彼女は、映画配給会社で働くか、ラジオ番組の放送作家、もしくはディレクターになりたいと考えていた。松竹芸能に入れば、映画を制作する松竹グループとつながりができ、就職活動にも有利に働くだろう。そんな安直な考えから、芸人の道を歩みはじめた。以降、芸人に向いていないと感じつつ、現在に至るという。(2021年5月11日に放送された『白黒アンジャッシュ』(チバテレ)より)
霜降り明星・せいやは同じ大学の後輩にあたる。ヒコロヒーが4回生の時にせいやが1回生、粗品とは麻雀仲間だった。またデビュー当時、同じ事務所の先輩には、さらば青春の光、Aマッソもいた(現在はいずれも別の事務所)。つまり、今売れっ子の面々と早くから交流があったことになる。
大学はずっと辞めたいと思っていた。単位が取れなかったこともあり、「お笑いで頑張りたい」という理由を免罪符に大学を中退。何の計画性もなく、フリーターになろうと考えていた。
ただ、活動していくうち心境が変わっていく。とくに吉本興業の芸人が主催するインディーズライブに出演した経験は大きかった。ヒューマン中村、三浦マイルド、おいでやす小田といった先輩たちが生き生きとネタを披露していたのだ。これに刺激され、ピン芸人のやりがいや楽しさを感じはじめた。(2021年7月4日に掲載された「ラジオ関西トピックス」の『ブレイク芸人・ヒコロヒーが松竹芸能に入った理由 実は「就活」のため 大学落研時代といま インタビュー』より)
ターニングポイントは2014年。大阪で3年間活動後、東京進出した頃だ。ラジオを聴き、映画を観て、本を読み、ネタを書く。ちょうど自分自身にプレッシャーをかけていた時期である。このタイミングで出演したのが『踊る!さんま御殿!!』だった。
自分なりにあれこれと準備して挑んだが、結果的には大御所である明石家さんまを前に何もできなかった。収録が終わりタクシーに乗り込むと、無意識に由比ヶ浜へと向かっていた。「たぶん向いてへんのやわ」と絶望し、ただ呆然と海を眺めた。芸人を辞めようと思った。(前述の『白黒アンジャッシュ』より)
ただ、結局は辞める踏ん切りもつかず、モヤモヤとした気持ちを1年ほど引きずり、「もう1回、さんまさんと番組で共演するまでは続けてみよう」と考え直した(同)。ダイアンのラジオ番組『よなよな…』(ABCラジオ)が心の支えだった。
ヒコロヒーのネタは、東京03・飯塚悟志、アンタッチャブル・山崎弘也など、同業者の先輩から高く評価されている。
前述の『白黒アンジャッシュ』で共演したアンジャッシュ・児嶋一哉は、「ネタ作るのも大変だけど、あれ演じるのが大変だよね。俺、ピン芸人の方いろいろいるけど、このタイプの芸風めちゃくちゃ尊敬するのよ」と絶賛。児嶋自身、ピンで単独ライブを行った経験もあるためか、妙に実感のこもった言葉だ。
「THE W」、「R-1グランプリ2021」で準決勝に進出するなど、着実に結果も残している。とはいえ、ヒコロヒーが脚光を浴びたのは純粋なネタの評価とは言い難い。いくつかの複合的な要素によって、徐々に露出が増えていったのである。
2018年に多くの若手芸人が集結する『ウチのガヤがすみません!』(日本テレビ系)に出演し知名度を上げ、翌2019年に先輩のピン芸人・みなみかわと即席コンビを組んで「M-1グランプリ」に出場。芸人社会のジェンダーに切り込む漫才で話題を呼んだ。
また同年から、霜降り明星をはじめとする若手の「第七世代」ブームが起き、「THE W」決勝が盛り上がりを見せたこと、テレビでYouTuberを取り上げるようになったことも相まって、3時のヒロイン、ぼる塾、フワちゃんなど女性芸人の活躍も目立ちはじめた。さらには、借金や遅刻癖など一般的にはマイナスイメージの強い“クズ芸人”が注目され、これに該当するヒコロヒーにもスポットが当たるようになった。
つまり、時流と芸風がマッチしたことで、ジワジワと頭角を現すようになったのだ。
とはいえ、一時的に注目を浴びたところで、独自性がなければすぐに弾かれてしまうものだ。ヒコロヒーがそうならなかったのは、中学時代の体験が今に生きていると考えられる。
彼女は、愛媛県の出身。小さな頃から、絵を描いたり、本を読んだり、あれこれと妄想したりするのが好きだった。しかし中学に上がると、“同じ物を身に着けなければならない”というようなクラスメイトからの同調圧力を感じはじめた。その戸惑いを著書「きれはし」(Pヴァイン)の中でこう記している。
「なるべく教室で浮かないように、目立たないように、あれほど数年前まで『変わった子』だと呼ばれていた私が『変わった子』だということに気づかれないように、とにかく『みんな』と同じように振る舞うことがその頃の私の努力だった」
しかし、彼女は早々にこれを切り上げる。外部に自分を認めてくれる存在があったからだ。
「クラスメイトは誰一人として聞いていなかったブラックマヨネーズさんのラジオを自分と同じように面白がって聞いて一緒に笑う友人たちが、教室の外に多くいてくれたのだった。(中略)いつからか私は、教室は教室としてそういう組織であり社会であるのだという風に自分の中で分別し、別にここで同化しなくたっていいのだと早い段階で気づくことができていた」(先述の「きれはし」より)
中学時代に培われた視点やスタンスは、タレントとしての魅力にも結びついているように思う。
日向坂46・齊藤京子との番組『キョコロヒー』(テレビ朝日系)を見ても、相手がアイドルだからといって態度を変えたりしない。『マッドマックスTV』(前同)のゲスト出演時には、かまいたちから「いい女に見える」と茶化されても澄ました顔で対応。“しめしめ”とばかりに笑いをとっていた。さらには今年、『踊る!さんま御殿!!』で共演した大御所女優の泉ピン子から「(ヒコロヒーという変な芸名を)改名しろ」と言われた際、「ピン子さんも変ですよ」と切り返す豪胆ぶりを発揮している。
一方で『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ系)では、「コンプライアンス委員会」なるポジションを担っている。収録に参加したゲストの発言がコンプライアンス的に問題なかったかをチェックする名目だが、実際には番組における立ち振る舞いの悪さをダメ出しするという内容だ。この皮肉めいた演出も、彼女の特性があってこそだろう。
差別的な笑いへの風当たりが年々強さを増し、過激なバラエティーは影を潜めた。あらゆる多様性が叫ばれる中、とくにテレビでは女性芸人に対する発言も注視されている。そんな状況下で、ある種の諦念をもって笑いに変えるヒコロヒーは貴重な存在だ。
「国民的地元のツレ」をキャッチコピーとする彼女は、立場にも性にも依存しない。自分を着飾るどころか、むしろ近しい友人に軽口を叩くように「シャバいっすねー」と言ってのけるのである。何かと窮屈な時代だからこそ、それがとても清々しく感じられるのではないだろうか。
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