漫画家の宮川サトシさんは9年ほど前、病気で母を失いました。「自分にこんな機能が備わっていたのか」と驚くほど泣き、心に空白を抱える毎日。そんな中で救いとなったのが、自分自身の姿を、客観的にメモすることだったそうです。宮川さんは、代表作『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』で、親の看取りについて赤裸々に描いています。喪失感との向き合い方について、トークイベントで語ってもらいました。(ライター・雁屋優)
withnewsは葬儀系ベンチャー「よりそう」と協業し、2020年12月、「家族の死」がテーマのオンラインイベント「カゾクトーク」を開催。その第2弾として、「カゾクトーク vol.2~『母の遺骨を食べたいと思った』漫画家が、お別れの悲しみを受け入れた話 宮川サトシさんと考える『家族の死』」を、2021年9月21日に実施しました。
神戸
宮川さんは2012年にお母様をがんで亡くされており、そのことを『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』にまとめられています。
お母様のご遺骨を食べて、ご自身の一部にしたいと思うほどの喪失感と向き合うきっかけとなった出来事があれば、教えていただきたいです。
宮川
実は、しっかりと覚えているときに亡くなった身近な人は、母が初めてだったんですね。犬が亡くなったことはあったけれど、泣けなくて、自分は冷たいやつなんだと思っていました。
でも、母が亡くなったときはうろたえるし、涙は出るし、いっぱい泣くし。自分にこんな機能が備わっているのか、こんな風になるのかって、もう一人の自分が泣いている自分を見ているような感覚になったんです。
それと、病院の先生の話や思ったことをメモに残していたのが大きいですね。メモがルーティンになっていって、それが喪失感と向き合うきっかけになったと思います。
神戸
「自分にも涙を流したり、悲しむ機能はあるんだ」という表現に、ちょっと意表を突かれました。そういった自分がいると自覚できたときに、悲しみと向き合う準備をして生きていこうと、気持ちが切り替わっていったんですか。
宮川
準備というよりかは咀嚼(そしゃく)していくというか。自分ってそういう人間なんだってことを受け入れていくような。悲しみを共有するっていうことと、自分を受容するってこととの間に、あまり境目がなかったですね。
そういう状況や、自分の変化を受け入れていくみたいな感覚だったんです。後で漫画を描くことにも繋がっていきました。
神戸
メモを取ることは、自分自身を客観視する作業でもあるわけですよね。
宮川
その部分を強めていったことによって、悲しみの濃度がちょっとずつ薄くなっていく。そんな感じだと思います。
何年もメモを取ることになり、最初のうちは、割と「自分いじめ」みたいなところもあったかもしれないですね。そのときの悲しい気持ちを文字にすることで、より悲しくなったりしました。
一番可哀想なのは、もちろん母親です。でも母親がいなくなって、わあわあ泣いてる自分を客観的に見てると、「この人、可哀想だな」みたいな気持ちになるんですよね。それを言語化して、文字起こしすると、例えば「母親が好きだったアイスの実のパイン味を見て、すごい涙が出てきた」とか、そんなメモになるんですよ。
思い出とか、ふっと浮かんできたこととか、そういったことをずっとメモっていくと、悲しくなって、別にさっきまで泣いてなかったのに急にボロボロに泣くとか。そういうことはありました。
(悲しみを)吐き出し、メモを取って、後でまた吐き出すことで、その経過も感じることができます。当時の自分を客観的に見るという意味で、長い時間をかけてやっていくといいんじゃないかなと思っています。
髙田
お葬式を手がけるという職業柄、気になったのがお葬式の話です。ご著書のなかで、お母様が、「家族葬にしたい」としきりにおっしゃっている描写があります。実際には、ご近所の方も含めての盛大なお葬式になっていました。
結局、お母様の遺言通りにはならなかったけれど、参列者の皆さんが来てくださったことはありがたいと、漫画では描かれていました。このことを踏まえて、お葬式は誰のためにあると思うか、お聞きしたいです。
宮川
うちの場合、母親は「自分のために人の時間を奪いたくない」という考えだったので、冗談っぽく「人は呼ばないでね」みたいなことを言っていました。
でも、そういうわけにはいかないだろうと。母親の希望と、喪主である父親をはじめとする家族全員の希望が競り合うような感じで、折衷案が生まれ、結局家族のためのものになったと思います。
髙田
ちゃんと折衷案に収束していくのが奥深いといいますか、ご家族の人柄が出ていますね。
宮川
意見を言い合った結果、いいところに着地したという感じです。皆で外食するときに、ラーメンが食べたい、寿司も食べたい、じゃあもう「ファミレス」にしよう、となったようなものですね。ファミレスって家族のためのものだから。
神戸
お母様を亡くされた後に、画業に専念されています。お母様の死を受け止めた上で、仕事ができるようになるきっかけは、何だったのでしょうか。
宮川
正確に言うと、やりたいことをやり始めたことと、母の死を受け入れたことはクロスしていなくて、(現実を)受け入れないまま逃げたんですよ。母親と一緒に行ったスーパーとか、そういったものが目に入る生活が嫌で、それなら変えようと思って、上京しました。
神戸
今年の4月に亡くなられたお父様の死と、その後についても教えていただけますか。肉親の死という意味では、お母様のケースと似ている部分があると思います。
一方で、お母様の死を経験された当時と比べれば、見送り方や死の受け止め方みたいなところも、だいぶ変わったんじゃないかなと。そのあたりはいかがでしたか。
宮川
父のときは、母のときとは違って、一度母親の死を経験したことで、心の中に、死についてしまっておくフォルダができました。とりあえず、親父の死はそこに入れておこうという感じだったんですね。
そうすると、母親のときほど、死を受け入れるまで時間はかからなかったんですよね。死に慣れたわけではなくて。
髙田
宮川さんの作品『俺は健康にふりまわされている』にもあったと思うんですが、後悔についても触れられていますよね。「もうそろそろ、父が亡くなるかもしれない」みたいな時期があったかと思うんです。その際に、何かやっておいた方がいいなと思って、やってみたことなどあったら教えていただきたいです。
宮川
母親のときに学んだことではあるんですが、何かやっとけばよかったなとか、後悔すること自体が、その人を想うことなんですよね。
父親は脳梗塞を2回やって、奇跡的に回復したけれど、「このまま100歳まで生きるということでもないだろう」とは思っていました。でも、後悔しないために何かやろうとは思いませんでしたね。
客観的に自分を見ると、後悔しないために何かをするのも違うなと思って、亡くなった後にいっぱい後悔しようと考えていました。母親には自分の子どもを見せられなかったので、そこについての後悔はあるんですけど、後悔しているときって、その人のことを想っているんですよね。それは悪いことじゃない。
髙田
私は葬儀の会社に勤めていて、いかにしてご遺族の後悔を減らすかを考えているんですが、後悔すら尊いって考えにハッとしました。故人様を想う気持ち、ご遺族の気持ちも多種多様ですよね。
神戸
ここからは質疑応答に移ります。参加者から「ご家族を見送った経験から、ご自身の旅立ちのために準備していることを教えてください」という質問が来ています。
宮川
自分の子どもとの話になってしまうんですけど、上の子が6歳で、『アナと雪の女王』を観ていて、親の死について聞いてくることがあるんですね。主人公であるアナと、妹のエルサの両親は亡くなっているので、お父さんとお母さんもいつかいなくなるのかと。そう聞かれて、困りはするんですけど、「いつかはいなくなるよ」と話をしています。
いつも子どもに言っているフレーズがあります。「自分たちがいなくなる頃には君も立派な大人になって、それを咀嚼して、噛み砕いて自分のものにできるだけの人間に育ってるはずだし、そう育てているよ」。今感じている怖さというのは、将来同じと限らないよっていう話をするんです。
神戸
いずれ親がいなくなる事実を、子どもに打ち明けるのって、結構勇気がいりますよね。
宮川
本当のことを教えてくれって顔をするので、寂しがりな子どもに配慮しつつ伝えています。メモや漫画は自分が亡くなったときの「参考書」と思っています。
神戸
そういう風に育てられるのは、すごくいいなと思いました。ここでお時間が来てしまったので、最後に登壇者全員から一言いただきたいと思います。
宮川
親しい人の死について、もっとフラットに話せる場が今後増えていくといいなと思いました。死って不安だし、怖い。僕もそうですけど、話をしていくことで、見えてくるものもあると思います。
髙田
こういった機会を持つことで、葬儀や死に関わる仕事をしていながら、今回のようなお話を聞くことが少なかったと痛感しています。色々な方にお話を聞いて、葬儀や死について考える場を持ちたいし、他の方にも持ってほしいと思いました。
神戸
自分だけの悲しみを悲しみ抜いた先に、その人の死を自分だけのものにできるんだなと思いました。そのことがわかって、個人的にも大きな収穫だったと思っています。本日はありがとうございました。