連載
#35 金曜日の永田町
〝二人の菅首相〟を突いた悪代官の怒り「あなたの声は届いていない」
6首長が呼びかけた〝政治休戦〟「鈴木貫太郎」になれるのか
【金曜日の永田町(No.35) 2021.08.14】
「国民の命と健康を守る」ための合理的な説明もなく、開催に突入した東京五輪が終わりました。日本選手団の過去最多の金メダルにわいたものの、残ったのは「制御不能」という新型コロナウイルスの感染爆発と医療崩壊。国民の信を失った政治の「敗戦」を乗り越えるには――。思い出されるのは、「悪代官」の異名を取ったベテラン政治家の10年前の怒りです。朝日新聞政治部の南彰記者が金曜日の国会周辺で感じたことをつづります。
衆院議員の任期満了が10月21日に迫るなか、ベテラン議員の引退表明が続いています。
元衆院議長で「イブキング」「政界のご意見番」といわれた自民党の伊吹文明さん。旧民主党系でリベラル派のグループを率い、前回衆院選で立憲民主党の結党を支えた衆院副議長の赤松広隆さん。「ウチナーンチュの未来はウチナーンチュが決める」という政治信念を貫き、「構造的沖縄差別」と闘ってきた社民党の照屋寛徳さん――。
そして、8月12日には、衆院議長の在任期間が歴代最長を更新中の大島理森さんが、次期衆院選に出馬せず、政界を引退することを表明しました。
独特の表情から「悪代官」という異名を取った大島さん。就任時は、病気療養のため辞任した町村信孝さんの後任としての緊急登板でした。その後、「一票の格差」是正の選挙制度改革や、天皇の退位を実現する特例法の各党協議を主導するなど、与野党の調整役に務めてきました。
「立法府の長」として、ときに政府に厳しい苦言を呈しました。その象徴が、安倍政権時代の2018年7月。森友学園問題の決裁文書改ざんや南スーダンPKO日報隠蔽、裁量労働制に関する恣意的なデータ提示などの問題が相次いだことを受けて、「民主主義の根幹を揺るがす」と批判した議長談話です。
その大島さんが衆院本会議場で、満身の怒りを込めて、政府の機能不全を訴えた演説があります。
「初動対応をめぐるあなたの数々の判断ミス、振る舞いがここまで事態を深刻化させました。これは、これまでの国会審議を通じて明らかになったのではありませんか。幾らあなたが、すべてを否定し、言いわけし、人のせいにして責任を逃れようとしても、初動の数々のミスの原因があなたにあったことは隠しようがないのであります」
「本当に声に耳を傾ければ、政策の優先順位も変わってくるでしょう。二次補正さらに三次補正と、当面必要な予算、政策が着々と打ち出されていなければなりませんが、あなたの政権では、そのような政策がさっぱり検討されていない。気配すら全くないのです。信任と信頼は、菅総理にもうなくなってしまいました」
いまから10年前。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の対応が続くなか、2011年6月2日に「菅内閣不信任決議案」の提出者として行った趣旨弁明です。
大島さんは、政治学者・永井陽之助の著作『現代と戦略』にある「プロぶる専門家ほど国家に危険なものはない」という言葉を引用し、「プロぶる素人であれば、より以上の危険が存する」と指摘。「行政職を信用せず、口を挟ませないことが政治主導である、そんな間違った思い込みにとらわれたあなたが、行政や現場の専門家の助言に耳を傾けず、緊急時に、外部の専門家に意見を求め、根拠もなくそれを信奉し、自分の判断を押しつける」と批判。「すべてはあなたに大きな原因があるのです」と訴えました。
「総理、あなたの政治手法の危うさは、思いつきばかりではありません。法律上の根拠もなく、しかし、事実上、政府の方針を強制的に受け入れさせる要請政治にこそ、本質的なあなたの政治体質、問題が隠されていると言わなければなりません。つまり、責任転嫁なんです」
これらは、ときの民主党政権の首相である菅直人さんに向けられたものです。官房長官だった枝野幸男さん(現・立憲民主党代表)も本会議場のひな壇(大臣席)に並んで批判に耐えていました。しかし、この演説のすごいところは、10年後のいまの政治の問題も浮かび上がらせることです。
新型コロナ対策で迷走する自民・公明連立政権の首相の菅義偉さんにもぴったりあてはまるのです。
「我が国は、今、国難のさなかです。非常事態にあることは論をまちません。しかし、あなたに、権力に対するおそれも謙虚さもみじんもなく、みずから総理の座を辞する良識のかけらもない以上、不信任により一日も早くあなたを交代させることが、国家を救う唯一の道であるとの結論に我々は至ったのであります」
締めくくりでこう述べた演説のなかで、大島さんは次のような予言をしていました。
「ことしの流行語大賞は、多分、『菅おろし』ではないかと私は思います」
10年前の大島さんの演説前の菅直人内閣の支持率は26%、不支持率51%。「首相を続けてほしい」が34%、「早くやめてほしい」が41%でした(11年5月14~15日、朝日新聞社調査)。
一方、現在の菅義偉内閣の支持率は28%、不支持率53%(21年8月7~8日、同上)。9月末の自民党総裁任期満了の後も再選されて「続けてほしい」は25%、「続けてほしくない」が60%。「菅おろし」の世論は、菅義偉さんの方が厳しい状況です。
10年前の大島さんの演説にはこんな一節もありました。
「信任なき総理の声は国民の心に届いていないんです。国民の声も総理には届いていないんです。あなたが総理になってから、選挙で勝ったことがありますか。全くないじゃありませんか。つまり、あなたの声は国民に届いていないし、国民の期待もないということなんです」
これも菅義偉さんが置かれている状況と符号します。
正式な党員投票を行わなかった昨年9月の自民党総裁選。菅義偉さんは安倍晋三前首相や麻生太郎副総理、二階俊博幹事長ら「派閥連合」の支持を受けて勝利しました。森友・加計学園問題、桜を見る会など、安倍政権時代に相次いだ問題について、「政治が何かごまかしている、うそをいっているという思いがある限り、納得にも共感にもならない」と真相究明に前向きな姿勢を示していた石破茂さんらを寄せ付けない圧勝でした。
ところが、初めての国政選挙となった今年4月の衆参両院の補選・再選挙は「全敗」。山形(1月)、千葉(4月)、静岡(6月)の各知事選でも推薦候補が惨敗を重ね、東京都議選(7月)では過去2番目に少ない議席に低迷しました。
自民党内では、菅義偉さんを先頭に衆院選を戦うことへの不安が広がっています。8月11日には新潟県連が党員投票を含めた総裁選の実施を要求。県連会長は「長老や派閥の領袖が談合をして、総裁の流れを決めるということは党のあり方としてマイナスだ」「総裁選は開かれた形で正々堂々とやるべきだ」と記者団に語りました。
党内の「菅おろし」を警戒する菅義偉さんが注力しているのが、地元の横浜市長選です。カジノ誘致をめぐり、自民党系が「現職市長」と「菅政権の前閣僚」に分裂。間隙を縫うように野党系の市長が誕生すれば、自身の「致命傷」になりかねないため、前閣僚の支援に力を入れているのです。
横浜市長選(8月22日投開票)で野党系候補を破り、9月5日のパラリンピック終了後に臨時国会を開いて、予算委員会も開かず、総裁選より前に衆院を解散。衆院選で過半数を確保し、延期した総裁選で無投票再選をはかる――。
これが菅義偉さん側の描く「権力維持」のためのシナリオです。これに対し、自身の選挙での生き残りや、ポストをめぐる駆け引きから、このシナリオを快く思わない勢力との間で神経戦となっています。
国民不在の権力闘争のなかで、犠牲になっているのがコロナ対策と、それに集中すべき国会の機能です。
失点回避で守りに入っている菅義偉さんは、2カ月以上も国会に出席せず、憲法53条の規定に基づいて要求された臨時国会の開会にも応じていません。散発的に閣僚が出席した閉会中審査が開かれていますが、コロナ対策の新たな予算や法律をつくることもできない状況が続いています。
永田町で不毛な政争が続くなか、全国の感染状況は深刻さを増しています。
東京の重症者が初めて200人を超え、自宅療養者も2万人を上回った8月12日。都のモニタリング会議では、専門家から「制御不能な状況」「医療は深刻な機能不全に陥っている」と医療崩壊を意味する言葉が飛び、「もはや自分の身は自分で守る感染予防が必要な段階」と深刻な認識が示されました。
こうした状況のなかで、東京の六つの自治体の首長がこの日、都庁で記者会見を開き、政府・与野党に呼びかける緊急提言を発表しました。
「直近の首都東京における感染爆発の勢いは、止まることを知らず、1年半にわたって続いてきたコロナ危機の中で、最も深刻な状況となっています。『自宅療養者』が激増する中で診断や治療へつなぐことが困難となりつつあり、この事態の収束を共通目標として、政治の場で与野党が力を合わせて対処することを求めます。すでに、衆議院議員の任期まで2カ月余りとなっている現在、任期満了から起算出来る総選挙日程を決めた上で、国民の健康と生命を守るために政治休戦して、全力で危機回避にあたるべきだと考えます」
その上で、
(1)東京などの感染爆発地域へのワクチンの集中
(2)自宅やホテルで療養する患者の診断やリモート診療など、保健所と医療機関が連携できる環境と制度設計
(3)入院調整中に酸素吸入が必要となった場合に利用できる「酸素ステーション」の増設や、容易かつ迅速に検査できる体制の整備
これらを柱とする提言が盛り込まれていました。
提言の最大のポイントは「政治休戦」です。コロナ感染の最前線で対応にあたる首長が、10月21日の任期満了が迫る衆院選に関し、首相が一方的に解散権を使うのではなく、与野党で日程を決めるよう求めています。選挙を意識した権力闘争ではなく、この2カ月間は「与野党が力を合わせて、危機的なコロナ対応に集中してほしい」という願いが込められています。
呼びかけ人になった世田谷区長の保坂展人さん(元・社民党衆院議員)は「選挙日程を与野党合意すればそれまでの間、国会で実のある議論ができる。人命に関わる事態なので、与野党党首会談も含めて対応してほしい」と要請。新宿区長の吉住健一さん(元・自民党都議)も現状を「衆院選を控えて思い切った施策を打てない状況になっている」と分析し、「思想信条が異なる超党派で連携して政治休戦を訴える」と呼びかけました。
南彰(みなみ・あきら)1979年生まれ。2002年、朝日新聞社に入社。仙台、千葉総局などを経て、08年から東京政治部・大阪社会部で政治取材を担当している。18年9月から20年9月まで全国の新聞・通信社の労働組合でつくる新聞労連に出向し、委員長を務めた。現在、政治部に復帰し、国会担当キャップを務める。著書に『報道事変 なぜこの国では自由に質問できなくなったのか』『政治部不信 権力とメディアの関係を問い直す』(朝日新書)、共著に『安倍政治100のファクトチェック』『ルポ橋下徹』『権力の「背信」「森友・加計学園問題」スクープの現場』など。
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