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エンタメ

常識人だった志村けん「立派な変人」になるため身につけた膨大な教養

ネタ探しのため、すべてのスポーツ紙をチェック

東村山市の市制施行50周年を記念して植樹された「志村けんの木」の看板。看板の文字は志村さんの直筆だ=2020年6月2日午前11時7分、東京都東村山市本町2丁目、小林太一撮影
東村山市の市制施行50周年を記念して植樹された「志村けんの木」の看板。看板の文字は志村さんの直筆だ=2020年6月2日午前11時7分、東京都東村山市本町2丁目、小林太一撮影 出典: 朝日新聞

目次

志村けんの訃報から1年あまり。セクハラまがいの行為を繰り返すキャラクター「変なおじさん」で知られる志村だが、実生活では至って常識人だった。とくに時間厳守は徹底していたようだ。ゆかりの人の証言からは、一瞬の笑いのために努力を惜しまない、常識と非常識の間を行き来した姿が浮かび上がる。(ライター・鈴木旭)
※本文は書籍『志村けん』論から抜粋して再構成しています

世間の常識を知るためニュースをチェック

「当たり前と言えば当たり前の話だが、昔から最低でも十分前には約束の場所に到着するようにしている。それは、相手がどんなに偉くても、有名でも、金持ちでも、年下でも、後輩でも、まったく変わらない。仕事のスタート時点では、いつも相手と対等でいたいと思っているからだ」(著書『志村流』(三笠書房)より)

約7年間にわたって付き人を務めた乾き亭げそ太郎の著書『我が師・志村けん――僕が「笑いの王様」から学んだこと』によると、志村は毎朝ニュースを欠かさずチェックし、すべてのスポーツ紙に目を通していたらしい。世間の常識を知ることで、「ネタのヒントにならないか」「自分の感覚にズレがないか」を日々確認していたと思われる。

日本テレビ系列の『天才!志村どうぶつ園』など多くの番組で企画・制作を担当し、プライベートでも親交の深かった上村達也は、志村からこんなことを聞いたそうだ。

「志村さんが言っていたのは『常識は凡人、個性は変人』ということ。常識を知らないと非常識なことはできないってことです。そんな個性を視聴者は見たいんだっていうのが志村さんの持論でした。視聴者から見て自分は立派な変人でなければいけない。『変なおじさん』じゃなきゃいけないってことですよ」

「変なおじさん」でいるためには、見る者が何も考えずに楽しめるものでなければならない。だからこそ、志村の準備には余念がなかった。

「制作予算の割り振り(セット、出演者のキャスティング……)に始まり、ネタのすり合わせまで、すべてがピタっとジグソーパズルのように適材適所にはまってこそ、輝く笑いが作れるというもの。それもこれも、すべては完璧な下ごしらえがあってこそだ。でも、その下ごしらえが相手に見透かされるようじゃ、ぜ〜んぜんいけない。苦労した跡がバレるようじゃダメ。あくまでもサラっと自然に、が基本だね」(先述の『志村流』より)

乾き亭 げそ太郎『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』(集英社インターナショナル)

様々なジャンルに興味、嵐の公演にも

「下ごしらえ」は、職人の仕事を思わせる。数多くのコント番組で志村と仕事をともにしたカメラマン・藤江雅和は、その仕事ぶりをこう語っている。

「ゲストの方がいらっしゃったときっていうのは、コントを準備するのもかなり早め。すでにいろいろと考えておいて、ゲストを待たせない。そういう志村さんとお仕事していくと、どんどん周りのスタッフも先を見据えて動くようになるんですよ。あれがすごく助かりましたね。肝心なときの『これしかない』っていうような〝決まりの画〞があるじゃないですか。それを志村さんが要求しているなら、それは絶対に外せない。『これだけの広い画でこうなります』っていうのを早めにセッティングして、美術さんとか照明さんとかに確認してもらうっていうような連携をとっていました」

スタッフに指示するには、発信源である志村自身も準備をしなければならない。自宅で映画やドラマ、バラエティーをチェックするだけでなく、様々なジャンルに興味を持ち、足を運ぶ労力を惜しまなかった。前出の上村は、その熱心さについてこう語っている。

「番組で共演しているタカアンドトシのライブも僕と行きましたし、お笑いのライブは全部観てるんじゃないかっていうくらい観てますよ。それから、音楽のコンサートもよく一緒に行きましたね。ポール・マッカートニー、中島みゆきさん……本当にいろいろです。嵐の東京ドーム公演なんて、立ち上がって身を乗り出して観てましたよ。エンターテイメントの内容は違うけど、『全員集合』の屋台崩しであったりとか、そういうものともつながってくることなんでしょうね」

鈴木旭『志村けん論』(朝日新聞出版)

引っ越し祝いのサプライズ

情報収集は、何もエンタメだけにとどまらない。周囲を喜ばせるため、プライベートでサプライズすることもよくあった。

「27年くらい前の年の暮れに、僕が家の建て直しをしたんです。引っ越しが終わって、いざ正月を迎えようとしたら、東芝のバズーカっていう大きなテレビが届いて。『え、間違いでしょ?』と思ったら、『いえ、志村康徳さんからです』と。家建てたとか何とか一言も言ってないですよ。たぶん、どっかで話を聞き込んだんでしょうね。年明けの最初の収録のときに感謝の言葉を伝えると、志村さんが『大丈夫、だいじょうぶ』って。多くは語らないんだけど、それぐらい気を遣ってくれる人でした」(藤江)

「出会ってから、毎年のように志村さんが僕の誕生日を祝ってくれました。ただ、ある年にうちのスタッフが開催してくれたときがあるんですよ、本当にリーズナブルな鉄板焼き屋でね。そこにフラッと志村さんが来たんです。『どうしたの?』って尋ねると、『誕生日だと思って』と返してくる。前日に志村さんと誕生日会やったばっかりなのに(笑)。志村さんが運転手に僕の居場所を探させたんでしょうね。それで、うちのスタッフに電話したんだと思います。『突然行ってビックリさせてやろう』みたいな、そういうすごくおちゃめなところがありましたね」(上村)

常識と非常識の間を行き来し、自分自身を理解してくれる相手にはできる限りのもてなしをする。それでいて、一瞬の笑顔のために費やした時間や労力は、決して相手に悟られないよう振る舞うのだ。この姿勢は、コントでもプライベートでも変わらなかった。「目の前の一人を楽しませること」が志村の笑いの根幹だったのだろう。

 

鈴木旭(すずき・あきら)
フリーランスの編集/ライター。エンタメ全般が好き。特にお笑い芸人をリスペクトしている。2021年4月に『志村けん論』(朝日新聞出版)を発売。
 
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