連載
#14 ゴールキーパーは知っている
神戸のGK、突然の交代 ベテラン飯倉が、ゆっくりピッチに入った理由
スポーツに限らず、こんなベテランがいる組織は魅力的だと思う
ヴィッセル神戸の飯倉大樹(35)は7月3日のJ1湘南戦、試合途中からゴールマウスの前に立った。この交代の場面で、ベテランゴールキーパーがゆっくりとピッチに向かったことが気になっていた。どんなスポーツでも突如として出番が回ってくれば焦るもの。後日、その理由を聞いて、J1で長くプレーしてきたゴールキーパーの矜持を感じた。
2―1で迎えた後半17分。先発の前川黛也(26)が突如、ゴールポスト脇に座り込んだ。右足の付け根を手で押さえ、表情をゆがめる。駆け寄った仲間がベンチに両手で×印を掲げた。
メインスタンドの記者席からアップゾーンに目を向けると、ベンチに向かう飯倉がいた。昨季までJ1通算255試合に出場し、途中出場はわずか一度だけ。9年ぶりにその機会が巡ってきた。
交代から1分後、試合が動いた。仲間が体を張って相手の攻勢を防ぎ、カウンターから追加点を奪った。その後は飯倉の好セーブもあって、湘南の攻勢を防ぎきった。試合後の取材で、三浦淳寛監督(46)は途中出場の選手をたたえた。「いつ出ても活躍できる準備を普段からしているし、練習はうそつかない」と。
3日後のオンライン取材。その舞台裏を知ることができた。
どんな心境で試合に入ったか問われた画面に移る飯倉が、言った。
「別に準備してなかったですけどね」
思わぬ答えを差し込まれた。確かにゴールキーパーの途中出場は珍しい。飯倉も自覚していた。「僕は2回目でしたけど、キーパーのプロで、ずっとベンチに入っていても途中で出る人はほとんどいない。確率は低いと思います」。それでも、飯倉がウォーミングアップをしていたのは見えていた。
一方で、思い当たる節もあった。前川が座り込んだ後、記者席から見えた飯倉の動きに違和感を覚えた。とにかく、遅いのだ。
普通なら、チームを救わねばと足早になる場面。焦りが生まれてもおかしくない。だが、飯倉にそんなそぶりはなかった。淡々とユニホームを着替え、グローブをはめる。ピッチに出てもすぐには駆け出さない。ゆっくりとゴールマウスに向かった。
「結構ゆったりプレーしようというのは心がけていた」と飯倉。そして、二つの理由を教えてくれた。
一つ目はコンディション。「いきなりフルでプレーに入ると、けがのリスクがある」。今季もけがで出遅れていた35歳なだけに、納得のいく答えだった。心の準備もしていたのだろう。
もう一つの理由は、ちょっと意外だった。それを明かす前に、飯倉に抱いていた印象を記しておく。
横浜F・マリノスで長く守護神を務め、2019年のシーズン途中で神戸に移籍。ビルドアップを得意とする飯倉とパスワークが持ち味の神戸の相性はよかった。すぐさま先発の座を勝ち取り、天皇杯優勝に貢献。翌年オフに広島から移籍してきた広永遼太郎(31)は決断の理由をこう語った。
「飯倉くんが、すごく生き生きとビルドアップしていて、僕もこういうパスサッカーのもとでやりたいなという気持ちが、話をいただいた時に蘇ってきた」
一方で、果敢な攻撃参加が裏目に出て、致命的なボールロストに至ることも。猪突猛進タイプなのかな、と思っていた。
だが、二つ目の理由を聞いて印象は変わった。
「あそこでキーパーがばたばたするのがチームにとって一番マイナスだと思ったので」
飯倉は、ゆっくりと交代する間、ピッチに残っていた選手は水を飲みながらコミュニケーションをとっていた。
直後のカウンターで得点を記録したMF中坂勇哉(23)は、途中出場組。この間に先発メンバーと攻撃のイメージを共有する時間となったのかもしれない。真偽はわからないが、飯倉の選択が他の選手に頭の整理をする猶予を与えたことは間違いはない。
不測の事態にも冷静でいられたのは、一度、経験していたからだという。「自分ができることをやって、流れだけは崩さないようにしようかなと。割り切って試合に出た。急な出番だったんですけど、技術、メンタル、いろんなものを、あの短い時間で出せたことはポジティブにとらえたい」と振り返った。
今季のリーグ戦出場はこの試合が3試合目。ベンチにいる時間が長い分、チーム全体がよく見えていたのだろう。
「僕も35歳。選手を育てるというか、優しい言葉ときつい言葉を織り交ぜながらサポートしていくのも、ベテランの仕事だと思ってるんで」。ピッチの内外を問わず、広くものが見えている飯倉は、上位を争う神戸にとって心強い存在だ。
残念ながら、17日にあったセレッソ大阪戦で後半に足を痛めて途中交代してしまった。チームにとっても大きな痛手だが、飯倉自身が最も悔しいはず。いまはただ、いち早く万全な状態で戦列に戻ってきてくれることを願っている。
思い出した松井稼頭央選手の気配り――取材を終えて
飯倉の取材を終え、脳裏で姿が重なった選手がいる。プロ野球楽天イーグルスの担当記者だったころ、よく話を聞いていた松井稼頭央選手(現埼玉西武ライオンズ2軍監督)だ。
2016年、ある試合前のミーティングで前日に落球した後輩に通常の3倍ほどのグラブをプレゼント。仲間もミスした本人も大笑いだった。この日の試合、松井選手は決勝打を放った。
このとき、40歳。大リーグでも活躍した名選手の出場機会は減りつつあった。自分のプレーに集中したいはずなのに、周りへの気配りを忘れなかった。
過去の実績にとらわれず、いま何をすべきか考えて動く。スポーツに限らず、こんなベテランがいる組織は魅力的だと思う。
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