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話題

津波を前にタバコをつけた被災者、アーティスト・キュンチョメの覚悟

「お前も地球の痛みを感じてくれ」

キュンチョメの2人=汰木志保(ソー写ルグッド)撮影
キュンチョメの2人=汰木志保(ソー写ルグッド)撮影

目次

現代アーティスト「キュンチョメ」の2人は、東日本大震災をきっかけに活動を始めました。最初の作品は被災地に「タイムカプセル」を埋めるというもの。その後も、被災者と一緒にフォトショップで帰宅困難区域を区切るバリケードを消すなど、予定調和に終わらない挑戦を続けてきました。SDGsには「地球の痛みを感じてくれ」と訴える2人。「アートは嫌われ者でいい」と言い切る覚悟を聞きました。

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〈キュンチョメ〉
ホンマエリとナブチの男女二人のアートユニット。2011年、東日本大震災をきっかけに活動をスタート。大震災だけでなく、沖縄の基地問題、香港のデモ、ジェンダー問題など様々な社会課題を元にした作品が多い。最近では「表現の現場調査団」でハラスメントの実態を発表するなど社会活動も行う。アートにとどまらない活動で注目を浴びている。
キュンチョメ 公式WEB(https://www.kyunchome.com/
 

被災地に埋めた「タイムカプセル」

――アートを始めたのは東日本大震災がきっかけなんですね。

ホンマ)
私はちょうど、超マッチョなブラック企業で働いていたんですよね(笑)。疲れたわー、なにこれ超やだーと思っていたんですよ。そんな矢先に震災が起きて、世の中が超大変になって。

一方で、アーティストたちも、震災を前にしてアートは無力だというムードになっていて。でもそれは違うというか、真逆なんじゃないかと思ったんですよ。

ものすごい絶望や悲しみに直面してしまった今こそ、アートが必要だと思ったんです。だから私は、勢いで会社を辞めてアーティストになりました。

ナブチ)
僕はもともと表現活動とかはそんなやるつもりはなくて。このままなんとなく死ぬのかなって思っていたところで、東日本大震災があって。

そしたら、今までどうやっても動かなかった頭と体が急に勝手に動き始めて、「ああ、僕にはやらなければいけないことがあるんだ」ってわかってしまった。スピリチュアルな話なんですが、割と本気でそう思ってしまって(笑)。


――ナブチさんは茨城出身ですね。

ナブチ)
そうですね。全然話題にならなかったんですけど、茨城も震災で結構大きな被害を受けていたし、実家の被害もすごかった。

それに爺さんとか、従兄弟とか、親戚の多くが原発関連施設で働いていて、子供の頃から原発に遊びに行っていたから原子力が超身近な存在で。1999年のJCOの臨界事故も経験していて、その日の記憶が強烈にフラッシュバックしたのを覚えています。


――初作品が『指定避難区域にタイムカプセルを埋めに行く』でした。

ホンマ)
当時はニュースでは『放射能の半減期』(放射能が弱まって、はじめの半分になるまでの期間)っていう聞きなれない言葉が飛びかっていて。しかも、それが途方もなく長くて遠い時間で。

そんな抽象的な時間の中に、ある街が街ごと閉じ込められてしまうのかと思って悔しくてたまらなくなったんです。自分の想像の外の場所になってしまうというか。

そうなったら自分とその土地は未来永劫切り離されてしまって、私も人間だから、そのうち忘れてしまうんだろうなって。

それがすごく悲しくて、その場所と自分を切り離さないために、封鎖される地域にタイムカプセルを埋めにいきました。

カプセルがそこにあり続けることで、私はこれからも、この先も、その土地のことを考え続けるし、繋がり続けることができると思ったんです。

『指定避難区域にタイムカプセルを埋めに行く』
福島の原発事故で放射能汚染された地域にタイムカプセルを埋めに行ったプロジェクト。タイムカプセルにはパーティーグッズが入っていて、将来解除されたら、パーティーをしようというもの。

ナブチ)
僕らと、封鎖される土地をつなげておくための儀式が必要だったのかもしれないです。


――なんで、カプセルだったんですか。

ホンマ)
入れ子みたいな感じですね。あの場所自体が日本のタイムカプセルになってしまうから、その中に、さらに、うちらもタイムカプセルを埋めようと思ったんです。


――ポップな感じもしながら、強い当事者意識を感じます。

ナブチ)
当事者性ってアートが必ず突きつけられる問題で、色々な考えがあるんですけど、結構複雑で。例えば、当事者じゃない人がそれをテーマにするのは良くないという考え方があって、それを結構な頻度で言われたりするんですね。でも、ずっと腑に落ちなくて。

そもそも当事者性って、パースペクティブ(視点)の話だと僕らは思っているんですよね。例えば原発事故に関する問題を「浜通りの問題」(福島の沿岸部)というか「福島の問題」というか「日本の問題」というか「世界の問題」というか、視点を置く場所によって見え方も感じ方も随分変わると思うんです。

ホンマ)
日本で震災に関する作品を見せると「君は被災当事者なのか?」と必ず聞かれるけど、海外で見せても全く聞かれない。

海外に住んでいる人にしてみたら、日本という国そのものが当事者だと当然思ってるし、原発に依存する世界全体の問題だと捉えていたりするから。遠いからこそ、パースペクティブが大きめというか。

ナブチ)
ずっと近くに寄って見たら当事者じゃないかもしれないけど、ちょっと引いて見たらそんなことはなくて、繋がっている。それはSDGsの話と似ている思っています。

ホンマ)
ズームレンズみたいな話で、寄って見たり引いて見たり、いろいろなレベルで頻繁に視点を変えた方がいいのかもしれないですね。

そうすると、遠いと思っていたものでも自分ととても関係のあることだったり、自分の切実さとぶつかる瞬間がある。そういう瞬間があればSDGsに書かれていることも単なる『標語』じゃなくなると思うんですよね。

『指定避難区域にタイムカプセルを埋めに行く』
『指定避難区域にタイムカプセルを埋めに行く』

アートができる「魂同士のダイレクトな通話」

――被災された方と一緒につくるような「参加型アート」が多いですね。

ホンマ)
私たちは震災以降、主に福島を中心に訪れていたんですが、そもそも2011年から2013年くらいまで、福島の浜通りは、みんな避難していて人がほとんどいなかったんです。

だから、向き合うものは海と瓦礫と原発と、そして自分だったんですね。自分しかそこにいないので、必然的に自分と向き合うことになりました。

でも、ある程度時間が経つと、帰還困難区域の一部が解除されて人が戻って来たり、現地の知り合いができたり、郡山とかにある仮設住宅のコミュニティーに少しずつ入れるようになったり、徐々に人とコミュニケーションが取れるようになっていったんです。

復興が進むのと並行して、その地に住んでいる人と共同作業をすることにもなっていったという印象ですね。

ナブチ)
僕は、今もそうなんですけど、人とコミュニケーションするのがとても苦手で。というのも16歳の時から22歳の頃まで6-7年の間、ヒキコモリをやっていて、現実世界で他者とほぼ接触することなく成長してしまったんですね。

そもそも、人間同士で音声の会話をすることってコスパが悪いというか、意味がないものだと思っていたんですよ。インターネットの方が上位だと。現実のコミュニケーションってだいたい予想できちゃうし、嘘をついたり、カッコよく見られたいと思ったりしてしまう。でもネットなら、偽りのない、魂同士のダイレクトな通話みたいなことが可能なんじゃないかなと思っていたんです。人間の深層に簡単に近づけるネットは優れたコミュニケーションなんだと。

でもある時、アートを通せば現実世界でも同じようなことができるって気がついたんですよね。「現実世界で人と話すって、意外と面白いんだな」って28歳ぐらいでようやく理解できた。だいぶ時間かかりましたね(笑)

ホンマ)
ダイレクトコネクトできるっていうのがアートの醍醐味ですね。攻殻機動隊で、お互いに首の裏を有線でつないで会話する感じとかなり近い気がする。「ビビッ」と瞬時にわかり合う、「ビビッ」を可能にするのがアート。

引きこもっていた過去を語るナブチ氏=汰木志保(ソー写ルグッド)撮影
引きこもっていた過去を語るナブチ氏=汰木志保(ソー写ルグッド)撮影

津波を前に「タバコに火をつけた」被災者の感情

――『ウソを作った話』で、被災されたお年寄りにフォトショップを使ってもらい、帰還困難区域を区切るバリケードを消してもらう様子は衝撃的でした。

ナブチ)
仮設住宅にいる人は高齢な方が多くて、みんな生まれて初めてマウスを触るみたいな状態で。クリックを教えるところから始めたんですよね。

みんな老化で手首が固くなっちゃってるから、パソコンをいじる前に、手首をぐるぐる回してストレッチするところから始めるという。

『ウソをつくった話』
『ウソをつくった話』

『ウソをつくった話』
福島の仮設住宅に住む帰還困難者たちと共に、故郷へと続く道を封鎖するバリケードをフォトショップ(画像加工ソフト)で消していく作品。画像に映るバリケードを消しながら、自然と出てくる言葉が映像に収められている。

――作品に参加した人はどんな反応でしたか?

ホンマ)
この作品は笑い声が多いんですよ。おばあちゃんたちはバリケードや、故郷そのものを消しながらずっと笑っている。

でも、笑い声があるから、楽しいって感情だけがあるわけでもなくて、笑いの中にその人のたくましさも、切なさも、悲しさも、いろんなものが詰まっているんです。

ナブチ)
行為を提案した僕らも、共同作業している相手(おばあちゃんたち)も、その行為を間接的に見ている周りの人も、全員がその作品や行為を通して想定していない状態になってしまうことが大切なんじゃないかって思ってるんですね。

あくまでも作品っていうのは踏み台であって、大切なのはその先というか。

ホンマ)
ある種、予定調和を超えるのがアートで、それを超えるための装置を作っている感じですね。

ナブチ)
『空で消していく』という作品を石巻に住んでいる人たちと共同で作っている時に、ある人が、「あんまり人には言えないんだけど、ブワーッと津波が襲ってきた瞬間に、自分はタバコに火をつけたんだよね」と言っていたのがすごく印象的で。

衝撃を受けると同時に、ああ、もしかしたら自分もそうするかもなって思ったんですよね。想像が拡張したというか、自分が同じことをしている姿をありありと想像できてしまった。

その人は運よく助かったけど、タバコを吸ったまま死んでいたかもしれない。

『空で消していく』
『空で消していく』

『空で消していく
石巻の人に「消したいものはありますか?」というインタビューをした後に、iPhoneカメラのパノラマ機能を誤使用して、消したいものを空(そら)にしてしまう、という映像作品。。

ホンマ)
この、まさかという感覚と、わかるという感覚が同時にやって来る感じをとても大切にしなきゃって思うんですよ。自分の思い込みがガツンと殴られて、更新されて、新しい感覚につながる感じというか。

わたしはその話を聞いてから、自分に迫り来る津波を見ながら吸うタバコの味を何度も想像していて、そのときの心拍数とか、浮遊感とか、匂いとか、そういう感覚まで感じられて。

ナブチ)
津波の経験一つとっても、ものすごくたくさんの感情があって、それを自分の想像の中に押し込めてはいけないというか。

むしろ想像から解放する必要があって、アートはそれを助けてくれるものだと信じています。

インタビューを受けるホンマ氏(手前)とナブチ氏(奥)=汰木志保(ソー写ルグッド)撮影
インタビューを受けるホンマ氏(手前)とナブチ氏(奥)=汰木志保(ソー写ルグッド)撮影

「お前も地球の痛みを感じてくれ」

――原発問題も賛成反対と色々な意見があって、正しい解決方法がわからないですよね。

ホンマ)
今は、原発問題などの長期化する難解な問題に対して、どうしたら全員が切実になるのかということに興味があります。なかなか切実になれないじゃないですか。環境問題も同じです。

じゃあ、どうしたら、私たちは自分の痛みとして知覚できるんだろう。その超越の仕方、方法論を考えていくことに興味がありますね。


――原発ゴミの最終処分場問題だと、地層処分をして10万年後にやっと放射線量が半減すると言われています。人類誕生レベルの時間軸ですよね。

ホンマ)
地球に穴が開けられて、原発ゴミが埋められて、それを10万年間待たなければいけない地球の痛みをマジで感じてみたいんですよね。例えばその痛みを人間も感じることができたとしたら、それってすごいことじゃないですか?

SDGsが本当にやりたいことってそこだと思うんですよね。「お前もこの痛みを本当に感じてくれ」と。

でも、17個のゴールという標語だけになってしまうと、文字通り単なる標語になっちゃうので。その痛みをばらまく係は、アーティストである我々がやらなければ、という気持ちはあります。

SDGsはもっと痛みを知覚できるようにならないといけないですよね。あんな分厚いスーツにピンを指している場合じゃない。自分の体にバッチをさすとか(笑)。

ナブチ)
違反するとバッチから電気ショックが流れるようにするとかね(笑)。

ホンマ)
ポイ捨てすると、ものすごい警報音がバッチから鳴って、ロボットに連行されるとか。だんだんディストピアSFみたいになってきたけど(笑)。


――とはいえ、ネガティブなものは疎まれるものでもあります。日本で、うまくやれますか?

ホンマ)
みんなが好きじゃないもの、気持ちよくないことを引き受けるのも、アートの役目かもしれないですね。美しかったり楽しいことは他の分野がやってくれるので。

そもそも既存のルールや権力をひっくり返すのがアートの役割なので、アートは嫌われ者でいいし、そうあらなければいけない(笑)。 私が好きなアートは大体ショックを受けてしまうものだったりするので。

これからも、自分や世界にショックを与え続けようと思いますね。

インタビューに応えるホンマ氏=汰木志保(ソー写ルグッド)撮影
インタビューに応えるホンマ氏=汰木志保(ソー写ルグッド)撮影

アートを社会課題の解決に――取材を終えて

キュンチョメさんを初めて知ったのは宮城県石巻の芸術祭で展示されていた『空で消していく』でした。公私ともに復興支援に関わってきた私は、ある程度現場の状況を知っているつもりでした。しかし、キュンチョメさんの作品には、今まで顕在化されていなかった、被災した方々のリアルな感情が詰まっていました。

震災発生時に石巻にいなかった女性の話は、特に印象的でした。当日たまたま埼玉に行っていたこともあり、被災を免れた。その後、石巻に戻ったら、被災を経験していないことで周りの人からの疎外感を感じたという話でした。

被災地では、被害が大きかった人や場所がフォーカスされがちです。もちろん、それは正しいのですが、キュンチョメさんが指摘するように、被災地には想像を超えた様々な感情を持った人たちがいます。そんな被災地のリアルを、アートを通じて自然に感じさせてくれます。

被災地のリアルな話を引き出すのは、キュンチョメのアートの核となる「不思議な装置」。iPhoneカメラのパノラマ機能を使って消したいものを消したり、被災した方々とフォトショップでバリケードを消したり、蝉の殻をつぶしながら「生まれ変わったらなりたいもの」を宣言したり。どれもここでしか聞けない被災地のリアルな声が引き出されています。

被災地にある様々な感情を見事に表現するキュンチョメの作品には、社会課題に向き合う人たちにとっても多くの示唆があります。そして、アートをすでに顕在化された課題を表現したものと考える人もいますが、潜在的な課題を発見するツールともなります。メディアや行政、そして、NPOなど社会課題に関わる様々な人たちが、もっとアートに触れて、それぞれの仕事や活動に積極的につなげて欲しいと思いました。

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