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「地下ライブ」から生まれた芸人たち アルコ&ピースが見つけた境地

「小市民」に寄り添ってくれる潔さ

アルコ&ピースの平子祐希(左)と酒井健太=2012年11月25日
アルコ&ピースの平子祐希(左)と酒井健太=2012年11月25日
出典: 朝日新聞

目次

2000年代初頭、東京では「地下ライブ」と呼ばれるインディーズシーンが生まれていた。目の肥えた観客、業界関係者の目にとまり、活躍の場を広げていった芸人たち。2021年5月5日に放送された『お笑い実力刃』(テレビ朝日系)でコントと漫才を披露し、サンドウィッチマン・伊達みきおから絶賛されたアルコ&ピースの平子祐希と酒井健太も「地下ライブ」で「天才」と呼ばれていた。2人の軌跡から「地下ライブ」が生みだした、もう一つのお笑いシーンを振り返る。(ライター・鈴木旭)

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「まぁオレら才能ないよ」

「謙遜でも何でもなくだけど、まぁオレら才能ないよ、(お笑い界の)あのバケモンたちに並ぶと。一緒に出ててさ、毎回消えたくなるもんね。(中略)オレらがもし才能あるとしたら、(周りにいるタレントの)才能を感じてちゃんと黙れる才能はたぶんあるんだよ」

これは、YouTubeチャンネル『アルピーチャンネル_アルコ&ピース公式』内の動画「【未公開】酒井の誕生日に2人きりでガチトーーク!」(2020年10月31日公開)の中で平子が語った言葉だ。

また同じ動画の中で酒井は、「若様(オードリー・若林正恭)とかやっぱ……(番組で)同じ現象見てて、自分が浮かんだ言葉(が)マジで情けなさ過ぎて……マジで。『うわっそんな言葉ここで浮かぶ?』って思う、いっつも」と口にしている。

ここまで露骨に“自分たちの才能のなさ”をさらけ出すコンビも珍しい。一般的にはどちらかがネガティブで、もう片方はあっけらかんとしているものだからだ。彼らにはそうした極端なコントラストがない。深い穴底に落ちるでも空高く舞い上がるでもなく、フワフワとあたりを浮遊している。

そんな彼らは、かつてお笑いのインディーズシーンを沸かせるカリスマだった。2人のネタを見たいと、ライブハウスがすし詰め状態となった時代が確かにあったのだ。

酒井は一人だけ飛び抜けてる

平子のデビューは早く、1997年に「ドントクライ」というコンビで活動をスタートしている。解散後、2004年に別の相方とのコンビ「セクシーチョコレート」を結成するも約2年で解散。その後2カ月間は、「セクシー平子」としてピンで活動していた。

一方の酒井は、2005年に学生時代の仲間と「ホトトギス」というトリオを結成し、ほどなく解散。その後は、「SOSSHO酒井」としてピンで活動している。「SOSSHO酒井」の名付け親であり、トリオ時代の酒井をよく知る当時の事務所の先輩・モダンタイムスの2人は、私が直接インタビューした「文春オンライン」の記事(2021年4月25日掲載)の中でこう語っている。

「本当に地下芸人の間では『酒井は一人だけ飛び抜けてるな』って感じで、もうお客さんも『ラーメンズ』を見るような目ですよね。前傾姿勢でネタを見られている感じ。ホトトギスのネタを見て笑わないほうがセンスない、って思われちゃう雰囲気」(としみつ)

「ネタ会を外苑前のライブハウスでやった時、元『フォークダンスDE成子坂』の故・村田渚さんがホトトギスのネタを見て、平子にボソッと『天才やん、こいつ』って言ったらしい。それぐらいの存在だった」(川崎誠)

平子はわかりやすい“筋肉ネタ”を売りとしていたのに対し、酒井はサングラス越しに組み体操するメンバーを眺めながら、「どう? オーディエンス。すごいっしょ」と言って笑いをとるようなシュールなネタを披露していたという。

どちらもコンビ、トリオ時代は事務所ライブのトップ争いをしていた。そもそも一目置かれる存在だったのだ。


地下ライブでコンビ結成

アルコ&ピースの結成は、2000年代初頭に東京で起こったインディーズシーンを外しては語れない。

当時、大手事務所に所属していない芸人は、軽い気持ちでライブに出ることもできなかった。無所属の場合は、芸人がライブ主催者側に2万円程度の出演料を支払う必要があったのだ。やがて芸人たちは、「自分たちで場所を借りたほうが安上がりだ」と気付き、事務所とは関係ない独自のライブを打ち始める。これが「地下ライブ」の始まりだ。

その地下ライブの一つに、黒船男児(現・クロノユウスケ)が中野のライブハウスで立ち上げた「東京シリーズ」があった。当時、毎回超満員という盛況ぶりのライブだったという。

2006年、平子と酒井はピン同士でユニットを組み、このライブに出ようとする。しかし、主催者の黒船男児から「コンビじゃないと出したくありません」と断られ、2人は正式にコンビを結成。そもそも注目度の高かった彼らがコンビを組んだことで、インディーズ界に激震が走った。

先述のインタビューの中で、モダンタイムス・としみつは「酒井が平子と組んで、ちょうどよくポップになった」と語っている。アルコ&ピースは、これ以上ない形でスタートを切ったと言えるだろう。

土壇場で吹っ切れた『THE MANZAI』

2004年にお笑いライブを主催する「K-PRO」が旗揚げし、「地下ライブ」とは別の文脈も生まれていた。アルコ&ピースはここでも実力を示し、2000年代後半のライブシーンで広く知られる存在となっていく。

2007年に平子が結婚し、2010年に太田プロダクションに移籍。2011年に『THE MANZAI』の決勝に進出するなど公私ともに変化が訪れる。これだけ見れば順風満帆と思われるが、家族を持つ平子は経済的に苦しく、モチベーションが下がっていた。一度は芸人引退も脳裏を過ぎったという。

しかし、土壇場で何かが吹っ切れた。それは平子のネタづくりにも強く反映されることになった。

「変則的なネタを作り続けてきたんですけど、考えてみたら中途半端だったんですよね。しかも、これまでやってきた起承転結をつけたようなネタも、去年まったくウケなかった。そこで、思い切ってぶっ壊してしまおうと思ったんですよ。漫才でよくある“○○になりたいから、2人で○○をやってみよう”という入りに、あえて僕が入らないという設定を考えました」(2020年12月13日に掲載された「WANI BOOKS NewsCrunch」平子祐希のインタビューより)

平子が話すネタは、『THE MANZAI 2012』で披露されたものだ。「オレが忍者やるから平子さん城の門番やって」と話を振る酒井に、苦悶の表情を浮かべながら「じゃあ、お笑いやめろよ」と説教を始める平子。通常ならそそくさとコントに入る「漫才コント」の定石をくつがえし、「設定に入らず、熱く説教する」というメタ構造で爆笑をとった。もう1つ披露したネタ「パイロット」も基本的には同じフォーマットだ。

この大会の彼らは、私も強く印象に残っている。当時は演技派のコンビとして見ていたが、今考えれば平子の「お笑いやめろよ」というセリフは少なからず本心も乗っかっていたのだろう。異常とも言える平子の本気度が伝わってきて、漫才コントそのものの滑稽さがより際立っていたのである。


“揺らぎ”の魅力を持つラジオスター

『THE MANZAI 2012』で3位という結果を残し、アルコ&ピースは一気に知名度を高めた。

翌2013年には「キングオブコント」の決勝に進出。ラジオ番組『アルコ&ピースのオールナイトニッポン0(ZERO)』(ニッポン放送)がスタートし、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)の準レギュラーになるなど、明らかに露出が増えていく。

とくにラジオ番組は好評を博し、翌2014年から曜日を変えて1部へと昇格。リスナーからの投稿を重視し、SNSでのコミュニケーションも積極的に取り入れた。そんな中、再び2部へと降格。2016年3月に打ち切りとなってしまう。しかし、彼らの人気は本物だった。最終回の当日、数百人のリスナーが有楽町の放送局へと駆け付けたのだ。

番組終了は朝方5時だ。いかに2人のラジオが魅力的だったかを象徴する出来事と言えるだろう。リスナーの有志が局の出口にレッドカーペットを敷き、駆け抜けたコンビの約3年間をねぎらった。

同年9月には、アルコ&ピースのラジオ番組にまつわる小説『明るい夜に出かけて』(新潮社)が発売され、第30回山本周五郎賞に輝いている。彼らの最大の魅力は、文学にも似た“揺らぎ”だ。そしてそれは、ラジオという閉じられた空間とも絶妙にマッチしていたと言える。

支えたくなる異色の求心力

特異なラジオスターであるアルコ&ピースは、テレビの世界でも独特のポジションで活躍している。『ゴッドタン』(テレビ東京系)では、酒井の女性遍歴が明かされたり、“お笑いアーティスト気取り”に見える平子のスタンスがイジられたりする企画で好評を博した。

また、彼らがMCを務めた『勇者ああああ〜ゲーム知識ゼロでもなんとなく見られるゲーム番組〜』(前同・2021年3月終了)は、ゲームに疎い者同士の対決企画を実施したり、ゲームと電流チャレンジを組み合わせたりするなど、バラエティー要素の強い異色のゲーム番組だったことで知られている。

数年前には、ネタ番組で平子が「意識高い系IT社長・瀬良明正」というキャラクターに扮してプチブレーク。直近では、『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)の中で、昨年のM-1王者であるマヂカルラブリー・野田クリスタルから「(コンビ結成前から)2人とも天才でした」と明かされるなど、改めて注目を浴びている。

現在のアルコ&ピースの活躍を後押ししているのは、ファンや地下ライブ時代からの仲間だけではない。先述の「WANI BOOKS NewsCrunch」のインタビューの中で、平子はこう語っている。

「有吉さんがやっているラジオ『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(通称:サンドリ)にアシスタントとして、ちょこちょこ出してもらっていて、そこで僕らを知ってくれたスタッフさんが多くいるんです。(中略)学生時代にサンドリを聴いていた人が、テレビのディレクターになって僕らを呼んでくれたりすることもあるんです。僕らがテレビに呼んでもらったりする今の状況って、全て有吉さんのラジオから始まっているんです」

非凡な才能などないことを潔く認め、それでも自分たちなりのやり方で闘っていく。「天才だった」という声にも「面白くない」という声にも、その日限りで一喜一憂するのみ。決して引きずることはない。「自分が一番わかっているから」と言わんばかりの彼らのスタンスは、妙にリアルで愛おしいものがある。

たぶんそれは、小市民の私たちが日常で抱く感覚に近いからだろう。アルコ&ピースは、そんな異色の求心力を持つ天才なのかもしれない。

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