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連載

#29 Busy Brain

小島慶子さん、恋人と同化したいと執着「それは強烈な支配欲だった」

互いにがんじがらめの共依存に陥るのです

小島慶子さん=本人提供
小島慶子さん=本人提供

目次

BusyBrain
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40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが綴る、半生の脳内実況です!
今回は、恋人ができるたびに、相手と同化して自分を消してしまいたいと願っていた20代の恋愛を綴ります。
(これは個人的な経験を主観的に綴ったもので、全てのADHDの人がこのように物事を感じているわけではありません。人それぞれ困りごとや感じ方は異なります)

誤解されがちな「自己肯定感」

 人に言われて困ったなあと思う言葉に「小島さんは自己肯定感が高いでしょう」というのがあります。自己肯定感という言葉は誤解されていて、自己陶酔やナルシシズムと同一視されがちです。テレビに出るのは、そんな人たちと思われているようですね。

 でも本当に自分に満足している人なら、わざわざ人前に出てきて、他人にあれこれ言われるような仕事には就かないでしょう。ものを書いたりもしないでしょうし。むしろなんらかの不全感があるから、人一倍コミュニケーションに関心を持つようになるのではないかと思います。

 毎度「いえ私、自己肯定感が低いんですよ」と言うのも面倒なので、「はあ」とか「いえいえ」とか言ってやり過ごしていますが、そう尋ねる人の言葉つきにはどことなく軽侮やからかいが含まれていて、あまりいい感じはしません。何のためにそんなことを聞くのか、私に何を言わせたいのか、興味深いです。

 もちろん、自己肯定感が高いのは素晴らしいことです。自己肯定感とは、ありのままの不完全な自分を受け入れ、認めることができること。自分を大切にできれば、他人も大切にすることができますよね。私も息子たちに「あなたを心から歓迎するよ。あなたはそのままでそこにいていいんだよ」と伝えることを心がけてきました。

 中には、子どもの頃にいろいろな事情で自分を受け入れることができなくなってしまった人もいるでしょう。最近は「自己肯定感を高めよう!」とよく言われますから、自分を好きになれない自分はダメ人間なのかと落ち込むこともあるかもしれません。自分大好き人間を馬鹿にする一方で、自分を好きにならないとダメだよと煽(あお)るのですから、いったいどっちだよ!と言いたくなりますよね。

 でも、自己肯定感が低いと人生おしまいというわけではありません。自分を好きになれなくても、多少は信用できそうだと思えれば、なんとかやっていけます。小さなことでも目標通り何かを成し遂げる経験を積むことで、案外凌(しの)げるのです。自己効力感と言ったりもするようですね。

 私の場合は、今から皿を洗うとか床を掃除するとか、すぐにできる小さな目標を立て、実行したら自ら激賛するというやり方で、実績を積んでいます。できなかったことよりできたことの方に注目するだけでも、まあよしとするかと思えます。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

ADHDである自分を受け入れ労(いたわ)る気持ち

 ADHDであることが判明してからは、玄関を出て忘れ物に気づいて取りに戻ると「ああ、またやっちゃったなあ。やっぱりADHDだからちゃんとできないのかなあ。悲しいなあ」と落ち込んだこともありました。

 何度もやってしまううっかりミスの原因がADHDだと判明して整理がついたのはよかったのですが、障害だからきっとこの先もずっとできないままだろう、と悲観的に考えてしまうこともあるのです。でも次第に、できないことを嘆いても仕方がないから、できたことを称賛しようと思うようになりました。

 今は、玄関を出て忘れ物に気づくと「おお、よく気がついた。えらいぞ慶子!」と呟(つぶや)いています。何かを忘れたり勘違いしたりしやすい特徴があるにもかかわらず、忘れ物にちゃんと気がついたのだからえらいじゃないか、今回も気がつくことができたぞ、と。これは、ADHDという障害を持つ自分を受け入れて、労(いたわ)る気持ちを持てるようになったからだと思います。このように、自分大好き!と思えなくても、「おお頑張ってるじゃん」とか「お疲れさん」とか、そんなことでも十分やっていけます。

 子どもの頃に発達障害の適切なケアを受けられなかった人は、周囲から叱責されたり否定されることが多いため生きづらさを抱えやすく、その結果二次障害と言われる様々なメンタルの不調などを起こしやすいとも言われています。

 私も摂食障害と不安障害という病気を経験していますが、これには原家族での愛着形成などの問題や、夫との関係で受けた精神的ダメージも大きく影響していますから、「発達障害だからメンタル疾患を発症した」というのは短絡的な説明でしょう。

 ただ、幼い頃に受け入れられた経験が少なく自己否定や自己嫌悪が強いと、他人と対等な人間関係を築くことが難しくなり、精神的な打撃から立ち直る力も弱いので、日常生活での精神的な負荷が大きくなりやすいとは言えると思います。

 発達障害の適切なケアを受けられないことが自己否定や自己嫌悪に繋がることはあるでしょうし、障害があるといろいろな困りごとや人間関係でのしんどさも多いですから、その点ではやはり、子どもの頃に身近な人に受け入れられる経験は、なんらかの脆弱(ぜいじゃく)性を持った人にとっては特に重要だろうと思います。

 しっかり根を張っている木なら耐えられる風にも、根っこが弱い木はすぐに倒れてしまいます。自分はここにいてもいい人間なのだと思えること、つまりこの世と自分をしっかり繋(つな)げておくことは、障害のある人など、社会の中で弱さを抱えている人にとってはきっと大きな助けになるでしょう。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

恋人に入り込んで同化しようとする暴力

 ありのままでここにいてもいいのだと自分を肯定する気持ちは、まずは親に受容されることで育ちます。それから、家族以外の人、例えば友達や、好きになった人との間で承認され大切にされることでも、育てることができますよね。

 幼い頃に身近な人から安心感を与えられないと、恋人に過剰な期待をしたり、臆病になったりと、関わり方が複雑になってしまうことがあります。人はみんな多少は屈折していますから、恋愛は人間を知るにはいい学びの機会とも言えます。私の場合はどうだったかを振り返ると、恋愛は自分を忘れるための避難場所だったように思います。

 18歳で初めての恋愛をして28歳で結婚するまで、恋人が途切れたことはありませんでした。誰かと付き合っていれば、大嫌いな自分のことを考えずにいられると思ったからです。目的は恋愛ではなく、絶え間なく自分を責めいじめ続ける脳みその気を逸(そ)らすことでした。相手を知ることよりも、自分を忘れることに必死だったのです。

 私は性愛を通じて特定の関係を結ぶ相手に、同化したいと強く思っていました。この体が死ぬまでは、好きでもない自分でいなければならないが、心から「あの人になりたい」と思える相手に受け入れられ、心身ともに同化したら、もう自分であることをやめられるのではないかと期待していたのです。生きながら死ねるかもしれない、という期待です。

 で、相手に入り込んで同化しようとしては「いや、私がなりたいのはこういう人じゃないんだよな」と文句をつける。相手が「僕はありのままの慶子と二人で一緒に生きていきたい」と言っても、こちらは「私は私でいるのが嫌なので、あなたに溶けこんで消えてしまいたい。だから私の要求するレベルをクリアするあなたでいて」と言うのだから、全然対等ではないですよね。

 相手に吸収されて無になってしまいたいと願うのは、ひどく従属的なようですが、侵襲(しんしゅう)行為です。同化願望は、強烈な支配欲なのです。ウイルスのようなものですね。ウイルスはそれ単体では増殖することができず、宿主の細胞に入り込んで自分の遺伝子を大量にコピーさせ、増殖します。あなたに一体化して融解してしまいたいというのはまさにこれで、相手に入り込み自分を溶かして依存し、時には相手をとり殺す。「あなたになりたい」は、暴力なのです。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

誤りに気づいたのは40代になってから

 この同化願望は見かけ上、相手を神のように崇めているように見えるので、「教祖願望」のある男性にとっては都合がいいでしょう。教祖願望がある男性は自信家でカリスマ性があるように見えますが、「スーパーヒーローでないと認めてもらえない」という強い不安で現実の自分が見えなくなっている人です。

 恋愛初期は教祖様を崇拝して一体化していた私がやがて「おいおい、そんなお前じゃ安心して同化して成仏できないよ。もっとちゃんとしろ」と言い出すと、教祖様の方が振り回されることになります。たった一人の熱心な信徒が脱会しては、教祖ではいられなくなりますから。こうして支配し、支配される関係が成立します。教祖は信者に逃げられまいと必死になり、信者は理想の教祖を求めて執着し、互いにがんじがらめの共依存に陥るのです。

 しかし、人を支配しても幸せにはなれません。疎(うと)ましい自分自身が消えるわけでもありません。恋愛を経て特別な関係を結ぶことになった相手に同化すれば消えることができる、救済されると信じていたのは大きな間違いでした。そう気づいたのは、40代になってからです。早く気づいていれば、交際した男性たちとも、もっといい関係を築けただろうと悔やまれます。

(文・小島慶子)

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

小島慶子(こじま・けいこ)

エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。

 
  withnewsでは、小島慶子さんのエッセイ「Busy Brain~私の脳の混沌とADHDと~」を毎週月曜日に配信します。

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