連載
#30 現場から考える安保
巨大貨物船にぶつかった潜水艦 再発防止へ避けられぬ「音の戦い」
海上自衛隊の潜水艦が海面への上昇時に民間の船にぶつかるという事故が2月にありました。相手は全長200mを超える貨物船。こんな大きな船になぜ気づけないんでしょう、と海自に聞くと、「そう思われても仕方ありませんが、大小の話ではないんです」と悩ましげです。そこには、海中では音だけが頼りの潜水艦の特殊な世界がありました。(朝日新聞編集委員・藤田直央)
事故は2月8日午前11時ごろ、晴れた高知県の足摺岬沖で発生。海自潜水艦「そうりゅう」が香港船籍の貨物船「オーシャン アルテミス」に衝突しました。「そうりゅう」では軽傷が3人、舵などが壊れ、貨物船ではけが人はなく、船体に目立った損傷はありませんでした。
ただ、これは不幸中の幸いに過ぎません。貨物船は全長229mで、自衛隊最大の船である護衛艦「いずも」(全長248m)に近い規模。全長84mの「そうりゅう」がまともにぶつかっていたら、双方の被害はこれでは済まなかったでしょう。
海自にとってさらに深刻なのは、潜水艦が海面への上昇時に衝突したことです。海上の船は避けようがないので潜水艦が細心の注意を払うべきですが、岸信夫防衛相は「潜望鏡を上げて(貨物船を)確認し、避けきれずにぶつかった」と説明しています。
潜望鏡が海上に出るまで上昇することを「露頂」と言います。そこまでの浅さに「そうりゅう」が至るまで貨物船に気づけなかった可能性もあります。潜水艦が上昇時に、こんな大きな船にすらぶつかる直前まで気づけないなら、小さな漁船などはたまったものではありません。
海自によると、潜水艦の「露頂」時の衝突事故は、宮崎沖で2006年に練習潜水艦「あさしお」(全長86m)が起こして以来。海自制服組トップの山村浩・海上幕僚長は2月9日の記者会見で「宮崎沖の事故以降、『露頂』の手順は基本の厳守、厳正な規律、これでもかというぐらいの対策を講じて今日に至っていた」と説明しました。
それでもまた事故が起きたのです。しかも、かつて「あさしお」が衝突したタンカーの全長は106mで、「そうりゅう」が衝突した貨物船の半分以下。「これでもかというぐらいの対策を講じて」、なぜもっと大きい船にぶつかるのか。「あさしお」事故を振り返りつつ、海自に聞いてみました。
まずその前提としての「露頂の手順」ですが、かなり念入りです。潜望鏡が海上に出る高さまで上昇する前に、「露頂準備」があります。付近に船などがおらず安全に上昇できるかどうか、相手からの音波を探知するソナーを使って調べます。
ただ、ソナーの受信機は艦首にあるため、艦尾の方に相手を探知できない「バッフル」という範囲が生じます。もし海上でバッフルの方向から船が迫っていることに潜水艦が気づかないまま上昇すれば、衝突しかねません。
そのため潜水艦は上昇前に海中で停止、回頭して艦首の向きを変え、バッフルだった範囲もソナーで調べる「バッフルチェック」をします。回頭前に近くに相手を探知していた場合、回頭によって生じる新たなバッフルにその相手が入って見逃すことがないように操艦しつつ監視を続けます。
この「露頂準備」でそこまで詰めに詰めて安全だと判断しても、気は抜けません。そこから「露頂」までの間に船が迫ってくるかもしれないからです。
「あさしお」事故がそうでした。国土交通省に属する海難審判所による2007年の裁決では、「露頂」のため浮上中に新たにタンカーの接近を探知したのに危険はないと判断し、十分な監視をせずに上昇を続けたことが事故の原因とされました。
防衛省も当時の独自調査で同様に判断し、再発防止へ「露頂時の誤認,誤判断を防止する体制の確立」を打ち出しました。特に、「露頂」の最中にソナーなどで新たな目標を探知した時の対応について、上昇中止や再度の「バッフルチェック」などをルール化することにしました。
こうした防衛省の対策をふまえ、海難審判所は裁決で「勧告」という強い措置には踏み込みませんでした。山村海幕長の言う「これでもかという対策」とはこのことです。海自では新ルールで潜水艦乗組員の教育や訓練にあたり、「あさしお」事故の教訓も語り継がれているそうです。
では今回、なぜまた「露頂」時の事故が起きたのでしょう。強化、徹底されたはずの安全対策は守られていたのか、その対策を超える盲点があったのか、人間のミスではなく機械の故障だったのかが、今後の海上保安庁の捜査や防衛省の独自調査の焦点になるでしょう。
そこで最初の疑問に戻ります。今回の事故で衝突したのが巨大な貨物船だったことは、前回の事故を教訓としたはずの海自にとって、より深刻な事態を意味しないのでしょうか。全長が「あさしお」事故の倍以上ある船を避けられなかったのは、むしろ安全対策の緩みの表れではないのでしょうか。
実は、そうとは言い切れないというのが海自の立場です。今回の事故の調査は始まったばかりで「あさしお」事故と比べるのは早急だからというだけではありません。「水中の世界では、相手が大きいから見つけやすいとは限らない」(潜水艦勤務経験者)からです。
どういうことでしょう。暗い海中を密かに動く潜水艦には、艦船の敵味方を音だけで判断するプロが乗り込んでいます。付近の民間船についても、エンジンやスクリューの音、その高低などによって大きな商船か小さな漁船かを海中から探ります。
ただ、海中での音の伝わり方は水温や塩分濃度、流れの向きや速さなどによります。「小さい船の音でもよく聞こえたり、大きい船の音でも聞こえなかったりする。だから浮上時には船を大小関係なくとにかく探知し、ぶつからないことに徹します」と先の潜水艦勤務経験者は話します。
つまり、視覚にも頼れる海上の世界からは「こんな大きな船になぜ気づけなかったのか」と思えても、音が全ての海中の世界の感覚は違うということです。だからといって気づけなくても仕方ないという話ではもちろんなく、潜水艦には小さな音の聞き逃しや過小評価が命取りになるわけです。
まさに「あさしお」事故の2007年の裁決も、原因に関しこう指摘していました。「露頂作業中、新目標を探知した場合、ソナー画面上で目標の方位変化の大小及びその輝度により推測した目標までの距離は、諸条件により左右されるものであって絶対的なものでない」
私は3年前、神奈川県の横須賀基地に停泊中の海自潜水艦「うずしお」を見学した際、「音の戦い」という言葉を聞きました。海中では潜水艦はいかに敵に気づくか、そして気づかれないかが勝負。撮影が許されなかった艦内は、乗組員が音を立てず、敵の音に集中する緊張感に満ちていました。
今回の事故では、潜水艦にとって海面への上昇も「音の戦い」であることがよくわかりました。そこを山村海幕長は記者会見で「やはりディメンジョン(次元)が変わるところで様々な危険要因をはらみ、最も緊張するところだ」と語っています。
海中を音だけを頼りに動く潜水艦が、海上という全く違う次元へ姿を現すということです。その行為は有事には敵に気づかれるリスクを高めますし、平時であっても、海中に対し無防備な民間船の底にもし突き上げるようにぶつかれば大事故は必至です。
見学した潜水艦「うずしお」の小さな食堂の壁に掲げられた、「プロフェッショナル」「信ずるより確かめよ」という艦長の標語が思い出されます。今回の事故はたまたま被害が少なく、原因究明はこれからですが、「露頂」時の衝突が再発した時点で海自は「音の戦い」に負けたと言えるでしょう。
海中に潜んで敵艦船への脅威となる潜水艦の能力を御しきれず、守るべき民間船に不安を与えては本末転倒です。「国民の皆様に誠に大きなご心配をおかけしました」(山村海幕長)というのはまさにその通りで、反省を必ず事故の原因解明と再発防止につなげてほしいと思います。
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