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SNSはやらない、舞台もやめない 爆笑問題・太田光が目指す大衆芸能

バラエティー場組の変化ぜんぶ飲み込む

爆笑問題の太田光
爆笑問題の太田光

目次

芸歴30年以上経つ今も、常に第一線で活躍する爆笑問題・太田光。数多くのバラエティーに出演する一方で、毎年のように舞台で時事ネタ漫才を披露し、執筆業や映画監督もこなしている。そのモチベーションはどこからくるのか。「あこがれ」と「迷い」の芸人・太田の魅力に迫る。(ライター・鈴木旭)

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第一線で活躍しながらライブを継続

1988年にデビューし、間もなくバラエティーの世界で頭角を現した爆笑問題。1990年代当時、「舞台はテレビで活躍するためのステップアップ」との考えを持つ芸人が大半を占めていたが、爆笑問題は第一線で活躍しながらもライブを継続した。

注目すべきは、芸歴30年以上経つ今も舞台に立っていることだ。なぜ2人は舞台にこだわるのだろうか。その理由として考えられるのが、1990年に太田プロから独立し3年ほど芸能活動ができなくなったことだ。2015年5月27日に掲載された「ORICON NEWS」のインタビューの中で、太田はこう語っている。

「漫才をやらないっていうことは考えたことがない。俺らはテレビに出られない時期もあったけれど、そのときも月1回ライブで漫才をやらせてもらっていた。月の仕事はそのライブ1本だけっていう状態が3年くらいあって、常に漫才をやっていなかったら爆笑問題は途切れちゃったから、今もその延長です」

爆笑問題の登場以降、主に東京を拠点に活動する芸人はライブを継続するようになった。早い段階でブレークを果たすも、1990年代後半に起きた“ボキャブラブーム”の勢いに押されて仕事が激減したさまぁ~ず。吉本興業の若手に席を奪われ、なかなかバラエティーに進出できなかったバナナマンなどは代表的なところだろう。

彼らや爆笑問題から共通して受け取れるのは、「ライブこそ自分たちの根幹」とする行動原理だ。ここ最近はコロナ禍の影響もあり中止となった公演もあるが、いずれの芸人も基本的な姿勢は変わっていない。爆笑問題は、そのパイオニア的存在だったと言える。

爆笑問題の太田光(右)と田中裕二=2014年9月27日
爆笑問題の太田光(右)と田中裕二=2014年9月27日
出典: 朝日新聞

SNSではなく現場で表現するプロ意識

とはいえ、テレビやラジオに人一倍強い思い入れを持つのが太田だ。現時点でもツイッター、YouTubeをはじめとするSNSのアカウントは持っていない。これはプロ意識によるところが大きいようだ。

2019年4月、海外を中心に活動するお笑いタレント・ぜんじろうのツイートに太田が腹を立て、ちょっとした騒動となった。この件をきっかけにラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(ニッポン放送)でぜんじろうと共演した際、太田はこんな持論を語っている。

「テレビだけに限らずね、じゃあ連載、『文章を書けます』とか、なんかあなたの文章が……要するにお金を払ってやるものだよね? プロとして。それが全部なくなったら、オレらはだって1回……お前(ぜんじろう)もそうだろうけど、1回なくなった経験してるわけだから。(中略)あの頃、ツイッターなんてなかったじゃん。そうするともうさ、そこで言い訳できなかったから『二度とそこに戻るまい』としてやってきたわけだよ。(中略)ツイッターは言う必要ないよ、言う場所があるならね。それ(舞台やメディア)が背水の陣じゃないかよ、オレたちの」

つまり、ツイッターではポリシーを語らず、プロならば現場で表現すべきという考えだ。太田と同じようにSNSに手を出していない明石家さんま、くりぃむしちゅー、バナナマン(ブログのみ利用)も、基本的には同じスタンスだろうことが想像される。

世代的にSNSによるコミュニケーションに免疫がないこともあるだろうが、共通するのは「素人時代、テレビにワクワクした原体験」があることではないだろうか。さんまの時代はドラマ、バラエティー番組が続々と生み出された時期であり、くりぃむしちゅーやバナナマンは『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)や、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンといった「お笑い第三世代」の番組に感化されたはずだ。

太田自身、著書『違和感』(扶桑社)の中で、放送作家の故・永六輔氏が手掛けた歌ありコントありのバラエティー番組『夢であいましょう』(NHK総合)と、ラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)に夢中になったと書いている。

娯楽の選択肢が増えた時代にあることを理解しつつも、いまだ「テレビ、ラジオは絶対的に面白い」という感覚が染みついているのだろう。だからこそ、「テレビ、ラジオ=プロ」という意識があるのだと考えられる。

大衆の怖さ知りながら、笑わせる時事ネタ

爆笑問題といえば、時事問題を扱った漫才で有名だ。政治、社会、スポーツ、芸能分野など、あらゆるものを茶化して笑いに変える。多くの人間が知っているからこそ、「どう笑いに変えるか」の腕が試されるネタと言えるだろう。

同じように時事ネタを扱う漫才コンビ・ナイツの塙宣之は、爆笑問題についてこう語っている。

「爆笑問題さんは『負けられない』というより、『倒さないとな』っていうのはありますね。(中略)相撲界もそうなんですよ。白鵬に対してかち上げをガンガンやって勝つぐらいに気持ちが強いやつがいないから、ずっと白鵬が一強のまま。今の漫才界の時事ネタ界も、爆笑問題さんにみんな気を遣ってかち上げる若手がいないから」(2020年9月8日に放送された『石橋、薪を焚べる』(フジテレビ系)より)

爆笑問題、ナイツとは少し毛色の違う漫才コンビに、ウーマンラッシュアワーがいる。ほとんど村本大輔の独壇場で世相を斬って笑わすが、最終的には自虐で落とすスタイルだ。塙は時事ネタを特定のテーマでうまくまとめる構成力があり、村本はマシンガントークと“好感度の低い自分”で笑わせるという意味でほかの芸人にはない魅力がある。「時事問題や自分自身を世間がどう見ているか」に敏感でなくては扱えないネタをあえて選べる実力があるからだろう。

先述の『違和感』の中で太田は、2011年3月11日に東日本大震災を受けて起こった福島第一原発事故に対する“世間の過剰な批判”に触れつつ、こんなことを書いている。

「大衆は時として怪物になる怖さがあるということ。『個』が見えなくなり、まわりと同調しているだけの思考停止状態の大衆は本当に怖い。そんな俺は、古い言葉で言えば『大衆芸能』と呼ばれる職業に就いている。だから、大衆をバカだとか、敵だとかなんて、一度も思ったことがない。だって、そういう大衆に笑ってもらえることが一番うれしいのだから」

漫才で茶化し、ワイドショーやラジオでは真剣に向き合ったりもする。太田自身も多面性を持ちながら、常に大衆との接点を探っているはずだ。そしてまた、そんな姿勢こそ太田の魅力につながっているのだと思う。

記念撮影で並ぶ(左から)爆笑問題の田中裕二、太田光=2014年3月24日、東京都渋谷区、長島一浩撮影
記念撮影で並ぶ(左から)爆笑問題の田中裕二、太田光=2014年3月24日、東京都渋谷区、長島一浩撮影 出典: 朝日新聞

「好奇心」と「あこがれ」、そして「迷い」

爆笑問題は、様々なジャンルのタレント、文化人と共演している。『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』(日本テレビ系)では、自由民主党の石破茂氏、片山さつき氏といった議員が顔を見せ、『お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺』(テレビ朝日系)では、宗派の異なる僧侶たちと共演していた。

そのほか、往年のアイドル、大御所芸人、落語家や講談師、ミュージシャン、大学教授など例を挙げればきりがない。ここ最近では「第七世代」と呼ばれる若手芸人、『お願い!ランキング』(前同)内の企画「太田伯山ウイカのはなつまみ」でファーストサマーウイカと共演するなど、新たなタレントとの絡みが多いのも相変わらずだ。さまぁ~ず、くりぃむしちゅーなど、第一線で活躍するアラフィフ世代の芸人はいるが、ここまで幅広いのも珍しい。

なぜ芸歴30年以上のベテランがこうも走り続けられるのか。それは、太田が抱いている「好奇心」と「あこがれ」、そして「迷い」が大きく影響している気がする。

「わたくし性を排除した物語を作ることに憧れているくせに、『太田総理』のようにストレートに自分の考えを口にしてしまう芸のなさ。そんな芸のなさに落ち込むくせに、俺のいっちょかみ根性というのか、もの申したいという気質は簡単には治らない。憧れの先人にしても、どちらかひとつのタイプに絞れてればいいのに、どっちもいいなぁと思ってしまうから厄介だ」(著書『違和感』(扶桑社)より)

こうした“ある種のブレ”があるからこそ、タレントとしての鮮度をキープできているのではないか。太田には計算がない。だからこそ失敗することもあるのだろうが、その姿勢は圧倒的にリアルだ。その場で考え、迷ったままを表現する。太田の言葉に説得力があるのは、自分自身の迷いをさらけ出すところにあると思う。


バラエティーの変化を体現する芸人

爆笑問題がデビューした1988年から現在まで、バラエティーは大きく様変わりした。お笑い第三世代の台頭、ボキャブラブーム、2000年代のネタ番組ブーム、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の“ひな壇芸人”が話題となり、最近では「第七世代」の波が起きている。

どの局面においても、太田は流行を拒まなかった。ただ、その勢いに便乗して自らのスタンスを崩すこともなかった。こうした対応力も、長く支持される大きな理由の一つではないだろうか。

太田の妻で芸能事務所「タイタン」の社長・太田光代氏は、NHKの密着番組で「わかりやすいタレントは早く売れる、わかりにくいタレントは長く売れる」という趣旨の発言をしていた。もしかすると、どちらの要素も持つ太田を間近で見ていて感じたことなのかもしれない。

テレビ、ラジオ、舞台、映画、執筆と多岐にわたる活動の中で、太田は常にバラエティーの変化を体現してきた。あこがれ続ける芸能界の“ど真ん中”で、かつて太田の熱中した「歌ありコントありのバラエティー」が実現する日はくるのか。今後に期待したいところだ。

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