新型コロナウイルスについて、ネットにはさまざまな情報が氾濫(=インフォデミック)しています。専門家の間でも意見が分かれることもある中、連日メディアやSNSで目に飛び込んでくる情報について、「何を信じていいのかわからない」と悩む人も多いのではないでしょうか。
このインフォデミックに対抗するためには、「情報に踊らされることを防ぐ」ための知識が必要です。今回はインフォデミック発生の背景にある、信じたいものを信じる人間の傾向と、それを加速させるネット、そして、そもそも不確実なものである医療の特徴について説明します。(withnews編集部・朽木誠一郎)
インフォデミックとは、情報(Information)と感染症の大流行(Pandemic)をあわせた造語です。ネットでウワサやデマを含む大量の情報が氾濫し、現実社会に影響を及ぼす現象のことを指します。
特に感染症が流行するとこのような情報が広がりやすく、世界保健機関(WHO)も新型コロナウイルスの世界的流行に際して、科学的根拠のない情報を信じないように、公式サイトで注意を呼びかけています。
では、なぜ新型コロナウイルスのような感染症が流行すると、インフォデミックが発生するのでしょうか。背景にあるのは(1)そもそも医療とは不確実なもの、(2)一方で、人間には「信じたいものを信じる」傾向がある、(3)ネットは「信じたいものを信じる傾向」を加速させる、という(1)〜(3)のメカニズムです。
また、「命にかかわる」というのは、生物としての人間の最大の行動原理です。このような情報は、率先して発信され、受信されます。医療という領域はこの点でも、インフォデミックが起こりやすいと言えるでしょう。
極めて複雑で、未解明のことも多い人間の体を相手にする以上、100%確実な診断や治療、経過予想はあり得ない――これが「医療の不確実性」という概念です。しかし、この理解については医療者と非医療者に大きな隔たりがあります。法学者で東京大学名誉教授の樋口範雄さんはこう指摘します。
“医師を含む医療従事者の大半は、医学がまだまだ不確実な科学であり、ほとんどの場合、統計的な確率でいえることだけを根拠にevidence based medicine(証拠に基づく医療)と称していることを知っている”“医学・医療がまだまだ不確実なことであるのに、患者や家族等は、それが科学であり、一定の医療行為を適切に行えば必ず一定の効果が出るはずだと期待する”(医の倫理の基礎知識 - 日本医師会)
「100%確実」がないということは、裏返せばさまざまな憶測を呼びやすいということでもあります。もちろん、(現時点の)医学的に否定できるようなウワサやデマもありますが、逆に専門家同士で意見が対立するような場合もあり、情報を受信する側にその真偽を見極めることは困難です。
新型コロナウイルスについての情報はまさに医療の情報。そして今、世界中で研究がなされ、前述した「証拠」を積み重ねている段階です。その過程ではさまざまな「証拠」とそれに紐付く情報が発信されるため、爆発的に情報が増えやすい性質を孕んでいるといえます。
感染症が個人の生活に影響するレベルまで流行すれば、それは社会に生きるほとんどの人にとって自分ごと化されます。情報の受信にも積極的になりますが、ここで問題になるのは「確証バイアス」と呼ばれる心理学の概念、いわば「信じたいものを信じる」人間の傾向です。
確証バイアスについて、ノーベル経済学賞を受賞したプリンストン大学名誉教授の認知心理学者であるダニエル・カーネマンさんは「信じたことを裏付けようとするバイアス」と説明します。無意識のうちに、自分の意見を支持するような情報を優先して受信する思考のクセです。
新型コロナウイルスに関する情報を例にすると、警戒感が強い人は「コロナは怖い」と思わせる情報を、警戒感が弱い人は「コロナは怖くない」と思わせる情報を好んで集める、ということ。そして、このような意見は歩み寄るのではなく、対立することも明らかになっています。米国の社会心理学者であるレオン・フェスティンガーさんが提唱した認知的不協和理論によれば、人間は矛盾する情報を持つと不快になり、無理矢理その情報を無視したり、軽視したりしてしまうのです。
前述したように、医療の不確実性を前提にしないと、異なる意見があることに耐えかね、自分の意見への期待をより深めてしまうことがあり得ます。その先にあるのが、矛盾に耐えかね、自分と異なる意見を排除しようとする動きです。
例えば、「医療のために日本でも強力なロックダウンをするべきだ」と考える人(A)が、「強力なロックダウンをすれば経済が大ダメージを被る(のでするべきでない)」と考える人(B)を「金に目が眩んでいる」と批判したり、逆に(B)が(A)を「経済苦による自殺者を見て見ぬ振りしている」と批判したり、といったことが実際に起っています。
そして、ネットは人間の「信じたいものを信じる」傾向を加速させてしまうことも、かねてから問題視されています。代表的なのは、アメリカの法学者であるキャス・サンスティーンさんが言及した「エコーチェンバー現象」です。
エコーチェンバー現象は、価値観の似た者同士が交流し、「共感」し合うことにより、特定の意見や思想が増幅されてしまうことを指します。これは自分と似た興味関心のあるユーザーをフォローするSNSで顕著であるとされています。
また、SNS、検索エンジン、ニュースプラットフォーム、それらを閲覧するスマートフォンなどでは「フィルターバブル」と呼ばれる情報環境が生まれています。これは望むと望まざるとにかかわらず、アルゴリズムによりそのユーザーが好みそうな情報だけが優先的に配信されることにより、自分の思考や主義がその膜の中に因われてしまう、というものです。フィルターバブルは本人も自覚しづらいため、知らず知らずのうちに意見が偏っていくということが起こり得ます。
もともと確証バイアスがあり「信じたいものを信じる」人間が、ネット時代にエコーチェンバー現象やフィルターバブルによりその傾向を加速させてしまう。新型コロナウイルスのように情報が多く生まれやすいテーマにおいては、そこで意見が対立し、反論によりさらに自分の信じたいような情報を再生産していくというループが存在するのです。
こうしてみると、そもそも不確実な医療において、新型コロナウイルスについては「新型」ということでさらに不確実な情報が多く出回りやすいと考えることができます。
加えて、医療という領域ではビジネス目的、つまり自分のウェブサイトに誘導して広告収入を得たり、商品を買わせたりする、という動機で情報が発信される場合もあります。また、新型コロナウイルスについては世界的な問題になっているため、政治的な意図で発信される情報もあることが指摘されています。
例えば、ネットでは市場価格より大幅に高いマスクを販売したり、製品の品質を偽って消費者に購入を促したり、注文を履行しなかったりといった悪質な広告を出稿しようという試みが急増。2020年5月、米Googleは数千万件をブロック・削除したことを発表しています。
政治的な発言では、例えば同年9月の国連総会ではトランプ米大統領が中国について、新型コロナウイルスを拡散したと批判し、米中の対立が鮮明になりました。また、遡っては5月、公の場でのマスク着用を拒み続けていたトランプ氏が、大統領選の対立候補であった次期大統領のバイデン氏のマスク姿を揶揄するような対応を取り、バイデン氏が猛反発したという経緯もあります。
いずれにせよ、情報の量が多く、増えやすいテーマとネットの相性は最悪です。ある意味では相性が良すぎるのですが、その結果として起きるインフォデミックの弊害を考えれば、やはり最悪と表現した方がよいのでしょう。
医療とは不確実なものであること、そして人間にはその不確実性に耐えかね、信じたいものを信じてしまう傾向があること、さらにその傾向をネットが加速していることは、インフォデミックへの対抗策として、まず知っておかなければいけないことです。