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「母乳が出ないなんて、母親失格よ」育児を縛る〝エアしゅうとめ〟

親同士も語りにくい……小説『乳房のくにで』が描く神話

「授乳は、愛情のものさしではない」と書いた深沢潮さん=長島一浩撮影
「授乳は、愛情のものさしではない」と書いた深沢潮さん=長島一浩撮影 出典: 朝日新聞

目次

「母乳が出ないなんて母親失格よ」。そんなしゅうとめの言葉が繰り返し登場する小説が出ました。サスペンス小説『乳房のくにで』です。著者の深沢潮さんと、監修した小児科医の森戸やすみさんに、母乳やしゅうとめをテーマに語ってもらいました。(聞き手、朝日新聞エムスタ編集長・田渕紫織)

対談した深沢潮さん(左)と森戸やすみさん=長島一浩撮影
対談した深沢潮さん(左)と森戸やすみさん=長島一浩撮影 出典: 朝日新聞

「記録し続けて、ノイローゼみたいに」

<無職のシングルマザー・福美は、銀行の残高がおむつ1パック分にも満たず、困り果てていた。ただ、母乳だけは余るほど出る。授乳室で、他人の子に母乳をあげて報酬を得る秘密組織のトップと出会う。そこで「ナニィ(乳母)」として雇われて……。>
『乳房のくにで』あらすじ

――母乳は、親どうしでさえなかなか語りにくいテーマです。なぜ今回、真っ向から書かれたのでしょう?

深沢:自宅で娘の小さい頃の写真を探していて、授乳期の写真を見つけたんです。当時、私は母乳が出すぎて大変でした。世の中、母乳のことしか存在しないんじゃないかというくらい、必死でした。

また、周囲がやっている通りに、何時にどれだけ飲んでどれだけ体重が増えて……と細かく記録し続けて、ノイローゼみたいにもなっていました。それを思い出して、書こうと思ったんです。


深沢潮『乳房のくにで』(双葉社)

「誤りだとわかっていながら、動揺」

<ある日、同級生の政治家一家から、指名が入る。その家の嫁・奈江は育休中のキャリアウーマンで、かつて福美をいじめていた。その奈江はいま、母乳が出ないことで、しゅうとめの千代から過酷ないじめを受けていて……。>
『乳房のくにで』あらすじ

――作中、しゅうとめは、繰り返し繰り返し「母乳が出ないなんて母親失格よ」とお嫁さんに言います。数えただけでも5回は出てきます。

深沢:出てきますね!


――帝王切開も同じように失格と攻撃しています。両方とも、もちろん誤りだとわかっていながら、なぜか、読んでいても動揺してしまいます。

深沢:明らかに間違っているんだけど、こう言われると動揺するのは、本当にそうなんですよね。苦労してなんぼ、痛みを感じてなんぼ、という空気が日本にはあるから。

森戸:私なら何も動揺しないですけど……。 例えば、歯の大事さが身にしみてわかった方がいいから麻酔なしで歯を抜きなさいなんて言わないのに、お産や授乳にだけはなんでそういう風に言うんでしょうね。

一同:たしかに!(笑)

「『母乳の質』という言葉には気をつけて」と話す森戸やすみさん=長島一浩撮影
「『母乳の質』という言葉には気をつけて」と話す森戸やすみさん=長島一浩撮影 出典: 朝日新聞

「子育てって、だいたい問題がある」

深沢:子育てって長い期間続くから、うまくいかなかった時に過去に原因を求めたくなっちゃうことがあるんですけど、それで余計苦しくなる。

森戸:全然見当違いのこともありますしね。「あの時ちょっと粉ミルクをあげたから……」とか、いやいや、お母さんそれじゃない、そっちじゃない、みたいな(笑)。

深沢:それをやり始めちゃうと、出生前記憶とかそういう所にいっちゃうんですよね。前世が、とかね。そういう危険な道はネット上にも多いし。

森戸:本当の問題を隠しちゃうんですよね。

深沢:そうなんですよ。子育てって、だいたい問題があるじゃないですか。順調に育つ子の話ばっかりが大きくなっちゃうけど。だからこう、あまり自分を責めずに!

森戸:「原因は自分にあるんじゃないか」って言うのは、子育ての当事者意識がとてもある、使命感の強いお母さんだからだと思うんですよ。

深沢:そうですね。いまだに子育てが女性に偏りがちな分、お父さんよりお母さんに多い傾向にありますね。

母乳を売る秘密組織を書いた小説家・深沢潮さん=長島一浩撮影
母乳を売る秘密組織を書いた小説家・深沢潮さん=長島一浩撮影 出典: 朝日新聞

「実在しない〝エアしゅうとめ〟」

森戸:いいとか悪いとかじゃなくて、「そっかー、自分はなんでも自分に原因を求めて、自分の責任だと思ってしまう傾向があるのかぁ」って意識するだけでも違うと思います。

深沢:ちゃんとした、立派な母親でなければいけないという意識が、子育てではすごく強いと思いますよね。実は「ちゃんと」の定義もないんですけど。

森戸:私、「エアしゅうとめ」って言ってるんですけど……。


――エアしゅうとめ??

森戸:実在しないのに、責めるんですよ。「あなたの育児はあれがだめ、これがだめ」って。


――自分の中にエアしゅうとめがいるということですか?

森戸:そうなんです!本当のしゅうとめとは違う、心の中にいる人。実際はそんなこと言わないんです。

一同:なるほど~。


森戸やすみさんの著書『子育てはだいたいで大丈夫』(内外出版社)

「母乳についてタブー視をなくす」

――作中のしゅうとめの「母乳が出ないなんて母親失格」発言にも、勝手に傷ついてしまうんですね! すごく腑(ふ)に落ちました。

森戸:そう。実際のしゅうとめも夫も、たいていそんなことを言わないし、ママ友もそこまで言う人はいない。そんなに逐一だめ出しはしないのに、自分の中に何か責めてくる人がいるんですよ。

そういう「こびと」が女性の中にはいがちなんだっていうことだけでも意識してもらえたら……。


――この物語もそうですが、「女の敵は女」みたいに、女性だけで負の連鎖になって閉じてしまうことがよくあります。

森戸:たしかに当事者が男性だったらもっと社会問題になっているとは思います。 乳房を性的にしか見ないで、居直っている男性芸能人たちが普通にいるような現状に、ぎょっとします。母乳など女性だけの問題と思われていたものを扱った良質なエンタメを増やしていってほしいです。

深沢:この本の映画化を!(笑)。まずは男女ともに、母乳について、神聖化もエロ化もせず、タブー視をなくすことだと思います。

対談する深沢潮さん(左)と森戸やすみさん=長島一浩撮影
対談する深沢潮さん(左)と森戸やすみさん=長島一浩撮影 出典: 朝日新聞

自分を苦しめた二つの理由――対談を終えて

深沢さんの冒頭の話を聞き、記者自身、授乳のためにだけ生きていたような厳しい時期を思い出しました。当時、「エアしゅうとめ」を自分の中に作り上げていたと思います。そうなってしまった理由を考えると、二つ思い当たりました。

一つは、体力が限界で思考停止していたこと。

産後、体調がまだ回復しない中、母乳をあげるたび、血を吸われるように消耗していました(実際、母乳の主成分は血液だと森戸さんにうかがいました)。粉ミルクも併用しましたが、いずれにせよ24時間体制で、新聞記者として経験した「夜討ち朝駆け」や「張り番」よりももっと不眠不休でした。母親の「先輩」たちがこれをやってきたことが信じがたかったです。

もう一つは、母乳についての科学・医学的知見に基づいた公的情報が見当たらなかったことです。

授乳で悩むと、スマホで「母乳 ○○」と検索し、玉石混交とわかりながら、不安ゆえに様々なサイトを見ては混乱していました。自治体の0歳児健診に行っても、授乳について、医師と栄養士と保健師の言うことが全て違ったことがありました。

これから「後輩」たちがまた一から苦労するままでいいはずがありません。報道機関として、科学的根拠のある明瞭な情報を示していくとともに、公的機関にも情報の集約を求めていくことが、私たちの役目だと思っています。

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