MENU CLOSE

お金と仕事

キッチンカーの知られざる事情 「はじめやすく続けにくい」理由とは

ルーツはお台場? コロナによって起きた「変化」

オフィス街で見かけることの多いキッチンカー
オフィス街で見かけることの多いキッチンカー

目次

新型コロナウイルスによりテイクアウトがメジャーになりつつある今、オフィス街の楽しみになっているのが「キッチンカー」のランチです。少ない費用ではじめられるということで、参入を考えている人も少なくありません。「キッチンカー」が集まる〝屋台村〟は、いつ、どこで生まれたのでしょうか? 出店を考えた人の多くが諦めるという厳しい現実とは……。今や日本の食文化の一つになりつつある「キッチンカー」のリアルについて聞きました。(ライター・安倍季実子)

【PR】手話ってすごい!小学生のころの原体験から大学生で手話通訳士に合格

キッチンカーはいつからあるの?

話を聞いたのは、都内のオフィス街や大学構内などに「ネオ屋台村」を出店・運営している「ワークストア・トウキョウドゥ」の阿部真吾さんです。

――まず、ワークストア・トウキョウドゥとはどういった会社ですか?

「簡単に言うと『キッチンカー経営のまとめ役で相談窓口』ですね。新しくキッチンカーをはじめたいという人の相談や、キッチンカー造りや修理にメンテナンス。また、オフィスなどにキッチンカーを出店してほしいというオーナー様と、ネオ屋台村に出店するキッチンカーの調整など様々なことをしています。今は、コロナでめっきり少なくなってしまいましたが、音楽やスポーツイベントのフードエリアの企画や運営も行っています」


――キッチンカーはいつ頃からあるのでしょうか?

「詳しくはわかりませんが、キッチンカーの前身とも言える移動販売(屋台)は、江戸時代には、すでに存在していたと思います。きっと、浮世絵などで見たことがある人も多いでしょう。明治、大正と時代が流れて昭和に入り、戦後は闇市も登場して、多くの人々の生活を支えてきました。そして高度経済成長期に入り、人やモノの移動が増えた頃、東京ではお台場建設という大きなプロジェクトがはじまりました。たくさんの人や資材が晴海を中継地点にして行き交っていたので、ワークストア・トウキョウドゥ代表の父親が、晴海でキッチンカーをはじめたそうです」

「この頃は景気がよくて、台数を増やして経営していました。はじめは、気軽に食べられるホットドックを売っていましたが、焼きそばなども扱っていたそうです。信じられないかもしれませんが、東京モーターショーでは、1日に焼きそばが8000食も売れたそうです」


――高度経済成長期に大きく成長したんですね。

「はい。その後、キッチンカーブームはいったん落ち着いたのですが、90年代、2000年代くらいから音楽やスポーツイベントが盛んになり、再び需要が出てきました。この辺りから、キッチンカーの認知度が上がってきたのだと思います。ワークストア・トウキョウドゥでもイベント会社さんとの付き合いがはじまったことで、色々な業種とのつながりができたんです。そして、企業のイベントなどにも出店するようになり、やがて『ランチタイムだけキッチンカーを出してほしい』という依頼を受けて、ネオ屋台村が誕生しました」

「一方で、この頃はキッチンカーの路上営業がしにくくなっていった過渡期でもありました。代表が知り合いのキッチンカー経営者たちに声をかけたり、募集したりして、屋台村に出店するキッチンカーが少しずつ増えていきました」

「ワークストア・トウキョウドゥ」イベント事業部の阿部真吾さん
「ワークストア・トウキョウドゥ」イベント事業部の阿部真吾さん

屋台村誕生の裏にあった〝危機〟

――路上販売がしにくくなった理由は何ですか?

「実は、2000年ごろまでは、それぞれのキッチンカーがゲリラ的に路上で営業をしていました。でも、実際のところ、路上販売は警察などの許可がない限り違法に当たってしまうんです。ビルの駐車場などの私有地の場合は、個別で許可を取らないといけなかったりもします。2000年ごろまでは、これらの取り締まりがそこまで厳しくなかったようですが、徐々に厳しくなっていったのです。時代の流れといったところかもしれませんね」


――路上販売ができないのは、キッチンカーにとって死活問題ですね……。

「それまではグレーゾーンだったのを白黒ハッキリさせるような動きがあって、警官の見回りが厳しくなったり、通報されてしまうケースもあったそうです。そこで、ワークストア・トウキョウドゥがキッチンカーを出したい人とキッチンカーを出してほしい企業とをつなげる窓口になろうということで、ネオ屋台村事業部を立ち上げました。現在、ネオ屋台村の加盟店に登録しているキッチンカーは500店舗以上、ネオ屋台村は約40カ所あります」

はじめるのは簡単だけど生き残るのは難しい

――コロナの追い風もありますが、少ない初期費用ではじめられる仕事としても注目されていますね。

「はい。コロナの影響でキッチンカー自体が注目されるようになって、出店相談数も増えました。けど、相談にいらっしゃった方の多くが、途中で断念されますね。実はキッチンカーは、長く続けるのが難しい仕事なんです」

「国際フォーラムの屋台広場の場合、営業時間はランチタイムの2~3時間。だけど、メニューによっては朝早くから仕込みをしなければいけないものもあります。それに、営業後は戻ってから車の掃除に翌日の準備など、けっこう重労働なんです。ネオ屋台村で事業として成り立つのは750~800円のお弁当を1日に60食以上売れるくらいが目安となっています。そのため、1日の売り上げ目標金額は約5万円。簡単に楽しくもうかりそうだと思われがちですが、実際のキッチンカー経営は長期で見ていかないといけないので、『キッチンカーが好き』、『料理が好き』、という気持ちと根気がないと続かないんです」

「コロナをきっかけにキッチンカーをはじめたいという相談者には、こういった現実的なお話をすると、大体の方が諦めていきますね。その代わり、コロナ以前は飲食店の店舗営業やケータリングをしていたという人の相談も増えました。飲食業の苦労を知っている方だと、キッチンカー業界の現状をお伝えしても『まぁ、そうですよね』という感じで、すんなり受け入れられます」

コロナで変わったキッチンカー事情

――コロナの影響はどうでしたか?

「コロナでテイクアウトが主流になって、メディアに『キッチンカー需要が高まっている」と取り上げられて、注目されるようになったのはうれしいのですが、業界全体的には、やはりダメージを受けました。緊急事態宣言の時は、ネオ屋台村のあるオフィスや大学などが閉鎖になったため、必然的にキッチンカーも休業となりました。緊急事態宣言が解かれた今は再開していますが、リモートワークを推奨する企業が多いので、ランチに来るお客さんの数も減り、売り上げも全体的に下がっています」


――キッチンカーで成功する秘訣はありますか?

「まずは、『キッチンカーが好き』という気持ちと根気は絶対に必要ですね。あとは、接客が好きな人も向いていると思います。お客さんの中には、キッチンカーの料理のファンになる方もいれば、オーナーのファンになる方もいるんです。お客さんから『来週もまた来ます』と言われた、などのうれしい報告もよく聞きます。それに、固定のファンがつけば、売り上げの大きな波もなくなりますし、安心して経営が続けられます」

「そういったことも含めて、好きという気持ちと根気があれば、売れるメニューやトレンドは気にしなくて大丈夫です。というのも、トレンドを追いかけてしまうと、ブームが来ている時はいいのですが、ブームが去ってから困りますよね。ネオ屋台村に登録される方の中で強いて言えば、ここ最近はチキンオーバーライスやルーローハンが多いという印象です。これらのメニューは、ご飯の上に調理した具材を並べるだけなので、確かにキッチンカー向きの料理だと言えます。特にオフィス街のランチタイムは、注文から提供までの時間が短いというのも大きなポイントになりますし」

「ただ、考えていただきたいのは、キッチンカーの楽しみのひとつに『色々な種類の中から選べる』というのがあると思うんです。同じメニューのキッチンカーばかりだと楽しみが減ってしまいますし、単純に行く機会も減ってしまいませんか? ネオ屋台村事業部では、お客さんに豊富なメニューの中から選んでいただけるように、出店店舗と場所のシフトを組む時に、メニューがかぶらないように調整しています」


――では、どんなメニューを出したらいいのでしょうか?

「オーナーの一番好きなメニューやこだわりの1品といえるメニューですね。ほかのお店とかぶっていない方が個性を出せますし、その時のトレンドなどに左右される心配もありません。ネオ屋台村では、個性豊かなキッチンカーが集まっているので、お客さんにも、ぜひ、この点に注目しながらランチを楽しんでいただきたいですね」

取材を終えて

案の定、ランチタイムを彩るキッチンカーには、知られざる裏話がたくさん隠れていました。一番驚いたのは、ひとつのネオ屋台村に同じメニューのキッチンカーを置かないという点です。これがキッチンカーが共存していくための最大ポイントで、「どうしたら、自分のお店だけ売れるのか?」という下心が見透かされたようで、少し恥ずかしくなりました。

キッチンカーのオーナーの努力はもちろんですが、ワークストア・トウキョウドゥのようなまとめ役がいるからこそ、キッチンカー文化は守られてきたのでしょう。

ネオ屋台村事業部は今後、今あるキッチンカーを守りつつ、社会の動向をじっくり分析した上で、ほかにも出店できそうな場所を探していきたいといいます。キッチンカーは決して楽な仕事ではありませんが、日本の外食文化の豊かさを支える大事な存在になっていると、あらためて感じました。

関連記事

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます