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志村けんから一喝「わかってないんだよ!」笑福亭笑瓶が見た〝凄み〟
朝まで飲んでわかった〝艶っぽさ〟の理由
深夜バラエティー『志村だヨ!』『志村笑!』(ともにフジテレビ系)で、志村けんさんと共演していた落語家でタレントの笑福亭笑瓶さん(63)。上京して間もない頃に志村さんと出会い、その後は公私ともに30年以上もの交流があった。志村さんと落語との接点、仕事と遊びにまつわる素顔。笑瓶さんが感じた“コメディアン・志村けん”の「艶っぽさ」について語ってもらった。(ライター・鈴木旭)
笑福亭笑瓶(しょうふくていしょうへい)
――最初に志村さんとお会いになったのはいつ頃ですか?
大阪から東京へと拠点を移す過程で、片岡鶴太郎さんのレギュラー番組『鶴ちゃんのトッピング』(日本テレビ系。1985年10月~1986年9月終了)に出させていただくことになったんですよ。そんな中で、鶴さんに六本木のオシャレなカフェバーに連れて行っていただいて。そこでお酒を飲んでいたら、別で志村師匠が飲みにこられたんです。だから、たまたま遊び場でお会いして、鶴さんから紹介していただいた形ですね。
向こうは東京のお笑いの大スター。そりゃ信じられない感じですよ。小さい頃から『8時だョ!全員集合』も見ていて、当時は『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』でも活躍されていたわけで。自分がその方の目線の中に入って、お話ししている、話しかけられているっていうのは夢の中みたいな話でしたね。
――上京して間もなくの出来事だったんですね。どんなことをお話しされたんですか?
印象的だったのは、(2代目・桂)枝雀師匠のお話です。志村師匠から「笑瓶さん、大阪の落語家さんでしょ? 僕、枝雀さんが好きでね」ときて。続けて、「枝雀さんの落語の中に出てくるキャラクターが変なしゃべり方するの。それがもう面白くってねぇ。コントにいかせないかと思って。『そのキャラクターを使わせていただいてもいいですか?』って枝雀師匠に直接ご連絡して許しを得たんですよ」とおっしゃってました。
――律義に許可を得ていたんですね! 有名なのは桂枝雀さんの代表的な演目『ちしゃ医者』からヒントを得た「だっふんだぁ」がありますが、そのことでしょうか?
そこまで確認はしてないんですが(笑)、そうなのかもしれません。「だっふんだぁ」もそうですけど、枝雀師匠が演じる賢者とボケのうち、ボケの空気感はちょっと似てるところがありますよね。「な、な、なんですか?」ってフレーズとか言い方とかね。だから、きっと相当お好きだったんだろうなと思いますよ。
――志村さんとの初共演については覚えていらっしゃいますか?
僕の記憶が間違っていなければ、フジテレビの火曜ワイドスペシャルの特番。『志村けんのだいじょうぶだぁ』か『志村けんのバカ殿様』かは定かじゃないんですけど、時代劇モノのコントをやったのは覚えてます。
僕は町人かなにかの役で、お侍さんに斬られて道に倒れる。その時に手元から提灯(ちょうちん)が落ちて燃えるんです。すでに僕は絶命してるはずなんですけれども、提灯の火が手にあたって「熱ッ」とリアクションしてしまうというワンシーン、ワンカットのコント。
これを何テイクか撮るんですけど、一向にOKが出ないんです。気になって「どっか変えたほうがいいですか?」って志村師匠に聞いても、「いや、笑瓶ちゃんがやりたいように好きなようにやって」としか言われない。
僕もいろんなパターンを模索するんだけど、どんどん追い込まれて、ブルーになって、ダークブルーになって、最後は紺色になって(笑)。結局、原因がわからぬまま撮影は終了。百戦錬磨の方だから、きっとなにかあったんでしょう。それを聞くのも違うかなと思いましたしね。
なぜオファーをいただいたのか、その経緯まではわかりません。ただ、その後も『志村けんはいかがでしょう』のゲームコーナーだったり、深夜に移ってからの『志村X』シリーズにゲストで出演したり、ちょこちょこ呼んでいただいたんですよね。
――志村さんと共演する中で、どこに一番すごさを感じましたか?
演技力も含まれるんでしょうけど、結果的に言うとキャラクターの面白さですよね。たとえば頰を赤くしたり、お歯黒で歯抜けにしたり、下げ眉毛にしておかしな顔にしたりとかは、大阪時代に僕がやっていたショーヘイ・ショータイム(『突然ガバチョ!』のワンコーナー)でも、ずいぶん使わせていただきました。
加藤茶さんもそうでしょうけど、志村師匠はそういうイメージの大元ですから。そりゃ素人がこの道に入ってキャラをつくろうとしたら、たどり着くのはドリフや志村師匠になりますよ。東京にきて、『オールナイトフジ』で鶴さんとコントをやった時にも、やっぱりメイクはそんな感じでしたしね。
――キャラクターコントの大元になっていると。大阪と東京とでは、コメディアンや芸人さんに違いがあったりするものですか?
大阪の人は生活と芸にさほどギャップはないんですけど、鶴さんも志村師匠も東京でしょ? 仕事の時と楽屋のテンションがまったく違うんですよ。まずはそこにビビらされるという(笑)。ただ、逆に言うと、「オレが志村けんや!」なんて顔は微塵(みじん)もない。すごく謙虚な方でした。
『志村けんはいかがでしょう』に出させてもらった時、楽屋挨拶で「おはようございます」っていうのを気に入ってもらったのは覚えてますね。いつも僕の大阪のイントネーションをおもしろおかしくものまねしていただいて。ちょっと鼻にかかったようなクセのある言い方で、「おはよぉございまぁす」みたいな感じでね(笑)。ウェルカムな感じで笑ってくれて。そこは楽しんでくれてたかもしれないですね。
(明石家)さんまさんや島田紳助さんが出ていた『オレたちひょうきん族』の状況がある中、僕が別のルートで東京にきたのも大きいかもしれません。志村師匠は大阪に行くこともなかっただろうし、大阪の芸人さんと絡むことも少なかったんじゃないかと思うんです。うちの師匠(笑福亭鶴瓶さん)も、後に正月特番でご一緒してますから、そういうご縁はありましたよね。
――2013年4月にスタートした『志村だヨ!』の撮影現場はどんな雰囲気だったのでしょうか?
共演者が悩んでるなと感じれば「大丈夫?」っていう聞き方はされるんですけど、基本的に志村師匠はなにもおっしゃらない。むしろ、「僕や共演者のパフォーマンスを見て笑いたい」っていう状況を期待してるように見えました。受け皿を大きく持っていらっしゃる雰囲気がありましたね。
ご自身は百戦錬磨の方ですから、都度修正してオチに持っていきますし。僕の演じた「そば八の店主」についても、「こんなキャラクターでやって欲しい」というようなお話は一切なかったですね。「本人のキャラクターや個性を出して好きなようにやってくれ」っていうような間口の広さがありました。
――番組の収録終わりに必ず志村さんはスタッフさん、共演者さんと飲みに行くそうですが、笑瓶さんもよく朝まで付き合っていたんですか?
深夜番組でご一緒させていただく前から飲みのお誘いはあったんですよ。「笑ちゃん今どこ? 飲んでるよ」みたいなご連絡をいただいて、竜ちゃん(ダチョウ倶楽部・上島竜兵さん)なんかと一緒にクラブの個室で飲んだりもしてましたから。
ただ、『志村だヨ!』で共演してから驚いたのは、志村師匠が麻布十番にあるガラス張りのガールズバーに通ってたことですよ。志村けんと言ったら大スターじゃないですか。そんな方がガラス張りの路面店で、接客のお姉さんの前に座って飲んでる。最初は僕もビックリして、「師匠いいんですか? 見えてまっせ」とか言ってね。通りを行き交う人が「あれ、志村けんじゃない?」っていうような状況ですから。
なぜ通ってたかって、まぁ大好きな彼女がいたんですよ(笑)。それと、いろんな飲みの席の遊びをたくさん経験されてきた方だからこそ新鮮だったんでしょうね。
――色恋だけではなかったと(笑)。たしかにガールズバーで若者文化を吸収していた部分もあるでしょうからね。
飲んでると、たまにえらいところで怒られる時があったから、「なんでやろな」って感じたこともあるんです。そんな時に、ある飲みの席で一緒になった女性の方から、「笑瓶ちゃん、けんちゃんはねぇ子どもなの。ずっとこの人、子どもよ」と教えてもらったことがあって。その時は、「ああ、そうですか」ぐらいだったんですけど、しばらくしてから、「ああ、だからか!」って気付いた瞬間があった。
志村師匠は好きな女性からモテたい人なんです。モテるために面白いことを考えて、いい仕事をした後はおいしいお酒を飲む。そして、また「素敵なおじさん」と言われるように頑張る、と。師匠の中で、そういうトライアングルがあったんだろうと思うんです。
真剣に怒っているふうでもあり、「あれ、ギャグかな?」と感じるふうでもあったのは、周りに好きな女性がいて「格好よさを演じてる部分があった」ってことなんですね。それがわかってホッとしたんですよ。自分がしくじってると思ってたけど、そうじゃなかったんだなって。
――「女性」「仕事」「お酒」という循環がモチベーションになっていたんですね。
そのトライアングルの中で、巣箱をいくつも持ってないと新鮮さが保てなかったのかもしれないですね。昭和の藤山寛美先生とか、芸道の中に色気がある歌舞伎役者さんとかと同じですよね。志村師匠は艶っぽいコメディアンだったんだろうと思います。
――飲みの席では芸談も多かったようですが、なにか印象に残っているエピソードはありますか?
僕自身に芸談を語るっていうようなことはなかったんです。ただ、舞台『志村魂』の第一回公演の前にあった誕生日会のことは覚えてます。会場は出たり入ったり、けっこう密な状況の中で何人かの精鋭が朝の6~7時ぐらいまで残るんですよ。その中に僕もいたんですけど、『志村魂』を目前に控えた師匠がプレッシャーを感じていらっしゃいましてね。
僕からすれば、あれだけの金字塔をお持ちの方。「なんでそこまで緊張するのかな」と思うわけです。今までテレビの中でしか見られなかった方が、目の前で楽しませてくれる。そりゃバカ殿様が出てきただけで、誰もが幸せを感じますよ。ワァ~!って拍手とともに迎えられる画しか浮かばなかったんです。
それでまぁ僕が幼いというか、軽率な人間なんでしょうね。「師匠、ぜんぜん大丈夫ですよ! 誰もがチケット買って楽しみにしてます。師匠のバカ殿様を見たいと思ってきてはると思うんです。僕のイメージでは拍手喝采が浮かびますよ」と言ってしまった。僕の勝手な見方ですけど、師匠に安心してもらおうと、ついね。
すると師匠から一言、「笑瓶ちゃんさ、わかってないんだよ!」と怒られてしまって。リハーサルもされていて、もうレベルはその域に達しているわけじゃないですか。だから、なんの心配もなく初日を迎えられると、僕の中では思って出た言葉だったんですけど、「余計なこと言っちゃったな」と反省しました。
やっぱり師匠にとっては大切な瞬間。「お客さんに本当に楽しんで帰ってもらうにはどうしたらいいか」と自分を追い込んでいらっしゃったんですよ。そこで言ってしまったんですよね。
――とことん自分を追い込む性格だったんですね。そこまでコントに強いこだわりを持つ志村さんが、なぜ朝ドラの『エール』に役者として出演されたと思いますか?
20年ぐらい前の誕生会で、けっこう酔った志村師匠があるタレントに「お前さ、お笑いでしょ? ドラマはいいんじゃないの」っていう話をしてたのが印象的でね。それ聞いて「格好ええな」と思ったのよ。その場にいるほとんどが人を笑わせることを生業にしてる。だったらそれを大切にしようよって言葉ですよね。お酒が入ってるから叱ってるようにも見えたけど、言ってることは間違ってないし、お笑い一筋で格好ええなと思って。
そんな方が役者としてドラマに出るというのは、年齢も関係してる気がしますね。70歳に差し掛かるタイミングでの出演ですから。年齢を重ねると、若い時のような身の動きができないでしょ。笑いとしての武器が衰退してしまうんですよ。そこで、トークでいくのか、おじさんキャラでいくのか、どんなふうに自分を見せていくのかって壁が立ちはだかる。
それと僕なんか今は白髪でしょ。昔と同じようにやっても、白髪だけで笑いがとれなくなる。つまり、やってる本人はよくても、周りが「かわいそう」と思ってしまう壁も出てくるわけです。落語家の名人芸や杉兵助師匠のように、老いが味になるってことはありますけど、普通に考えてバラエティーで活躍するのは難しい。第一線でお笑いやるのって、よっぽどのことなんです。
そう考えると、志村師匠は一定の年齢に達してからも、役者という才能があったわけで。そこはうらやましいところです。まぁ高倉健さんから直々に映画のお誘いを受けるような方ですからね。そりゃ役者としてもすごいですよ。
――最後に志村さんとお会いになったのはいつごろになりますか?
今年の2月22日に誕生日会があって、それに行こうとして行けずじまいだったんです。しかも、今年の古希を最後に、誕生日会をやめると。個人的には「年とったほうが面白いのになぁ」と思ったんですけどね……。行けなくて本当に残念でした。
だから、最後にお会いしたのは、2年前に放送された正月特番『浜田雅功と志村けんが遂に対決!新春!運芸会』になりますね。若手が多数出ている中で、志村師匠のチームと浜ちゃんチームが対決する番組。僕は浜ちゃんチームで参加してました。
志村師匠がなにかをしくじったタイミングで、浜ちゃんから「(笑瓶)兄やん、書きなはれ」と言われて僕が師匠の顔に墨を塗ろうとするんですけど、できなくてね。師匠がグーッと僕をにらみつけてくる中、結局、その眼力に負けて自分の顔を墨まみれにしたっていう(笑)。ただ、番組では僕より師匠のほうが体を張ってましたよ。第七世代の若手とも絡んでましたからね。
――今考えると、晩年まで本当にお元気でしたよね。残念ながら志村さんは亡くなってしまいましたが、届くなら伝えたい思いなどありますか?
まだちょっと「亡くなられた」っていうことを信じ切れていないのよ。なんか、だまされているような感じというか。もう少し時が経てば「亡くなってはんねんなぁ」と、ひしひしと感じる時はくるんでしょうけど。ただ、まだ「うそでしょ」って思いたい。自分の心の中ではそういうことにしています。
人が亡くなると「あの世に逝く」と言われてるけど、この世とあの世を区別しなければ会えるでしょ。この世ではもう会えないけど、あの世では会える。みんな最終的にはあの世に逝くしね。そう考えるとちょっと気が楽かなと思う。2015年に僕も大動脈解離っていう病気で死にかけたし、この年齢だから思うことかもしれませんけどね。
志村師匠には素晴らしい人生を垣間見させてもらいました。また、同じ次元でお仕事をさせてもらえて、同じ空気を吸わせてもらえて幸せでした。師匠がつくる笑いってね、本当に繊細なんです。ちょっとしたことで通じなかったり、ちょっとしたことで大爆笑をとったりもする。師匠のキャラがすごい年月持つのは、繊細かつ巧妙につくっているからですよ。古典落語のキャラと同じ。演者の力が試される。
だから、また一巡して「バカ殿様をやりたい」って若手が出てきたりするかもしれない。それくらい長年ずっと持ちこたえられる笑いをつくったということです。後にも先にも、「志村けん」はただ一人。コメディアンの金字塔ですよ。
笑瓶さんは本当に人柄がいい。どんなにひどい仕打ちにあっても、ガハハハッと笑って周りを和ませる。師匠の鶴瓶さんと同じく、その人懐っこさは天性のものがある。志村さんが笑瓶さんを番組のレギュラーに起用したのは、その“ホッコリ感”がホームコメディーにぴったりだと感じたからだろう。
『志村だヨ!』および『志村笑!』は、2013年4月~2014年3月まで放送されていた。その後、程なくNHKの『となりのシムラ』がスタートしている。この流れを考えても、志村さんは笑瓶さんと共演した時期に、改めてホームコメディーの面白さを追求していたのだと思う。
とくに『となりのシムラ』は、志村さんが「メイクなし」「カツラなし」で等身大の中年男性を演じるコント番組だ。「年相応でいいじゃないか」と志村さんに思わせたのは、もしかすると笑瓶さんかもしれない。そう感じてしまうほど、笑瓶さんの飾らない魅力は圧倒的なのだ。
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