シンガーソングライター・川嶋あいさんの趣味はランニング。これまでフルマラソンを三度、完走し、自己ベストは4時間5分。週に2〜3回はジムでトレーニングをする他、気になるスポットを探しては、そこに走りにいくこともあるそうです。
多数の名曲を生み出してきた感性は、ランニングをどう描き出すのか。川嶋さんが走った「場所」への想いをエッセイで綴ります。今回は「東京の下町」の風情が強く残る東京都墨田区の東白髭公園が舞台です。(寄稿:川嶋あい/撮影:栃久保誠)
東京スカイツリーの根っこまで見えそうなほど近い場所に、東白髭公園はあります。周囲には大きな団地住宅地が広がり、隅田川もすぐ傍。天気の良い日だったので、太陽を遮るものは何もなく澄み渡る青空が気持ちいい。
人混みがあまり好きではないので、有名なランニングスポットよりも、自分しか知らないような穴場を探してしまいます。緑の多いところが特に、落ち着いていて好きです。
ここ、東白髭公園は、中心部には江戸時代の火消しの纏(まとい)を模したオブジェを置くなど、「東京の下町」の風情を強く残す場所。道を挟んだ向かいには古くから地域に親しまれる隅田川神社があります。
私にとっての東京の下町は、大好きな漫画である『こち亀』の舞台です。普段から出歩くエリアではないからか、強い憧れと好奇心があります。
私自身は福岡の出身なので、こち亀を通して勝手に解釈しているところはありますが、このあたりはいわゆる江戸っ子といわれるような、生粋の東京人が生きている舞台だと思うのです。
全国津々浦々ライブ公演を重ねてきて、その土地土地で人柄やキャラクターに違いがあることを実感しています。そこに流れている風景や人の温度、時間の流れ方などから、もっと東京人の素顔を感じ取ってみたいです。
そんな理由で選んだ東白髭公園。走ってみてまず感じたのは、公園の形がとてもユニークであること。南北に長く伸びている長方形のような造りです。
涼しげな風が心地よく吹きつける、木々と草花がメインの通りと、階段を上って公園全体が見渡せる、少し高いエリア――この2つの目線を行き来できるのが面白い。
公園内には子どもたちが遊べる遊具の他に、地域の方々が植えた色とりどりの花々が数多く咲いています。
中でもひときわ弾けた表情を見せていたミニトマトを発見したときには、なんだか嬉しいような懐かしいような……不思議な感覚を抱きました。
ランニングのお供はやはり音楽。走りやすいテンポの曲、体の疲労が取れるような少し落ち着いた空気感の曲、それから、「ただ癒される」ことを目的に、静かに聴けるバラードを選ぶこともあります。
今回スタートダッシュに選んだ1曲はMIYAVIさんの『Holy Nights』。
イントロのエッジが深く効いたエレキギターから、走る鼓動は否応なく高まります。Bメロのフックの効いたリフレインメロディーとサビの郷愁感漂う世界観との落差が素晴らしいです。走るギアを上げるにも充分な1曲。
周りの景色を全身で感じながら、次に選んだのはC&Kさんの『終わりなき輪舞曲』。
シンプルなアレンジの中に際立つストリングスの音色の鋭さと壮大さ。普遍的なメッセージ性のあるサビの歌詞に聴き入ってしまい、ボーカルの2人の緩急ある歌声により、体にパワーがみなぎってきます。
速度をだいぶ落として、最後に選んだのはケアリィレイシェル『Hawaii』。
打って変わって、海の潮風が吹き抜けてくるような清々しさに満たされます。徐々に高まってゆく楽曲の高揚感が、歌声と相まって美しい。疲れも邪念も何もかも洗い流してくれる優しさに包まれながら走りを終えることができます。
東京都内では珍しく、とにかく人が少なく穏やかな雰囲気の公園。前述した纏のオブジェや神社など、江戸の歴史を再発見できるのも、この公園の個性の一つです。とても静かでゆったりと時間を過ごすことができました。
私は周りの人からしょっちゅう心配されるほど、「全力疾走」なタイプ。ちょっとせっかちもしれませんし、なんでもどんどん手を出してみたいと思っています。でも今回、走ってみた東京の下町には、あくせくしない生き方が根づいているようでした。
ちゃんと深呼吸をして、息を吸うことよりも吐くことを意識する、ゆるやかな感覚。それを自然と持てる、こち亀のような日常の過ごし方はとても理想的です。あらためて、生活にそれを取り入れていこうと思うことができました。