お金と仕事
もう、陸上辞めるかも…インターハイ優勝選手を救った「休むこと」
自分の心がわからなくなった時、必要だったのは「休むこと」だった――。
23歳のアスリートの発信が注目を集めています。
中学校で陸上を始め、10年以上のキャリアを持つ石塚晴子さん(ローソン所属)は昨年、一時的に競技を離れる選択をしました。インターハイ優勝、400mハードルの20歳以下の日本記録更新という華やかな結果を残してきた選手が、なぜ? 当時のことを「気持ちの整理も兼ねて」描いたという漫画をツイッターに投稿すると、大きな反響を呼びました。
休むことで、空っぽになっていた「目的の箱」に新しい目標を入れることができたという石塚さんに、話を聞きました。
石塚さんが昨年10月に投稿した8ページの漫画は、周囲からかけられる「オリンピック目指しているんですね」という声への戸惑いから始まります。
「確かに競技を仕事にする以上、結果は求めていくし、日本という枠にとどまらず世界を目指したい気持ちはあります。オリンピックはひとつの分かりやすい指標なのですが、私としては『出ます』と言うのも『出ません』というのもうそになってしまう。答えに困る質問でした」
高3のインターハイで優勝も果たし、大学に進んだ石塚さん。あることをきっかけに、競技人生を考え直し、大学の部活を辞める決断をします。
「大学1年生の秋にケガをして思うように練習ができない中、ドイツにトレーニングに行く機会があったんです。ドイツでは、選手を支える体制や考え方が全然ちがっていました。日本では触れてこなかった考えに触れて、自分が本当にやりたい陸上ってどんな陸上だろう? と考え初めました」
監督の方針や部活のあり方にも、疑問を抱き始めていたという石塚さん。試してみたいと思って提案した練習を受け入れてもらえなかったり、試合で参加する種目の数を減らしたいと訴えても認めてもらえなかったり、といったことが続いていたと言います。
「世界には色んな考え方があると知った上で、今の環境に不満を抱えながら続けるよりも、どういう陸上だったら続けていきたいのか考えたい」と、部活という環境を離れて活動を始めることに。
その半年後、石塚さんはローソンに入社し、時短勤務をしながら実業団で練習を続けてきました。
しかし、部活を辞めた後も悩みや葛藤は続きました。
漫画では、練習の量や、体重の管理に悩む様子が描かれていきます。
様々な指標の中で悩みながら、「どうなりたいか」を模索していく石塚さん。
「目標・動機の箱」を整理していくと……。
「特になかった」
箱の中は空っぽでした。
「結果を出したい」というモチベーションの一方で、「結果が出るとはどういうことか」「自分はどうなりたいのか」という部分がはっきりしていなかったのだと続きます。
石塚さんは「この目的の箱に、『インターハイ優勝』というものすごく強い原動力が入っていた時期もありました」と語ります。
「高校時代の私は、その目標に懸けて、クラスに友達も作らず、遊びにも行かずに練習に打ち込みました。でもいざ優勝した時に、もちろんすごくうれしいんだけど、じゃあ優勝したからなんなの? とも思ってしまったんです。その先に続くものが分からなかったんです」
長年の目標が達成されたのに、「そこから続いていく何かが自分の中になかったことがショックでした」。
もしオリンピックに出られたとしても、同じような気持ちを繰り返すのではないかーー。
「そう思った時に、この目的の箱には、もっと違うものが入っているべきなんだろうと思ったんです。一言で説明できる自分の信念のようなもの。それがその時の自分にはなかった」
思うように結果が出ない中、「結果を出すこと」の定義が分からなくなり、「お金と時間をもらっているのが申し訳ない」という気持ちが芽生えてきます。
思い詰め、体調にも影響が出る中、浮かんだのは「やめたい」という思い。
所属しているローソンの上司に相談すると「仕事でそうなっている社員には休むように言っています」という言葉をもらい、3カ月間陸上を休むことを決めます。
休むことを父親に報告すると、大きな声で笑って「はるの人生やから」と背中を押してくれました。
陸上を始めてから10年、1週間以上の休みを一度も取ったことがなかったという石塚さん。
「ゴルフに行ったりミュージカルを観に行ったり、友達と気持ち悪くなるまでお酒を飲んだり、セブ島に旅行に行ったり……。色んな事をしました。スパイクを持たずに海外に行くこと自体が初めてで。きれいな海が印象に残っています」
10年ぶりの練習のない生活をしながら、「もう陸上を辞めるのかもしれない」と思ったこともあったと言います。もう一度やろうと思ったのは、ローソンでの仕事を通して得た気づきがあったからでした。
「それまで、結果が出ていないことに対して、自分は陸上をやっていて人の役に立てているのかな、給料をもらう価値があるのかな……と悩んでいたんです。でもそれって、パソコンの前で仕事をしていても同じなんだって。会社で先輩たちに仕事を教わる中で気づきました」
「また、上司に恵まれ、仕事でアイディアを提案すると否定されずに試させてくれたんです。陸上でもそんな風に、なりたい姿に向けてPDCAを回していきたいと思いました」
「その上で、私も何をするにしても、『人の役に立ちたいな』と。やっぱり、社会貢献は人の本能だと思うんです。誰かにいい影響を与えたい。今は、陸上の経験と知識、走れる体を使ってそれができるのかもしれないと思ったのです。空になっていた箱の中身が入った気がしました」
石塚さんはそれから練習に復帰しました。
「競技を続けると,、どうしてもずっと同じ生活が続いてしまう。休むことで、競技人生に節目をつけてあげることができたと思います。また、休んだ後は結果を出せないことがあっても、辞めたいという気持ちにはならなかったです。箱の中身が見つかったことも大きかったんだと思います」
「選手なら当然、結果は出したい。でも、タイムや試合結果ばかりを優先して、それでしか測れなくなるのは危険だとも思うんです。アスリートも自分の人生を主体的に、幸せに生きることがまずは大切なんだと思います」
記者が石塚さんに初めて会ったのは昨年の秋。この漫画が描かれた頃でした。
トップアスリートの感じるプレッシャーは私にはとても想像できないものですが、仕事や役割に徹し周囲からの期待に応える中で、内発的な動機を見失ってしまうことは、アスリートに限らず多くの人が共感することではないかと感じました。
ごまかしながら続けることもできますが、環境を変えたり休みを取ったりすることで別の視点を得ることができたという報告には、勇気をもらえます。
また、石塚さんは今、若いアスリートや部活をめぐる状況についてツイッターやnoteを使って発進しています。
中高生の部活動をめぐっては、指導者と選手の関係やオーバーワークなどの問題が指摘されています。それらは漫画で描かれた「動機の複雑化」や「どうなりたいか分からない」といった心境と無関係ではないようにも思えます。
解決されるべき点がたくさんある一方で、選手自身が自分の健康や幸せを見失わずにいることも、身を守ることにつながっていくかもしれません。
石塚さんは取材で、部活という環境で鍛えてきたことについて「否定も肯定もできない」と話してくれました。
「自分は結果を残してローソンの実業団にも入れた。その選択自体は否定はしません。でも、周りでは少なくない選手がケガをしたり、競技を続けられなくなったりしたのも事実です。自分はたまたま生き残って今があるという思いもあります」
「選手が自分の身を守り、人生を決定し、楽しく本気で競技に打ち込めること」(noteから)をコモンセンスにしたいという石塚さん。その言葉は、スポーツやそれ以外のことに打ち込む多くの人に届いてほしいと思いました。
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