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お金と仕事

コロナで格闘家が抱いた「正論」への違和感 「何が何でも生き抜く」

9月10日に試合を控える青木真也選手。
9月10日に試合を控える青木真也選手。 出典: ©MMAPLANET

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スポーツの中でも接触を伴う格闘技は、新型コロナウイルスの感染拡大によって興行ができなくなる影響を受けました。そんな中、総合格闘家の青木真也選手は「格闘技が特別だとは思わない」と言い切ります。

コロナ禍によって、格闘家と社会の結びつきが少なかったという反省点が浮かび上がったとも。「何が何でも生き抜いてやる」という「ドロドロ」がスポ-ツの魅力だと訴える青木選手。コロナで向き合った「社会との握り合い方」について聞きました。(朝日新聞デジタル・朽木誠一郎)
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「格闘技は特別」だとは思わない

――新型コロナウイルス感染拡大で、接触スポーツである格闘技はやりにくくなったのでは。

当然、やりにくさはあります。一番の問題は、試合ができなくなること。僕らがしているような格闘技は興行でもあるので、試合がなくなればその収入がなくなります。例えば僕が出場するプロレス団体は、やはり来場者のゲート収入がないと運営が厳しいです。

無観客試合も、海外のような大規模なイベントや、日本でも野球やサッカーなどメジャースポーツであれば放映権やペイパービュー(課金)システムが成立するかもしれないけれど、日本の格闘技市場ではあまり現実的ではなさそう。となると、試合が止まる期間が長くなれば、それだけ生活は苦しくなります。

企業の実業団や大学所属の選手はコロナ禍でも生活が保障されていました。このへんはスポーツによっても、格闘技の中でも、格差があった。ただ、生活だけなら、個人事業主の格闘家は持続化給付金ももらえるし、感染対策をして徐々に試合が再開されつつある現状、耐えられない程ではないと思います。

それよりも、試合が止まることで技術が停滞することの方がつらい。「格闘」である以上、格闘技の技術は試合でこそ磨かれていくものなので。一方、「だから格闘技は特別だ」と思ってしまうのは格闘家の悪いクセだと思います。今はどの業界もつらいから、そう言ってしまうと社会と握り合えなくなるんですよね。

格闘家が「社会と握り合う」必要性

――「社会と握り合う」とは?

これはコロナ以前からそうですが、「格闘家が格闘技のことしか考えなくなっている」と僕は思っています。今も「試合ができるようになってよかった」で思考が終わってしまっている選手も多いです。競技化が進んで、アンダーグラウンドなものがオープンになったことはよかったけど、それだと社会との接点に乏しい。

格闘家ももっと自分と社会の結びつきを考えるべきだと思います。それがないから引退後のセカンドキャリアの問題がずっと提起されてきたし、コロナで格闘技業界の体質が大きな批判を浴びた経緯もある。内に籠もることで格闘技自体もどんどんおもしろくなくなるし、いいことがないんです。

僕は格闘技を「レッドブルみたいなもの」だと思っていて。人の感情を揺さぶるカンフル剤じゃないですか。だって、いい大人が二人してその日のために何十日も前から周囲も巻き込んで準備して、血まみれになって殴り合って、勝ったとか負けたとかやっている。自分で言いますけど、バカみたいですよ(笑)。

それをガチでやるから観てくれる人たちを元気にすることができる。そう考えると、何か災害とかが起きたときこそ格闘技の出番なんだと思います。「コロナがあるけど試合ができてよかった」ではなく、「みんながつらい今、自分が一歩も退かないところを観てほしい」とか、そういう発想を持った方がいいんじゃないかと。
 
試合中の青木真也選手の様子。
試合中の青木真也選手の様子。 出典: ©MMAPLANET

コロナ「正論」、思考停止への違和感

――社会に大きな変化があっても青木さんが動じないのはなぜでしょうか。

「すべてのことはリング上に持ち込め」というアントニオ猪木会長の言葉が好きなんです。良いことも悪いことも全部あけっぴろげにして、観る人の心を揺さぶるというのが僕たちの商売の基本。起こったことをリング上に持ち込めなかったら、商売にならない。僕にとってこれが「生きる」ってことです。

コロナでいろんな格差が明らかになりましたが、そもそも平等なんてないと僕は思っていて。やれ「練習環境が悪い」「ジャッジが悪い」と言ったって、練習環境やジャッジを変えるより、自分が変わる方がよほど早いじゃないですか。生まれや育ちも、才能だって違う。それでも勝つことができるのが格闘技なので。

コロナでみんな正論を言うようになって、それにすごく違和感があった。「スポーツ選手たるものかくあるべし」みたいな。その発信に「なにがなんでもコロナ期間を生き抜いてやる」みたいなドロドロしたものを感じなかったんです。でも、そのドロドロこそが人間の、ひいてはスポーツのおもしろさじゃないですか。

スポーツ選手による「おうちトレーニング」の投稿をSNSで多く見かけましたが、右に倣えで「他の人がやってるから」とブームに乗ったのなら「社会と握り合えている」とは言えないと思います。自分はそのスポーツを通じて何を観せたいのか、観た人をどうさせたいのか、ちゃんと考える必要があるのではないでしょうか。

「生きるのを諦めるな」と伝えたい

――9月10日に約1年ぶりとなる総合格闘技戦(ROAD to ONE 3rd:TOKYO FIGHT NIGHT)があります。青木さんは何を観せたいですか?

試合を観てくれる人には、格闘技業界のこととかはどうでもよくて(笑)、とにかく僕の試合を観てほしいです。というのも、先日としまえんで「路上電流爆破デスマッチ」をやったんですけど、あらためて格闘技って最高の「遊び」だなと思ったんです。

僕の場合は、金を稼ぎたくて格闘技をやってるというより、人の金を使ってこんなバカな遊びができるのが心底、楽しくて格闘技をやっている。そのために毎日コツコツ地道な練習に取り組んでいるんです。家庭がうまくいなかくなったり、それで口座が差し押さえられたりしても、止められません。

格闘家にはヒーローになりたい人が多いかも知れない。でも僕はみんなのヒーローになることには興味がなくて。この社会で失敗したり、マイノリティになって悩む人がいたりしたら、その人の希望になりたいとは思っています。だから戦うんです。人生って戦いなので。

すごく簡単に言ってしまうと、僕は自分の試合を通して、「生きろ」というメッセージを伝えたい。「生きることを諦めるな」と伝えたいんです。そうすることによって、誰かが僕のやってる格闘技以上のことを成し遂げてくれたらそれでいい。自分の持ってるものをフルに使って、今日も明日も、生き残りたいですね。

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