コラム
心臓が止まるかと思ったツイート 車いすユーザーが考える「強さ」
あの時、友人もなく内気だった彼女は、小さな勇気を懸命に引き上げてくれた
コラム
あの時、友人もなく内気だった彼女は、小さな勇気を懸命に引き上げてくれた
「最年少の快挙」「日本人として偉業」。車いすユーザーの篭田雪江さんは、そんなニュースで盛り上がる時ほど「『弱いひと』は枠の外へはずれてほしい」という空気感につながらないか、心配になるといいます。ネットでは優生思想ともとれる言葉が飛び交う中、思い出すのは、高校の教室でしてしまった「失敗」を一緒に始末してくれた同級生のことです。「弱いひと」とは誰なのか、「弱いひと」は枠の外へはずれるべきなのか。篭田さんの視点から綴ってもらいました。
ある夜のこと。眠れないままスマートフォンでTwitterを眺めていると、某アーティストのツイートが流れてきた。それを見て心臓がとまるかと思った。
「大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして選定するべきではと思っている」
そんな趣旨のツイートをにらみつつ呆然としているとなぜか、30年近くたった今でも鮮明に残るあの記憶がよみがえってきた。
高校三年生の、もうすぐ夏休み、というある日のことだ。
二時間目ももうすぐ終わろうとしていた時、近くからなにか視線を感じた。かすかなささやきも聞こえた。私はあることに思い当たり、こわごわ車いすの下を覗き込んだ。シートの隙間から滴が垂れ、車いすの下に水たまりができていた。
尿が、漏れていたのだ。
下半身まひの身体障害のため排泄感覚が失われているので、小さい頃から失禁はしばしば起こした。高校入学からは尿漏れ防止用シートを下着のなかにつけていたが、この時はいつのまにかずれてしまっていたようだ。
冷汗がにじみ、ノートは一切取れなくなった。ほどなくチャイムが鳴って休み時間になり、先生は教室を出て行った。異変に気づいた様子はなかった。
まわりを気にしつつ机から車いすをずらした。鞄に突っ込まれていたポケットティッシュを取り出し、尿を拭った。しかし小さなティッシュでは到底拭いきれない量で、しかたなくハンカチも使った。
誰かの手を借りたかった。でも元来気弱な私には「ちょっと漏らしたから拭くのを手伝ってほしい」と言える勇気はとても出せなかった。まわりの生徒もおしゃべりしつつ視線をちらつかせて困惑するばかりだったし(その気持ちはすごくわかるので責める気など微塵もない。私も逆の立場ならそうだったかもしれないのだから)、そもそもこのことに気づいていない生徒がほとんどだった。
ふと気配を感じた。顔を上げると誰かが掃除用具ロッカーにあった雑巾を手に、私のそばに来ていた。
私の列の一番後ろにいる、女子生徒だった。
彼女は三年で初めて同じクラスになった、小柄でやせっぽちなひとだった。内気で無口なためか、友人らしい友人はいなかった、はずだ。いじめや無視を受けていたわけではないが、誰かと話しているのさえ見たこともなかった、はずだ。はずだ、がしつこく重なるが、それくらい彼女は目立たない存在だった。
彼女は雑巾を広げ、尿を拭い出した。周囲の視線が強くなり、彼女の横顔がこわばってくるのがはっきりわかった。でも雑巾を動かす手はとめなかった。
急に恥ずかしさがもたげてきた。私は彼女から雑巾を奪うように取り、尿を拭った。床はなんとか元に戻った。
彼女は無言で、雑巾と共に持ってきていたごみ袋を広げた。私は彼女の顔を見てから尿で汚れた雑巾とティッシュ、ハンカチをそこに突っ込んだ。彼女は口をしっかり結んだ。手を差し出したが彼女はその袋を渡さなかった。捨ててくるから、と目が言っていた。
ここにきてようやく、お礼を言わないと、と焦った。だが男友達はともかく、三年間で女子生徒と恋愛どころかまともに話したことすらろくになかった私にとって、それは次の数学より難しい問題だった。彼女がごみ袋を手に背を向け、歩きかけた時、ようやく口を開いた。
「あ、手、よく、洗って……」
なにを言っているんだ。ここはまずなにより「ありがとう」だろう。
彼女は振り向いてから教室を出て行った。一瞬だけうなずいた、ような気がした。細く小さな背中を見送った。彼女が後ろの出入口から入ってくるとのほぼ同時に、次の始業チャイムが鳴った。その後の授業は濡れたズボンと下着のまま受けた。
放課後、すぐ教室を飛び出し、後ろの出入口ドア前に向かった。すぐそばの席で帰り支度をしていた彼女が振り向いた。驚いたように目が見開かれた。
「あ、今日は、その……」
だから、ありがとう、だろう。もうひとりの自分が頭で怒鳴ったが、口がうまく動かない。
「大丈夫?」
彼女がたずねてきた。周囲の喧噪に溶けそうな小声。でも私にはしっかり届いた。それなのに私はなにも答えられず、ただ首を縦に動かしただけだった。
彼女は小さなうなずきを返した後、席を立ち、私のそばを抜けて廊下に出た。慌てて私も廊下に出たが、彼女はすぐ生徒たちの群れにまぎれてしまった。明日こそお礼を言わないと、と思った。
翌日、教室でただひとりジャージ姿の私は、その機会をうかがってばかりいた。だが話す機会はいくらでもあったのにからだが動かなかった。ようやく話しかけられたのは昼休みも終わる頃だった。
「昨日は、その、どうも」
頭だけ小さく下げた。ありがとう、が本当に出てこない。自分の頬を殴りたくなった。
彼女は、かすかに微笑んだ。
ほどなく夏休みがきた。うだる暑さのなか、彼女と、あの日のできごとばかりを考えていた。小柄でやせっぽちな姿。床の尿を雑巾で拭う手。「大丈夫?」喧噪に溶けた小声。細く小さな背中。かすかな頬笑み。最終日の夜はろくに眠れなかった。
なぜ今になってもこんな詳細に覚えているのか。それは夏休みが終わって新学期が始まった時、彼女が思いがけないことになっていたからだろう。
新学期初日。いつもよりはやく車いすをこぎながら教室に入った。え? と声が漏れた。
彼女の姿が、なかったのだ。
からっぽの彼女の机を何度も振り返っているうちホームルームが始まった。そして担任から連絡がなされた。
彼女が、学校をやめた、と。
放課後、私は職員室に向かい、担任に事情をたずねた。「もう来られなくなったんだ、ちょっといろいろあってな」その後もなんどか質問をしたがはぐらかされて終わってしまった。なぜかあまり話したくない様子がうかがえた。
職員室を後にすると、一階奥にある理科室に入った。幸い誰もいなかった。
どうして、やめちまったんだよ。
ごめんね、を言いたかったのに。
ありがとう、を伝えたかったのに。
ひんやりした理科室のすみで、唇をかみしめた。
三月、卒業式をむかえた。卒業証書やその他の荷物を抱えて感極まる母に、私は「ありがとう」とつぶやいた。高校生活で母に礼を言ったのは、これが最初で最後だった。
卒業後ほどなく、送られてきた同窓生名簿を何度も開いた。中退した彼女の名前があるはずもないのに。インターネットが普及してからは、おりにふれて彼女の名前を検索した。同姓同名の名はいくつか出てくるが、いずれも彼女と思しきものではなかった。
彼女がどこでなにをしているのか。今もずっとわからないままだ……。
冒頭で触れた某アーティストの言葉と、この思い出に直接のつながりはない。また二年ほど前から各地で訴訟が行われた、旧優生保護法ともやはりまっすぐにはつながらない(旧優生保護法(1948~1996)。障害を持つひとに対して中絶や不妊手術を強制的にできた法律。第一条に〝優生上の見地から、不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命・健康を保護することを目的とする〟とある)。
それでもなぜ、この思い出がよみがえってきたのか。
理由がわからないまま、某アーティストのツイートを改めて見つめる。26,000を超える「いいね」がついている。
優生保護法、と検索をかけてみる。「優生保護法 仕方ない」という関連キーワードが上位に出てくる。
あの時から変わらない、と思った。四年前、津久井やまゆり園であの悲劇が起きてしまってもなお。
「優秀なひとたち」を優遇するため、あるいは「普通のひとたち」が「安心して生きる」ために、それは仕方ないという空気感。
「弱いひとたち」を支えるにはお金も労力もかかる。だからそういうひとたちは枠の外にはずれてほしい、という空気感。
そんな空気感の醸成がとまらない。
そんな空気感のなかで「弱いひとたち」とは誰にあたるのか。もしかしたら、自分ではきっとどうしようもできなかった事情で学校をやめた彼女も、それに含まれるのかもしれない。
でも「弱いひとたち」は、本来なら優しさで包まれるべきひとたちだ。幸せにならなきゃむしろおかしいし、夢も希望もあるひとだっているだろう。もちろんそのためのセーフティーネットは多々ある。手を差しのべてくれるひとたちだって、本当にたくさんいる。
それでも現実には、そんな空気感のなかに含まれてしまうかもしれない「弱いひとたち」の苦しみは絶えない。
もちろんすべてがそうではないが、会社の社員募集欄の条件には大抵「大卒」「高卒」が当たり前のように記載されている。「中卒」で低賃金の職にしか就けず、給料日前はご飯とお茶だけでしのいでいた方を知っている。あるLGBTの方が職場でカミングアウトした直後から無視され、退職を余儀なくされた苦しい経験をブログに書かれていたのを読んだこともある。介護施設などでの高齢者や障がい者への虐待のニュースも、定期的のごとく流れてくる。
なぜ? 理由は複雑に絡まり合っているだろうから、知識人でもなんでもない私にむやみな発言はできない。深い考察もできない。
ただ、そういう現実の後ろにある空気感を感じ取ることだけはできる。某アーティストのツイート。それについた「いいね」の数。「優生保護法 仕方ない」の検索ワード。
そんな空気感に含まれる「弱いひとたち」という成分。先ほども書いたがそれに彼女も当てはまるのかもしれない。直接にはつながらないこの思い出がよみがえった理由は、きっとここにある。
学校をやめた後の彼女がどうなったか。どこでなにをしているのか。今でもわからない。どうしてあの時、私の漏らした尿の始末を手伝ってくれたのか。彼女のことは、本当になにもかもわからないことだらけだ。高校中退ということで、苦労の絶えない日々を送っていたりしないだろうか。そんなことを想像すると胸がぎゅっと痛む。
でも。ここでふと思い直す。
あの時、友人もなく内気だった彼女は、小さな勇気を懸命に引き上げてくれた。生徒たちの視線がどれだけ痛かったか。車いすで生きてきた私にはその痛みがわかり過ぎるくらいにわかる。それでも彼女は私に手を差し伸べてくれた。汚れるのもいとわず、親兄弟でもない私の汚れを拭ってくれた。
そうだ、彼女は「弱いひと」なんかじゃない。
「弱く見えるかもしれないけど、本当の強さを秘めたひと」なのだ。
苦しみのなかでも、きっと彼女は今も懸命に生きている。自分の夢や幸せをつかんでもいる。それは私の願い、祈りでしかない。でもきっとそうだ。彼女は「弱く見えるかもしれないけど、本当の強さを秘めたひと」なのだから。
やせっぽちのヒロイン。
私も彼女のようにありたい。
彼女の持つ「本当の強さ」のなかにこそ「優しさ」や「愛情」があふれていると信じたい。そんな「優しさ」や「愛情」が広がっていけば、例のようなツイートも「弱いひとたち」などという空気感もなくなっていくのではないか。だからこうして、なけなしの勇気を振り絞っている。彼女がくれた勇気を支えに。
彼女にはいつか、きっと会える。その時こそはしっかり伝えよう。
「ありがとう」と。
1/58枚