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「これが、一番好きな妻の写真」仮設住宅に住む男性が教えてくれた
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お正月に家族が集まって、だんらんしていた時間を襲った能登半島地震。住まいや大切な人を奪われ、人生が一変した「あの日」から2年。残された人たちは、どんな日々を歩んできたのでしょうか。(朝日新聞金沢総局能登駐在・上田真由美)
「これが、一番好きな写真」
ちょっと照れくさそうに、ちょっと誇らしそうに、則貞武夫さん(84)はおしえてくれました。
春の屋外で、妻のあき子さんが何かを話し、武夫さんはその横でほほえんでいる1枚です。
この写真は、仮設住宅の押し入れにしつらえられた小さな祭壇の遺影の横に飾られています。
58年連れ添った2歳年下のあき子さんは、2年前の元日に起きた能登半島地震で亡くなりました。
あの日、石川県珠洲市大谷町の自宅が倒壊しました。
直前まで茶の間で夫婦一緒にテレビを見ていました。がれきから脱出できた武夫さんは、自らチェーンソーを使ってあき子さんを救出しようとしましたが、かないませんでした。
葬式の後、崩れた自宅から思い出の写真を拾い出しては、避難所でアルバムに貼っていきました。幸せそうな2人の写真は、そのうちの1枚です。
聞くだけで胸が締め付けられるような元日の出来事。家事は妻任せでまるっきりダメだったという武夫さんが仮設住宅のご近所さんたちに教わりながら、料理も洗濯もできるようになっていったこと……。
この2年の歩みを取材させてもらい、年末に記事にしました。
年が明け、記事が載った新聞を届けるために仮設住宅を訪ねると、玄関に門松が飾られていました。
「こんなん、すぐにできたわ」
元大工の武夫さんは、またちょっと照れくさそうに、自らつくったことをおしえてくれました。
武夫さんは愛用している手帳を毎日、何度も開きます。最初のページには、とびっきりの笑顔をみせるあき子さんの写真が貼り付けてあるからです。
大切な人を失った後も、残された人の時間は続きます。消えることのない喪失の痛みと、おだやかに笑いあうこともある日常と。地続きにあるその時間を、行きつ戻りつしながら、歩みつづけています。