マンガ
「ギャル」に救われ漫画家に…あきらめた夢、背中を押してくれた
「漫画家になりたい」背中押した愛すべき「ギャル」たち
漫画は、幼い日の朝日さんの姿から始まります。絵を描くのが好きで、同じ趣味を持つ友人も多く、小学校でも「まんが家になりたいなぁ」と口にしていた朝日さん。しかし、中学校に進学すると、環境が大きく変化していきました。
学校で渡された進路表に戸惑い、「どうせみんな考えてへんやろ…」と考える朝日さんですが、周囲の生徒に話してみると意外な答えが待っていました。「えー お母さんが看護師やからうちも看護師かな」「うちはねー」と話していく友人に、焦りと汗が止まりません。
それぞれおしゃれに敏感になる年頃、そして当時通っていた学校はいわゆる「荒れている」中学で、「漫画家になりたいと言うのは至難の業すぎる」と思った朝日さん。先生にも進路を明かせないまま、家から近いという理由で高校を決めます。
こうした時期から、周囲に絵を描く人たちも減っていき、朝日さんも漫画から遠ざかっていくようになっていきました。
そんな中、朝日さんが入学した高校の印象は「めっちゃギャルがおるなぁ」。ある日、朝日さんがノートに絵を描いていると、ある「ギャル」の女の子から「朝日って絵描くんや」と声をかけられます。
突然の出来事にどぎまぎする朝日さんですが、女の子はさらりと「へー うま」「いいやん」。そこで朝日さんが「昔…漫画家になりたかったんよね」と口にすると……。
「なればいいじゃん」「漫画家ってどうしたらなれんの?」
朝日さんが「漫画描いて出版社の賞に出して…」「そんな簡単に漫画家にはなれへんし…」と説明すると、「暇だしなんか手伝うよ」という彼女たち。その次の週には、本当に朝日さんの家で作業が始まりました。
泊まりがけの作業を続け、投稿した漫画。朝日さんにとって、彼女たちの手伝いはもちろんのこと、「私を否定せずにいてくれたこと」が支えになっていました。
時を経て、朝日さんは今、漫画家になっています。「小心者の朝日が漫画家になろうと思えたのは 間違いなくあの子達のおかげだと思います」と綴られています。
投稿には「いい友人ですね」「感動しました」「心が洗われました」というリプライが寄せられ、10万件近い「いいね」も集まっています。当時のエピソードについて、作者の朝日夜さんに伺いました。
わたしがギャルに救われた話(1/3) pic.twitter.com/lqME0aYnFj
— 朝日 夜@ギャルとぼっち一巻6/22発売!! (@asahi_yoru9) June 19, 2020
朝日さんが絵を好きになったのは、保育園に通っていた頃。「先生の顔」というテーマで絵を描くことになった時のことです。それぞれの子どもが同じ画用紙、クレヨンで描いていたにもかかわらず、できあがったのは全員がすべて違う絵柄の作品でした。「そこから、人の絵を見るのも描くのも大好きです」と振り返ります。
しかし作中でも描かれているように、中学で夢と現実のギャップに苦しみます。朝日さんは当時のことを「夢を持ってはいけないような気がしました」といいます。
「もっと現実的に考えた道を、大人を安心させるために用意しないといけない」
こうした思いから、漫画と距離をとっていった朝日さん。受験勉強や部活の忙しさを盾に、現実を受け入れ、納得しようとしました。「そのころにはもう、漫画道具は引き出しの中にすらなくなっていました」
朝日さんいわく、地元は「たいして何もない田舎でした」。このため都会の流行が遅れてやってきているのは否めなかったようですが、朝日さんの印象に残る「ギャル」といえば、日焼けした肌、原色のグッズ、落書きだらけのかばん、明るい髪色が定番でした。
高校が家から近かったため、よく目にしてきた「ギャル」の女の子たち。朝日さんは「怖かったですが、憧れの方が強かったかもしれません」。そんな女の子たちと過ごす、高校生活が始まりました。
高校で出会った女の子たちは、朝日さんにストレートに思いを伝えました。「(漫画家に)なればいいじゃん」「手伝うよ」という言葉に、朝日さんは「すごくひねくれた回答になりますが、『その場しのぎでそう言ってくれているだけかな?』と思っていました」と明かします。
いわゆる「社交辞令」のようなものかと思いきや、本当に始まった家での作業。漫画には4人ほどの友人が描かれていますが、実際には何人もの人が入れ替わり立ち替わりで手伝いに来て、締め切り前は何泊も泊まっていってくれたそうです。
それまで漫画から遠ざかっていた朝日さんでしたが、「自分には精神的にも身体的にもこんなに支えてくれる人がいる、と自覚したその日から、挑戦しない理由がないと思いました」。
「すごく、感謝ももちろんですが、この時間が永遠に続けばいいのにと思いました。みんなで同じ作業をすることが楽しかったです」
みんなでつくりあげた漫画が完成した時、「『やったー!』という達成感というよりも、終わってしまった喪失感が大きかったような気がします」と振り返る朝日さん。
「当時の私はお礼にアイスを買うことくらいしかできなかったのですが、『次はいつ描くの?』と夜道を歩きながらみんなで次の予定の話をしていました」
今改めて、彼女たちに対する思いを尋ねると「あの時、貴重な時間を私に捧げてくれて、感謝でいっぱいです」と教えてくれました。
そんな作品の種ともなった高校時代のエピソード。Twitterにはたくさんの感動の声が集まりました。朝日さんはこうした反響について、「反響をいただくつもりでまったくかいておらず……『もっと丁寧に描けばよかった!』と後悔と恥ずかしさでいっぱいです(笑)」。
「みなさんが反応してくださる場所がそれぞれ違って、一つのお話からいろんなことをくみ取ってくださりうれしいです」
最後に、朝日さんから読者の方へのメッセージをいただきました。
「いつも朝日の作品を読んでくださりありがとうございます。
雑誌ではなく、SNSで作品を投稿するという新しいスタイルの作家ですが、みなさんのコメントや反響で
『よし。次の作品を描こう!』と奮い立たせてもらっています。
いつも応援してくださり、ありがとうございます。これからも作品を作り続けますので、朝日をよろしくお願いいたします」
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