連載
#11 withコロナの時代
「希望は戦争」赤木さんが見たコロナウイルス「恵まれた人が大慌て」
見逃されていた非正規労働者の「多様性」
赤木智弘さんが「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳、フリーター。希望は、戦争。」という論考で注目を集めたのは2007年のことでした。新型コロナウイルスを巡っては、フランスのマクロン大統領が「戦争状態にある」と発言するなど、社会を根底から揺さぶっています。格差が広がる世の中の現状を変えるための強烈な比喩として「戦争」を持ち出した赤木さんには、現在の状況がどのように見えているのでしょうか。「STAY HOMEができる人は恵まれた人」「弱い立場の人も一様ではない」と語る赤木さんの言葉から、社会の変え方について考えます。
「希望は、戦争。」で赤木さんは、安定した仕事につく機会を奪われた「ポストバブル」に生まれた世代が、日本社会から見向きもされていない状況があると痛烈に批判しました。
そして、身分が固定化した社会を変えるには、世代を超えた全員が避けては通れない戦争のようなきっかけが必要だと訴えました。
もちろん、赤木さん自身、戦争を望んでいるわけではなく、それほどまでに「ポストバブル」の世代が置かれた苦しい状況には出口が見えないことを伝える比喩としての言葉でした。
現在、新型コロナウイルスによって、多くの人が外出自粛を迫られ、サービス業を中心に経済への影響も出ています。
赤木さんは、「危機を感じてなかった恵まれた人たちが大慌てしている」と、これまでの経済危機との違いを指摘します。
「恵まれた人たちにとっては、なかったはずのものが現れてしまっている」
その上で、赤木さんは「でも、貧しい人にとってコロナ以前の社会が安全だったのかというとそんなことはない」と強調します。
「こうした状況において、『STAY HOME』ができるのは、もともと会社に机があってテレワークができる立場だった人。経済的に安定しているから、蓄えもあって、家にいられる。現場で作業する人は、そんなことを言ってられない」
赤木さんが注目するのは、現金10万の直接給付が決まるまでの過程です。もともと審議されていた所得が減少した世帯向けに30万円を給付する当初案が見直され、所得制限を設けず国民に一律10万円を給付することになりました。
「これだけ騒いで10万円か、という思いある。でも、以前の社会なら、当初案を覆しての現金給付は受け入れられなかっただろう。危機の大きさが目に見えて違うからこそ、政治を動かすことができ、現金給付が達成できたのだと思う」
10万円の現金給付を巡る議論を通じて赤木さんが政治家に求めたいものは「マクロから見えないものがあまりに多いことの自覚」です。
「同じフリーターでも困り方は全然、違う。スーパーの店員は、これまで以上に忙しくなったけれど、劇場や映画館は仕事そのものがなくなった。日頃からギリギリで生活している人であっても、収入が減っていなければ、当初案にあった助成金を受けることはできない」
「結局、政治家にとっては『庶民=正社員』にしか見えてない。だから、すぐに着手するのは企業への雇用助成金や、個人への住宅減税、自動車減税となってしまう。逆にいえば、そうした違いを気にしなくていいためには一律10万円の現金給付しか手段はなかった」
新型コロナウイルスを巡っては、外出自粛への意識が強くなりすぎ、県外の車のナンバーを監視するような動きも生まれています。
赤木さんは、「行政区レベルで考えている人が多い」とし、それは東日本大震災の原発事故とも重なると指摘します。
「一見、正当に見えても、生活圏が一緒なら意味がない。県境でガードできると、なぜか思ってしまう」
過剰な反応は偏った「帰属意識」としての「愛国心」につながると警鐘を鳴らします。
「正しいかどうか検証できないまま、行政に力を与えてしまう。それが正当化されてしまうと今後の民主主義にとってはマイナスになってしまう」
普段からツイッターなどネットでの発言を続けている赤木さん。ネット上の議論で気になるのは「一つしか正解がないかのように見えてしまう」最近の傾向です。
「政府を批判することと、好き嫌いは関係ないはず。与党でも野党でも、是々非々で考えるべきなのに、冷静な議論がしにくくなっている。政治的なあつれきを生まない『STAY HOME』は言いやすいけれど、健康のリスクと経済のリスクを比べるような議論は反発を受けやすい」
赤木さんは、それを「分断というよりは、党派性」と呼びます。
「元々、異なる意見を持つ同士が離れてしまっていたところにコロナが来た。『アベノマスク』の評価も、批判的な人は布マスクの配布が間違っているとしか言わないし、正しいという人は政策の中身に関係なく賛同してしまう」
「希望は、戦争。」では、東大卒の丸山眞男が陸軍二等兵として召集され、中学に進んでいない上等兵や下士官から繰り返し殴られたことを挙げ、フリーターでも丸山眞男をひっぱたけるような変化を「希望」として求めました。
現在の状況は戦争なのかという問いに対し、赤木さんは「戦争ほどのリセットにはなってない」と答えます。
「ウイルスが好んでお金を持ってる人を攻撃してくれるわけではなく、戦争中の食糧難のように、都市と農村の立場が逆転するような変化は起きていない」
それでも、今回、現金10万円の直接給付のように「人々が明確に批判したことで事態が変わったこと」は評価できると言います。
「現金給付を実現できたという実績をもって、ベーシックインカムや、給付つき税額控除である『負の所得税』につなげていく必要がある」
「結局、コロナのような危機においても、最初に対応させられるのが非正規労働者のような立場の弱い人なのだから」
記者の気づき
■取材のきっかけ
赤木さんは、「希望は、戦争。」を発表以降、ロスジェネ、就職氷河期世代の苦しみを、あくまで現場からの視点で発信し続けてきました。
2007年当時はツイッターもなく、もちろんnoteもない、シンプルなブログとして世に出した文章が、マスメディアに掲載され書籍化もされる流れは画期的でした。同時期の2005年に当時の2chからドラマや映画にまでなった「電車男」の成功談とは違う、インターネットのもう一つの可能性を感じさせるものでした。
最近では、孤独死についても発言をしており、withnewsのイベントにも登壇をしてもらいました。自身の体の不調など切実な悩みから、あらためて「ポストバブル」の置かれた状況を訴える言葉には、赤木さんらしい説得力がありました。
■「続編」で指摘していたこと
2007年当時は「戦争」という単語を使ったことで様々な批判も受けた赤木さんですが、いつしかツイッターなどでは、より過激な言葉が普通に流通するようになってしまいました。
実は、赤木さんは、「希望は、戦争。」を発表した半年後、論考に対する批判に答えるブログを書いています。
「続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」」と題されたブログでは、生活が苦しい人々が「国」や「民族」によって位置づけられる安心感を求めてしまうことに言及しています。
「右派の思想では、「国」や「民族」「性差」「生まれ」といった、決して「カネ」の有無によって変化することのない固有の 「しるし」によって、人が社会の中に位置づけられる。経済格差によって社会の外に放り出された貧困労働層を、別の評価軸で再び社会の中に規定してくれる」
社会の不安と、経済的な安定への諦めが、排外的な空気を生むという指摘は、新型コロナウイルスをスティグマ(偏見)化しかねない現在の危うさに重なります。
■声の上げ方の足がかりに
取材で赤木さんが強調していたのは、「同じフリーターでも困り方は全然、違う」という、困っている人の中にある「多様性」です。
今、ネット上では、ライブハウスの関係者に対して「苦しんでいる人は他にもいる」などという攻撃的な反応が起きやすい状況になっています。それは、困っている人同士の足の引っ張り合いにもなりかねません。
ネット空間は、困っている人の中にある「多様性」への理解を広げるためにも使えるはずです。
「人々が明確に批判したことで事態が変わった」
休業補償を巡っては、ネット上で生まれた風俗店で働く人への助成金が外されたことへの反発が、政治を動かしました。赤木さんが評価する現金10万円の直接給付を巡る動きを、人々の声の上げ方の足がかりとして考えた時、戦争にもウイルスにも頼らずに社会を変えるヒントが見えてくるのかもしれません。
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