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虐待の後遺症、実名出版の後に起きたこと 無理解、イベント拒否も

4歳くらいの頃、祖父母の家で母にパーマをあてられてポーズを取っている様子。この頃にあった親戚づきあいは羽馬さんが5歳くらいのときになくなり、その後両親からの虐待が始まったという=本人提供
4歳くらいの頃、祖父母の家で母にパーマをあてられてポーズを取っている様子。この頃にあった親戚づきあいは羽馬さんが5歳くらいのときになくなり、その後両親からの虐待が始まったという=本人提供

目次

羽馬千恵さん(36)は、2019年に子どもの頃に受けた虐待についてまとめた本『わたし、虐待サバイバー』を実名で出しました。出版後、離れていった同級生がいる一方、羽馬さんの悩みに気づいていなかったことを謝る友人も。もう一方の当事者である母親と対話。大人になってからの後遺症に関心が集まらない問題。カミングアウトによって見えた現実について、羽馬さんにつづってもらいました。

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勇気を出して実名で出版

わたしは2019年の夏に、子ども時代からの虐待体験と、大人になってから虐待の後遺症でどんな人生だったか? という半生を描いた手記『わたし、虐待サバイバー』(ブックマン社)を実名で出版しました。

30代前半まで、自分が児童虐待の被害者だということを周囲の反応が怖くてほとんど誰にもカミングアウトできずにいた。このたび、勇気を出して書籍という形でカミングアウトしてみて分かってきたことを述べたいと思います。

『わたし、虐待サバイバー』(ブックマン社)。幼少期からの虐待体験と大人になってからの壮絶な後遺症を赤裸々に綴った。親を怨む内容ではなく、虐待の被害者も加害者もこれからは明るい未来を創れるよう願って出版した

「気が付いてあげられなくて、本当にごめん」

今はフェイスブックなどで学生時代の同級生ともつながれますから、当然、同級生や友人にもわたしが虐待サバイバー(虐待の生存者)だと知られました。

カミングアウトしたことで、私と関わりづらくなったのか、距離を置かれた同級生や友人も何人かいました。彼らの心境はわかりませんが、どう接していいか、わからなかったのだと思います。

一方で、中学時代の友人が「千恵。子ども時代、酷い家庭やったもんな。それやのに、千恵がここまで苦しんでいたことに、気が付いてあげなくて、ごめん。涙が出る。本当にごめんな。」というメールをくれた旧友もいました。複雑だったけど嬉しくもありました。

本を出版する直前に、SNSで虐待の被害者だとカミングアウトしました。私の投稿に「あんたは、親とは違う。ええ人間や」とフェイスブックのメッセンジャーでコメントをくれたのは中学時代、ほとんど会話もしたことがなかった男の同級生でした。

子どもの頃、ちゃんと私のことを見ててくれたんだ。そして、私に問題があるわけじゃなくて、親の虐待が原因だと気が付いてくれていたことに30歳を過ぎて知ることができました。めちゃくちゃ、嬉しくて大泣きしました。

でも、こうした嬉しい反応ばかりではありませんでした。

これは私の主観ですが、カミングアウトしただけで、私を目の前にして私の顔を見ることすらできずうつむいて身体をこわばらせ全身が「震えた」人が数名いました。虐待とは無縁な家庭環境に恵まれた人たちだったので、虐待という別世界の人間を目の前にして、怖くなったのかなと思いました。でも、「震えられた」側の私はショックで傷つきました。

同級生からのメッセージ(再現イメージ)
同級生からのメッセージ(再現イメージ)

出版してほしくはないけど……母の葛藤

実名で手記を出版する際、私が一番、心配したのは虐待した母がどう思うかです。

母は出版を、しぶしぶ認めてくれましたが、出版までに何度も激しい口論になりました。母としては当然、自分の加害を公開してほしくない。でも、虐待してしまったことに後悔しているため、娘の望みを叶えてあげたいという想いもあったようで、随分と気持ちが揺れ動いていました。

不思議なことも分かりました。「わたしの真実」と、「母の真実」がどうしても一致しない場面が出てきたのです。

人は誰しも見ている視点が違いますから、同じ家庭で、同じ(家庭内)事件の場にいても、家族それぞれの真実が異なることもカミングアウトしてわかったことです。

人間は、異なる真実を有しているのだ、という話し合いを何度も何度も母と繰り返し、お互いが「違う真実」でいいのだ、と納得するまで時間がかかりました。

母が最も気にしていたのは、田舎暮らしの彼女にとってわたしが実名で手記を出版することは、周囲から白い目で見られて、暮らしていけなくなるのではないか、という悩みでした。最終的には、出版前に原稿をすべて読んでもらって、納得の上で出版に至りました。

「虐待なんかテーマにされたら困る」

虐待が社会からどのように受け止められているのか、実感する場面もありました。

出版後、札幌のイベントスペースで、虐待サバイバーの仲間たちと虐待をテーマにしたイベントをやろうとした時、イベントスペースの申し込みを断られたのです。そこは、誰でも無料で借りられる場所でした。

管理人から「羽馬さんがやろうとしている活動は評価します。でも、不特定多数の人が通る場所で、虐待なんかテーマにイベントされたら、子どもさんも通りますし。苦情がうちの店にきたら困るので場所は貸せません」。苦情ってどんな苦情だ……と悔しい思いにかられました。

虐待サバイバーの支援の啓発リーフレットを公共施設に掲示させてもらうよう依頼した時も、施設によっては、「虐待は……」と苦い顔をして断られることがありました。

大人の後遺症に目が向かない報道

取材をしてもらえることはありがたいことだと思っています。

同時に、多くの虐待の企画が「今、虐待を受けている子どもたち」だけにしか向いてないことには疑問を抱きました。

もちろん、深刻な被害を受けている子どもを救うことは喫緊の課題です。でも、「今の子どもたちをどう救うか?」という趣旨の取材では、虐待の後遺症について、伝えきれないという歯がゆさも覚えました。

虐待を生き延びた人(虐待サバイバー)の「その後」という視点は、こちらから提案しないと取材してくれないことが多く、大人の虐待の後遺症を伝える難しさを実感しました。

2018年に厚生労働省が虐待など長期にわたる慢性的なトラウマを「複雑性PTSD」という病気として認定しましたが、マスコミでの扱いはけっして大きはなかったと感じています。虐待の後遺症として、「複雑性PTSD」という病気があることを世間の人がほとんど知られていない背景には、報道にも原因があると感じています。

取材依頼に応じたのに、企画がなくなったこともありました。大人の後遺症の悲惨な実態を正直に語った当事者としては、非常に残念な思いになりました。

虐待のあったマンション前に集まった報道陣=2019年6月6日、札幌市中央区
虐待のあったマンション前に集まった報道陣=2019年6月6日、札幌市中央区 出典: 朝日新聞

被害者は美しくないとダメ?

出版後に見えた周囲の反応からは、私の本の読者も指摘していましたが、日本は美しい、けがれのない者しか「被害者」として認めないのではないかという疑問が浮かんできます。

人は誰しも、一方的加害者でも、一方的被害者でもない存在です。どちらの要素も持ってしまうのが人間というもの。被害者は、「小さな子どもだけ」と報道するマスコミや世間の受け止め方を見ると、どこか「けがれ」をもった大人という存在を、被害者とは認めない風潮が日本にあるような気がしてしまいます。

その結果、世の中にごまんといる大人の虐待の被害者に焦点が当たらなくなっているのではないでしょうか。

「虐待死」が起きないと騒がない

虐待死事件が起きれば、大騒ぎして殺した親を鬼親だのボコボコに非難するのに、虐待死が起きなければ静まり返っている、そんな状況になっていないでしょうか?

現在進行形で「死なない程度の」虐待を受けている今の子どもたちや、虐待を生き延びて後遺症に苦しむ大人の虐待サバイバーには寄り添おうとせず、むしろ避けたがっているようにも感じます。

「自分事」ではない、と受け止められいるだとしたら、結局、虐待サバイバーは「棄民」のままなのだな、と思う自分がいます。

一緒に回復するうれしさ

本を出版したことで虐待を取り巻く現実を知ることになった一方、うれしい反応もいただいています。

それは、子どもの頃に虐待の被害にあわれた人からのお手紙でした。ご本人に了承のもと、内容を一部、紹介させてもらいます。

「羽馬さんの本を読んで、浄化の涙が出ました。こんな本は、初めてです。この本を書いて下さって有り難うございました!本当に、スゴイ本だと思います」

読者からの手紙。読後の感想を「浄化の涙」が出たと書かれている(本人に許可をとった上で掲載しています)
読者からの手紙。読後の感想を「浄化の涙」が出たと書かれている(本人に許可をとった上で掲載しています)

私の書いた本が誰かの救いになっていることを知り、書いてよかったのだと思えました。

書籍という形でカミングアウトしたことで、他の当事者と一緒に回復に向かえることをとても嬉しく思います。今後も当事者として、社会に対して粘り強くメッセージを発していきたいと思っています。

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