連載
#3 #アルビノ女子日記
「アルビノなのにブス」中傷された私、外見重視の社会に言いたいこと
「アルビノ」と聞いて、どんなイメージが頭に浮かびますか? 「肌や髪が白くてきれい」「神秘的」と思う人もいるかもしれません。「ブス」「むかつく顔」。当事者の神原由佳さん(26)が、ネット上で投げつけられてきたのは、そんな中傷の言葉でした。特徴的な外見ゆえに、周囲から注がれる過剰な期待。理想と現実の狭間でもがく日々を越え、心の内に生まれた考えについて、神原さんにつづってもらいました。
「アルビノなのに、ブスじゃん」
私のアルビノとしての経験を伝える記事が、あるニュースサイトに掲載されたときのことだ。匿名のコメント欄を読んでいると、そんな言葉が目に飛び込んできた。
これは、きつい。きつ過ぎる……。
その記事は、アルビノの疾患や生活上の支障を伝える内容だった。特に、アルバイトの面接で「髪の毛を黒く染めないと雇えません」と言われ、不採用になった私のエピソードが大きく取り上げられ、顔写真が添えられて配信された。
自分の発言に賛否があることは想像していたし、議論は大歓迎だ。「生まれたままの髪色を染める必要はない」と肯定的な書き込みもあれば、「本当に働きたいのなら、髪の毛くらい染めればいい」という批判も。そういった書き込みを、私は「ふむふむ」とうなずきながら眺めていた。
ところがどっこい! コメントは私の想像の斜め上をいった。発言内容とは全く関係がない、容姿について書き込まれているじゃないか。それも一つや二つだけじゃない。「痩せたら少しは美人」「お笑い芸人に顔が似ている」「むかつく顔」……。
自分の想像力の甘さもあったのかもしれないけれど、まさか容姿のことで言われるとは思っていなかったよ。私は自分の見た目を可愛いとは思ったことはない。それでもストレート過ぎる中傷にグサグサと心がやられた。
「アルビノの現状を伝えたい」と覚悟を持ち、顔と本名を明らかにした意味とはなんだったのか。「可愛すぎるアルビノ」などと名乗り、タレントとして世に出たわけでもないのに。身を切るような思いで語ったにもかかわらず、こんな仕打ちはないじゃないか……。
その夜は、ずっと「ブスブスブス…」と「ブス」が頭の中で共鳴して、涙で枕を濡らした。
そもそも、「アルビノなのにブスじゃん」とはどういうつもりなんだ!
どうも「アルビノ=きれい」というイメージが膨らんでいるような気がする。白い髪や肌、青い瞳が神秘的なイメージを抱かせるからだろうか。アニメやドラマでも髪が真っ白なキャラがたまに登場するが、だいたい可愛い。白人に憧れる人が少なくないことも関係しているのかなとも思う。
でも「アルビノ=きれい」はイメージに過ぎない。私たちの見た目で特徴的なのは「色」でしかなくて、顔の造形やスタイルは、ほかの日本人と変わらない。
もちろん容姿が整ったアルビノ当事者もいる。アルビノを武器に、モデルをしている女性も知っている。でも、私のように容姿やスタイルが整っていないアルビノだっているよ。アルビノ全員がきれいなわけじゃない。
「アルビノ=きれい」というイメージに、私はプレッシャーを感じる。そりゃ、私だって「きれい」って言われたいけれども。
「アルビノ=きれい」と同様に、ネット上にはアルビノについての誤ったイメージや情報がある。
「短命」「病弱」「陽にまったく当たれない」などだ。中には、「可哀想な人たち」と決めつける人もいる。
私は中学入学時にはヤンキーや、外国人と間違われた。私は言われたことはないけれど、他の当事者は「特殊能力」が使えるかどうか聞かれたことがあるそうだ。何だそりゃ……。
「アルビノ=白い髪に白い肌、青い瞳」のイメージが強いと思う。だけど、実際はかなり個人差がある。
例えば、アルビノ・エンターテイナーとして活動する粕谷幸司さんという男性がいる。真っ白な髪に青い瞳の持ち主だ。JICA(国際協力機構)に勤務する伊藤大介さんは一見、おしゃれで染めていると思わせるような茶髪だ。
アルビノは見た目の症状で注目されがちだ。一方、弱視を伴う人も多いため、視力で困っているという人もいることを知っておいてほしい。
アルビノは2万人に1人という珍しい疾患ということもあり、イメージが先行してしまうことは致し方ないとも思う。けれど、年齢や性別、育った環境、症状の現れ方によって、自身のアルビノへの受け止め方も、困りごとも違う。アルビノに関心を持った人には、正しい情報を知ってほしいし、届けたいと思っている。
さて、ブスの話題に戻します。
「ブス」という言葉は攻撃だと思う。顔も名前もわからない見ず知らずの人から言われるのは怖いし、傷つく。私だって、メイクやファッションで容姿に気を遣う、他の20代女子たちと変わりはない。他の女子も「ブス」って言われたらきっと傷つくよ。自己肯定感が下がっちゃうよ。
現代社会は、外見至上主義だと思う。これは、アルビノを抜きに考えても生きづらい。異性にもてるとか、人に優しくされるとか、「可愛い子が得をする」場面を、学生時代も社会人になってからも、間近で見てきた。私も「二重で目が大きければ」「痩せていて、すらっとした脚だったら……」と思っていたこともある。
確かに、人を測る上で容姿のウエイトは高い。でも、外見ばかりで人を測るのはあまりにももったいなさ過ぎる。元から容姿が整っている人や、きれいになろうと頑張る人だけが素晴らしいのではない。容姿以外のことで頑張りたい人だっているんだ。
スマホの写真フォルダを見ると、自分の笑顔の写真があふれている。その写真を見返すだけで、あの楽しい時間に戻れるような気がして楽しい。だから、自分の笑った表情が好きだ。今のところは整形する予定もないし、できればもう少し痩せたいけれど、いっぱい食べる自分も好きだ。
容姿を褒められることは嬉しいけれど、私は内面で褒められたい。褒められたら飛んで喜ぶ。今の容姿のままで周りの人たちから愛されたいし、多分、愛されていると、思う。
「ブス」と書き込まれた当時は、真に受けて傷ついた。今の私だったら「そんなことを書くなよ、おい!」とツッコミを入れてやりたい。
とまぁ、強気には言ってみたけど、やっぱり傷つくと思うから、「ブス」と言うのはやめてほしいな。よろしくお願いします。
【外見に症状がある人たちの物語を書籍化!】
アルビノや顔の変形、アザ、マヒ……。外見に症状がある人たちの人生を追いかけた「この顔と生きるということ」。神原由佳さんの歩みについても取り上げられています。当事者がジロジロ見られ、学校や恋愛、就職で苦労する「見た目問題」を描き、向き合い方を考える内容です。
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