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感動

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ありがとう高橋大輔 世界一のステップ、ファンは世界中追いかけた

全日本選手権男子フリーで演技をする高橋大輔=12月22日、遠藤啓生撮影
全日本選手権男子フリーで演技をする高橋大輔=12月22日、遠藤啓生撮影 出典: 朝日新聞

目次

フィギュアスケートの全日本選手権は22日、東京・国立代々木競技場で幕を閉じた。年明けからアイスダンス転向を表明している33歳の高橋大輔選手(関大ク)は男子シングルでラストダンスを舞った。総合12位。だが、会場からは万雷の拍手、そして「大ちゃんコール」が鳴り響いた。ファンはその姿を追って世界中を行脚。日本のフィギュアスケート界に大きな功績を残した高橋選手の軌跡を振り返る。

SPで演技する高橋大輔=2012年12月、飯塚晋一撮影
SPで演技する高橋大輔=2012年12月、飯塚晋一撮影 出典: 朝日新聞

日本男子初を成し遂げた「レジェンド」

「高橋大輔」。唯一無二の存在である彼がフィギュアスケート界に刻んできた歴史は多大なものだ。

2002年世界ジュニア選手権優勝、2010年バンクーバー五輪銅メダル、同年世界選手権優勝、2012年グランプリファイナル優勝など、日本男子として初めてのことを幾つも成し遂げた。

高橋選手が日本のフィギュアスケート界のレベルを引き上げたのは間違いない。

高橋選手がシニアに出始めたときは、2010年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央さんや元世界女王の安藤美姫さんら女子が注目されていた時代だった。そこから男子の人気に火をつけたのが彼だ。

「成績を出さないと取り上げてもらえないというのは、間近で女子を見ていて感じていました。そういった思いがあったからこそ、頑張れた。こんな時代が来るとは、僕がスケートを始めた時には感じられなかったので、すごくいい時代にスケートに出会えてよかった。これがまだまだ続いていくことを願っていくだけ。『若い人たち、頑張れよ』って、『もっと盛り上げてくれよ』という気持ちではいます」
12月23日、朝日新聞デジタル
全日本選手権表彰式後に記念写真に納まる総合優勝の高橋大輔(中央)、2位の織田信成(左)、3位の小塚崇彦=2009年12月
全日本選手権表彰式後に記念写真に納まる総合優勝の高橋大輔(中央)、2位の織田信成(左)、3位の小塚崇彦=2009年12月 出典: 朝日新聞

高橋選手を追いかけ追い越そうと、織田信成さん、小塚崇彦さん、町田樹さん、羽生結弦選手(ANA)、宇野昌磨選手(トヨタ自動車)らが切磋琢磨し、いまの日本の強さが築かれた。今大会出場した岡山ゆかりの島田高志郎選手(木下グループ)も「人を引きつける演技に憧れた」と成長を続けてきた。

リンク存続に向けた募金活動にも尽力した。かつて練習拠点にしていた大阪府立臨海スポーツセンターが改修費用のメドが立たず存廃の危機にさらされた際、高橋選手らが中心となって募金活動を実施。目標の1億5千万円以上を集め、昨年改修工事を終えた。そのリンクでトップスケーターを目指す子どもたちが育っている。

身体と音楽がシンクロ、唯一無二の表現者

二人三脚で歩んできた長光歌子コーチが「体が曲を奏でている」と称賛するように表現力に秀でたスケーターだ。音楽が高橋選手に合わせているのではと感じるくらい身体と曲がシンクロする。とくにステップは圧巻で、「世界一のステップ」と称され、世界中を魅了した。

クラシック、ブルース、ロック…どんな音楽がきても自分の世界観をつくりだすことができる。ヒップホップ調の「白鳥の湖」、リズム感あふれるマンボ・メドレーなど名作は数え切れない。

表現力に加えて、4回転ジャンプを積極的にプログラムに採り入れるなど技術力も高く、まさにスポーツと芸術を融合させてきたスケーターだった。

一方、何度も怪我に泣かされ、その度に立ち上がってきた。2008年秋には右膝の前十字靱帯断裂と半月板損傷という選手生命が危ぶまれる大けがを負った。約5カ月間も氷上に立てなかった。

懸命なリハビリを続け、振り付けやトレーニング、栄養管理など専門家たちが集まる「チーム高橋」のサポートを得ながら2010年バンクーバー五輪で銅メダルを獲得した。そのフリーは映画音楽から選んだバラード曲の「道」。まさに高橋選手の歩んできた道、支えてきてくれた人たちに感謝の気持ちを表現するような演技だった。

「メダルはご褒美。五輪の銅メダリストとして恥ずかしくないように、これからがんばっていきたい。これが最後じゃない。通過点の気持ち」

バンクーバー冬季五輪で銅メダルを掲げる高橋大輔=2010年2月
バンクーバー冬季五輪で銅メダルを掲げる高橋大輔=2010年2月 出典: 朝日新聞

4年ぶりの現役復帰、そしてアイスダンス挑戦

高橋選手はいつもファンを驚かせてきた。ソチ五輪6位で終えて8カ月たった2014年10月、現役引退を発表した。「気持ちとしてソチ五輪がひとつの区切りだった」と生まれ育った岡山で会見した。それから米国に留学したり、フロアダンスに挑戦したりするなどスケートから一時離れた。

そして2018年7月、突然、現役復帰を表明する。「スケートでパフォーマーとして生きていきたい」。アイスショーにも出演しながら調整を重ね、5大会ぶりとなる全日本選手権はいきなり総合2位。練習では4回転トーループも跳んで見せた。「改めて試合って、いいなって。できれば、この場所にとどまっていたい」と笑顔を見せた。

そして今年9月、年明けからアイスダンス転向を発表。2018年平昌五輪代表の村元哉中(木下グループ)とコンビを組むことになった。「新しい挑戦が始まります。さらなる高みを目指し頑張ります」

西日本選手権をけがで欠場して調整が遅れたが、今月、男子シングルとして最後の全日本選手権にのぞんだ。

表彰台に立つ(左から)2位の高橋大輔、優勝した宇野昌磨、3位の田中刑事=2018年、内田光撮影
表彰台に立つ(左から)2位の高橋大輔、優勝した宇野昌磨、3位の田中刑事=2018年、内田光撮影 出典: 朝日新聞

ファンと歩んできた高橋大輔

スターの存在は熱狂的なファンを生んだ。

「大ちゃんのためならどこへでも」。ファンは高橋選手を追って世界を行脚した。アメリカ、カナダ、イタリア、フランス、ロシア、スウェーデン、スイス、カザフスタン…。トークイベントがあれば夜行バスで大阪に出かけ、けがをすれば回復祈願で京都の神社に足を運んだ。

「気づいたら銀行口座の残高がマイナスになっていた」「五輪のため、手取りの2分の1を貯金」。どれほどの時間とお金を費やしたのか、そんなことはもう関係ないだろう。

生で見るから感じる高橋選手の圧倒的なオーラ、緊迫と白熱が入り交じる会場の雰囲気……。その一瞬に創り出される舞台をファンは共有してきた。

高橋選手には応援グッズもある。会場で掲げられる「D1SK+ バナータオル」は赤、黒、黄、白など毎年色が変わり、今年は高橋選手にぴったりな赤地に赤の文字だった。

22日夜、ファンはそのバナーを握りしめ、高橋選手のシングルのラストダンスを目に焼き付けた。

そして演技を終えた高橋選手を拍手とスタンディングオベーションで迎えた。会場には「ありがとう」「大ちゃん」のかけ声と手拍子が鳴り響いた。

応援を続けてくれたファンに向けて高橋選手はこう振り返っている。

「あんな演技でも温かい拍手、声援とか拍手を送って下さって。今日まであんまり『シングル最後』っていうのは自分にとって大きなものではなかったんですけど、あんな演技でも温かい拍手を頂けて、『あー、本当にシングル引退なんだな』って実感がわいて。しゃべっていると、ちょっと、うるっとしてしまうんですけど……、でも、こういう場から、次に向かえることは本当に僕自身、幸せ者だなっていうふうに感じています」
12月23日朝日新聞デジタル

次の舞台はアイスダンスだ。3年後の北京五輪を目指すという。また新しい歴史を紡ぎ出そうとしている。

ラストダンスの続きがこれから始まる。

男子シングルの最後の演技を終えた高橋大輔=12月22日、恵原弘太郎撮影
男子シングルの最後の演技を終えた高橋大輔=12月22日、恵原弘太郎撮影 出典: 朝日新聞

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