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片岡鶴太郎さん、なぜヨガを? 自由すぎる「セカンドキャリア論」

俳優、画家、ヨガと活動の幅を広げる片岡鶴太郎さん=瀬戸口翼撮影
俳優、画家、ヨガと活動の幅を広げる片岡鶴太郎さん=瀬戸口翼撮影 出典: 朝日新聞

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一般に会社を退職後、異業種に就く第二の人生を「セカンドキャリア」と呼ぶ。年齢を重ねるほど不安や苦手意識が強くなりそうなものだが、この人を前にするとそんな気持ちは無意味に感じてならない。お笑い芸人で俳優の片岡鶴太郎さん(64)だ。80年代のバラエティー番組で人気芸人の仲間入りを果たし、俳優業にシフトしてからは多くのドラマや映画に出演。近年では、インド政府公認の「プロフェッショナルヨガ検定・インストラクター」に合格するなど、常に見る者を驚かせ続けている。そのほかにも歌手・画家・書家・プロボクサーといった肩書を持つ彼には、一体どんなルーツや信念があるのだろうか? 働き方や生活スタイルが多様化する時代、「セカンドキャリア」への心構えを本人に聞いた。(ライター・鈴木旭)

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「凝る性分」中学生から

――これまであらゆる分野で高い評価を受けていらっしゃいます。その都度、興味があることに打ち込む性分は子どもの頃からですか?

今振り返って、自分が凝る性分だなと思い当たるのは中学生のときですかね。「勉強しろ」と口うるさくない親だったのもあるんですけど、額面どおりやらずにいたら、中3のときには成績がビリッケツになっていて。先生から進路を聞かれて「都立高校に行きたい」と伝えても「ムリだ」って言われるような状態。それを母親に話したら「うちは貧しいから私立の月謝は払えない」と返されたんです。

当時から芸人になりたかったんですけど、売れたときに格好がつかないなと思って(苦笑)。そこで初めて危機感ってものを覚えましたね。それから、書店で小5~中3までの国語・数学・英語の問題集と参考書を買って。夏休み中、ずっと家で勉強ですよ。わかるところから、中1・中2・中3とクリアしていくと、だんだんゲーム感覚になってくる。とくに算数は「解けた!」って快感がすごくてね。気付いたら、夕方4時から12時間ぶっ通しで勉強してた日もありました。

夏休み明けのテストでは、学校で10番以内に入るぐらいになっていて。最終的に第一志望だった都立高校にも入れたんです。その頃の「やればできる」っていう体験が、今でも自分の核になってますね。

「だんだんゲーム感覚になって……」夕方4時から12時間勉強していたこともあったという
「だんだんゲーム感覚になって……」夕方4時から12時間勉強していたこともあったという 出典: 朝日新聞

――ここ最近ではヨガに熱中されています。なにがきっかけだったのでしょうか?

もともと瞑想(めいそう)をやりたかったんです。ただ、瞑想ってオウム真理教の一件もあって、「変なトコ行って洗脳されたら怖いな」っていうアレルギーもあった。安心できる先生を紹介してくれる人いないかな~と思ってたときに、「俺たちの旅」で青春スターとなり、最近では刑事ドラマや時代劇で深みのある演技を見せている秋野太作さんとドラマで共演したんです。

撮影の空き時間で「年を重ねてくとセリフ覚え悪くなりますよね」って話したら、「瞑想やるといいよ、僕はもう二十数年やってる」って返ってきたから驚いて。「ぜひ紹介してください!」と伝えて、会わせていただいたのが今の先生。そこで「瞑想っていうのは、ヨガの最終的なブロックになる」と教えていただいたのがはじまりですね。

芸人と俳優の両輪を目指して弟子入り

――10歳の頃に素人参加番組『しろうと寄席』に出演されています。自分はモノマネが得意だと感じたのはいつごろでしたか?

小学生時代から先生のマネをよくしてました。授業で先生の顔をジーッと見てると、「お前はよく聞いてるのに、なんで勉強できないんだ?」って言われたんだけど、見てるところがぜんぜん違う(笑)。人の特徴とかクセをマネして、友だちを笑わせるのがすごく好きだったんですよね。

――高校では演劇部に所属されていて、卒業後に清川虹子さんに弟子入りを志願して付き人の方から「男の付き人は採らない」と断られたそうですね。その後、声帯模写の片岡鶴八さんに弟子入りされていますが、もともとは俳優になりたかったのでしょうか?

芸人と俳優の両輪でしたね。ただ、最初から芝居でいこうとしても役者さんはいっぱいいるわけです。役をもらえないと実質無職みたいなものじゃないですか。お笑いの場合は、自分でネタをつくれば積極的に切り込んで頭角を現せる。

それで、自分はモノマネも好きだし、まずはお笑いのなかでやっていこうと思ったんです。ただ、ゆくゆくは芝居ができるようになりたいって気持ちはずっとありました。

「人の特徴とかクセをマネして、友だちを笑わせるのがすごく好きだったんですよね」
「人の特徴とかクセをマネして、友だちを笑わせるのがすごく好きだったんですよね」 出典: 朝日新聞

「四六時中、たけしさんと飲んでましたね」

――鶴太郎さんがテレビで活躍されていたのは、バラエティー全盛期でバブル時代。さまざまな番組で司会を務めたりモノマネを披露されたりするなかで、歌手としても活動されています。

やれるものなら、なんでもやりたかった。当時、自分の出てた番組の放送作家に秋元康さんがいて、ちょうど作詞の活動をはじめた頃だったんです。それで、「鶴さん歌やろう」っていう自然な流れではじまりました。

最初に出した曲は、ゴーストバスターズのパロディーで「ゴースト“ブス”ターズ」(笑)。それからいろんな曲を出させていただきました。だから、私も秋元康さんにプロデュースされた一員なんですよ。

――なるほど(笑)。同時代にブレークしたツービートとは、演芸場に出演していた頃からの知り合いだったそうですが。

芸人になって最初に影響を受けたのは、(ビート)たけしさんでしたね。まだ若手の漫才師だと(星)セントルイスが先にテレビに出たくらい。その後、ツービートがブレークする直前を間近で見てました。演芸場では私がトップバッターで出て、2番手がツービート。舞台が終わると、一緒に着替えて浅草に飲みに行く。その頃は四六時中、たけしさんと飲んでましたね。

たとえば正月に演芸場に出た後、居酒屋でテレビの『新春かくし芸大会』とか見たりして「やっぱりオレたちもこういう番組に出ないといけないなぁ」なんて将来のことを語ったりしてね。常に「どうしたら売れるだろう」ってことを話してた気がします。

「芸人になって最初に影響を受けたのは、たけしさんでしたね」
「芸人になって最初に影響を受けたのは、たけしさんでしたね」 出典: 朝日新聞

奇跡的なタイミングできた『異人たちとの夏』

――ヨガに打ち込む姿と重なるのが、ボクシングをされていた頃の鶴太郎さんです。ボクシングをはじめた理由はなんだったのでしょうか?

『ひょうきん族』でテレビの仕事をさせていただくようになってから、夜型の生活になっていったんですよ。だいたい収録が終わった後に、打ち合わせがてら焼き肉屋行ったりすし屋行ったりしてお酒を飲んで。そんな生活を続けたら、いわゆる“バラエティー仕様”のポチャっとした体になってきた。

その頃、『男女7人』(1986、87年に放送されたテレビドラマ『男女7人夏物語』『男女7人秋物語』・TBS系)でドラマにも出るってなかで、この体形では1周回ったら終わっちゃうと思ってね。いろんな役をやるには、肉体も自分自身もリセットしなきゃダメだろうと。

その一方で、子どもの頃からボクシングが好きで、いずれやりたいとは思ってたんです。ボクシングのライセンスが33歳までで、当時32歳ですから、残りの1年で取得できるラストチャンス。そこにかけたっていうのもあります。

――ちょうど1988年公開の映画『異人たちとの夏』に主人公の父親役で出演された時期と重なっています。

大林(宣彦)監督は、その映画を撮る10年前、「未来劇場」という劇団で芝居してる私を見てくださってたみたいで。私が24~25歳の頃なんですけど、劇団の主宰者に「あの子の江戸弁すごいね」っていうことをおっしゃってくれてたようです。

それと私の役は、ランニングシャツ姿の似合うすし職人。しっかりと職人の筋肉を持っている人っていうイメージが大林監督のなかにあったみたいなんですよ。だから、私がボクシングをはじめて体を絞ってなかったら声もかからなかったと思います。すべてがその役に結集したって感じがしましたね。

――たしかに奇跡的なタイミングですね。38歳から絵を描かれるようになったのは?

タモリさんがある番組のプロデューサーの似顔絵を描いたときがあったんですよ。これがすごく面白いしうまいしでね。もう尊敬しちゃうくらいに。その少し後なんですけど、当時私は世田谷に住んでましてね。隣の家にツバキがあって、それを見たときにえらく感動して「このツバキを描ける人になりたい」って思いがひそかに湧き上がったんです。だから、ちょうど絵を描くきっかけが重なったんですよね。

片岡鶴太郎さんの作品「女川賛歌」=2016年12月23日、女川町女川浜
片岡鶴太郎さんの作品「女川賛歌」=2016年12月23日、女川町女川浜 出典: 朝日新聞

同世代の芸人・関根勤「わりと対極的だった」

――今月、2日間に渡って開催される「鶴やしき」が控えています。2日目の「ちょっちゅね団子」は関根勤さんをゲストに招いてのトークイベントですが、意外にも今まであまり共演する機会がなかったそうですね。

モノマネという共通点がありながら、接点があまりなくてね。『ひょうきん族』は関根さんが出てないし、『笑っていいとも!』も出演してた曜日が違うんです。モネマネ番組の審査員も、向こうが日テレで私はフジ系。わりと対極的だったんですよ。

お互い60代中盤。そろそろ一緒にできないかなと思ってね。関根さんって芸能界ではかなりのベテランなんだけど、手あかのついた感じがしないでしょ? いい意味でのアマチュアイズムみたいなものを持っていて、そこが大好きなんですよ。とても魅力的な方なので、一度じっくりといろんなことを聞いてみたいと思ったんです。

――来年1月には、三谷幸喜原作のコメディ「罪のない嘘」がスタートします。

三谷幸喜さん脚本での芝居は初めてなんですけど、改めて素晴らしい本だなと思いましたね。あっちこっちにいきながらも、最終的にはうまくまとまっていて。舞台では、ほとんど(佐藤)B作さんとの会話になるので、そこを稽古でどう面白く味付けしていくか。そのへんを楽しみにしてますね。

「向こうが日テレで私はフジ系。わりと対極的だったんですよ」
「向こうが日テレで私はフジ系。わりと対極的だったんですよ」 出典: 朝日新聞

出会いをいかして「今やりたいことを精いっぱいやる」

――常に新しいことにチャレンジされていますが、それまでとは違う世界と向き合う際に大切なことはなんだと感じますか?

私の場合は出会いも大きい。今で言えばヨガの先生だったり、ボクシングでは鬼塚(勝也)選手や畑山(隆則)選手だったり。その最初が『しろうと寄席』で当時ADをしていて、後に『ひょうきん族』『笑っていいとも!』のプロデューサーになる横澤(彪)さんでした。本当にその折々で「この方でなければならない」という出会いをいただいている気がしますね。

それから、私は「今、これをやってみたい」と思ったらすぐに着手する。ちゅうちょしないし、迷ったりしませんね。やってみて「これ違うな」と思ったらやめればいいわけでね。はじめてからわかることもあるし、とりあえずやってみることが大事じゃないですかね。

――すると、「第二の人生をどうするか」といった考え方そのものを持ったことがないと。

あんまりないですね。とにかく今やりたいことを精いっぱいやる。そこから次の展開が出てくるんです。絵を描くにも、グリーンつけようと思って色を入れたら「あ、次はブルーだな」っていうのが出てくる。なにもやらないと、そういうヒラメキがこないんですよ。

先のことは今やってることの最中か、それをやり終えた後に出てくると思ってます。その積み重ねでいいんじゃないですかね。

「はじめてからわかることもあるし、とりあえずやってみることが大事じゃないですかね」
「はじめてからわかることもあるし、とりあえずやってみることが大事じゃないですかね」 出典: 朝日新聞

取材を終えて

「天職」という言葉は、生まれ持った性質に合った職業のことを指す。そこから連想されるのは、基本的に一つの職業だろう。鶴太郎さんの話を聞いて、「セカンドキャリア」という概念もその延長線上にあるのではないかと感じた。

第二の人生に淡い期待を寄せながら、イメージと現実とのギャップに苦しむ人は少なくない。しかし、そもそも人生に第一も第二もあるだろうか? 真実は、生まれてから亡くなるまで日常が続くだけだ。その退屈さを埋めるには、ちょっとした気づきに率先して行動することしかない。動かなければ新たな出会いもないのだ。

最初は興味がなくても、きっかけで飛び込めばいい。どんなに手あかのついたものでも、夢中になって磨けば特別な光りを放つかもしれない。気が向かなければやめればいい。余計な固定観念を持たず、まずは目の前のことに夢中になること。その先に結果として豊かな「セカンドキャリア」がある……鶴太郎さんは、それを地で行く人ではないだろうか。

 
     ◇
 
片岡鶴太郎(かたおか・つるたろう)1954年生まれ、東京都出身。73年、声帯模写の片岡鶴八に弟子入り。その後、『オレたちひょうきん族』『オールナイトフジ』など80年代のバラエティー番組で活躍。俳優として映画『異人たちとの夏』で第12回日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞など多くの賞を受賞。書家として第10回手島右卿賞を受賞。近年ではヨガによるストイックな肉体で話題になるなど常に見る者を魅了している。12月18日には関根勤さんとの公演『ちょっちゅね団子』を予定。来年1月からは三谷幸喜さん作の舞台「アパッチ砦の攻防」に出演。詳細は公式サイト(https://www.tsuminonaiuso.com/)へ。
 
     ◇
 
ライター・すずきあきら フリーランスの編集/ライター。元バンドマン、放送作家くずれ。エンタメ全般が好き。特にお笑い芸人をリスペクトしている。個人サイト「不滅のライティング・ブルース」更新中(http://s-akira.jp/

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