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「GLAY」TERUが語った「民主主義」 25年「解散しないバンド」の未来

GLAYのTERUさん=東京都港区、村上健撮影
GLAYのTERUさん=東京都港区、村上健撮影

目次

メジャーデビュー25周年を迎えたロックバンドGLAY。ビジュアル系ブームの中で登場し、「HOWEVER」などミリオンヒットを連発した彼らは、20万人ライブで歴史に名を刻みました。原盤権を買い取り事務所を独立、自らの音楽を自分たちの手で自由に流通させられる環境を作った一方、最近では「元号」「戦禍の子」などメッセージ性の強い曲も発表しています。そんな4人が、25年間、解散せずに続けられた理由とは? 「バンドって民主主義だと思う」というテーマを掲げたわけは? ボーカルのTERUさんに、バンドの「これまで」と「これから」について聞きました。(朝日新聞文化くらし報道部記者・坂本真子)

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「良いGLAY」「悪いGLAY」

今年8月、メットライフドームで2日間、GLAYの25周年記念ライブがありました。

1日目は「良いGLAY」、2日目は「悪いGLAY」というテーマで、内容を変えての開催。2日目は、メンバーが登場したと思ったら違う人だったり、同じ曲を3度演奏したり、ファン投票で最下位だった曲を披露したり……と、いたずら心にあふれた内容で、見ていて何度も笑ってしまいました。

「悪いGLAYというか、ふざけるGLAYですよね。少年のように楽しんでいるっていう」とTERUさんは笑顔で振り返りました。

「終わった後でJIROが『自分たちが一番楽しんだライブだった』と言っていましたが、まさしく、自分たちが一番楽しめるライブを作ることを考えながらやってきたからこそ、こうして25年間続けてこられたんだと思います」

GLAYのTERUさん=東京都港区、村上健撮影
GLAYのTERUさん=東京都港区、村上健撮影

JIROさん、HISASHIさんの役割

4人で意見を出し合い、話し合ってバンドを進めてきたGLAY。ライブについても、デビュー10周年を過ぎた頃からは全て自分たちで内容を決めてきました。

ベースのJIROさんがいつもセットリストを考え、最近はギターのHISASHIさんが演出することも増えたそうです。

「JIROは、SNSやライブのアンケートからファンの声を反映してくれるし、過去何年間でこの曲を何回やったとか、アリーナツアーでこの曲をやったから次はこれをやろうとか、データに基づいて理にかなったセットリストを作ってくれるんです。ファンの声を一番よくわかっているので」とTERUさん。

JIROさんとHISASHIさんの作品はとがった曲調のものが多く、HISASHIさんはアニメやサブカルチャーに詳しいことでも知られています。2人の存在がGLAYの音楽性や表現の幅を広げ、ファン層も広げる役割を果たしてきました。

札幌ドームのグラウンドで演奏を披露するGLAYのメンバー=2016年5月5日、白井伸洋撮影
札幌ドームのグラウンドで演奏を披露するGLAYのメンバー=2016年5月5日、白井伸洋撮影

「バンドって民主主義だと思う」

今年の元日、GLAYは「バンドって民主主義だと思う」という文書を発表しました。

「一人一人の意見をちゃんと聞いて、活動に反映していくのが昔ながらのGLAYのやり方。デモクラシーは自分たちの今の姿を表している言葉で、25周年のテーマとして掲げました。JIROがファンの声を吸い取ってGLAYに反映していくのはまさに民主主義だし、スタッフとの関係もそうです」

一方、10月に出した15枚目のアルバムのタイトルは「NO DEMOCRACY」。

これはリーダーでギターのTAKUROさんの提案で、「外に一歩出ると民主主義がまだ確立されておらず、戦争や宗教問題など民主主義とはほど遠い現実がある」ことから名付けたそうです。

GLAYのアルバム「NO DEMOCRACY」

メッセージ性を持つ作品も収録

新作には、「JUST FINE」「COLORS」など明るくビートが利いたGLAYの「王道」といえる曲もあれば、「元号」「戦禍の子」といったメッセージ性を持つ作品も収録されています。

「元号が変わり、時代が変わる瞬間に僕らは今ここに立っていて、また新たな道を歩んでいくという、強いメッセージを感じられるアルバムになったのでは、と思います。TAKUROの思いをTAKUROが歌うと、よりリアリティーが出るでしょうけど、TAKUROの言葉を僕が歌うことによって、僕の思いも重なるので、いろんな意味にとらえられる広がりが出てくると思うんです。自分で『愛してる』と書いた詞を歌うのはすごく恥ずかしいけど、TAKUROが書く『愛してる』は素直に歌えたりするので、すごく強い言葉でも、僕が歌うことによって、もっと優しく包み込むような言葉になったら、と考えながら歌っています」

「民主主義」という言葉を聞いて、驚いたファンもいたでしょう。日本では、音楽に「社会派」ととらえられるメッセージ性を持たせることを避ける風潮があります。その中であえて「バンドって民主主義だと思う」と主張し、アルバム名を「NO DEMOCRACY」にしたのは、25周年の節目を迎えるバンドとしての責任のようなものを、TAKUROさんが感じていたからかもしれません。

GLAYのTAKUROさん=村上健撮影
GLAYのTAKUROさん=村上健撮影

「一番は、函館で鳴るGLAYのサウンド」

新アルバムは、GLAYとして「覚悟」を決めた作品でもあります。

「僕らは今までもファンに『僕らは解散しないバンドだ』と伝えてきていますけど、4人の中でもあまり未来について積極的に話さないJIROが、今回のメットライフドームでのライブで初めて『僕らは解散しないバンドとして20年やっていきたい』と言ったんです。今回、25周年という一つのスタートラインに立ってリリースする新アルバムで、僕らはこれからGLAYとして真っすぐ生きていきます、という覚悟を決めて、その決意表明をしたと思いますね」

新作の中でTERUさんが書いた曲の一つが「はじまりのうた」。

「選んだ道を振り返らずそう/今日も行く」と未来へ向かう気持ちを歌ったTERUさんは、昨年、故郷の北海道・函館に新しい音楽スタジオを建設しました。歌の録音に最も適した機材や構造を採用。新作はここに宿泊して、函館の海を見ながら録音しました。

「自分の音楽はどこで響いたら一番感動するだろうか、一番グッとくるだろうかと考えて、やっぱり函館で鳴るGLAYのサウンドだと思ったので、自分の歌を最高にいい状態で録音できるスタジオを作りました。今回初めてここでレコーディングして、『はじまりのうた』というタイトルを付けたのは、ここから俺の第二の人生が始まるんだ、という思いからです。音楽で次の10年、20年を歩んでいくために覚悟を決めた瞬間でした」

地元函館に飾られたGLAYのレリーフ=函館市本町
地元函館に飾られたGLAYのレリーフ=函館市本町

音楽に飽きないためのバランス

新作のTERUさんの歌声は、いつにも増して伸びやかでつやがあるように感じられます。発声は変えていないそうですが、環境が変わった影響かもしれません。

「宿泊したので、起きてすぐに裸足やパジャマのまま歌ったこともあります。仕事として歌うんじゃなく、生活の一部として歌える環境を作りたかった。それが自分の中では大切なことだと思うので」

普段のTERUさんは決して音楽漬けではなく、音楽と個人の生活が同じぐらいのバランスがちょうどいいそうです。

例えば、ツアー中はいつもGLAYの曲を聴いていますが、休みに入ると音楽を一切聴かない日もあるとか。

「オンオフがあって、音楽に関わっていない時間が長ければ長いほど、スタジオに入った瞬間が楽しくなる。音楽に飽きないためにも、バランスは大事にしてきたいと思いますね」

5万人を集めた地元凱旋ライブ。手を振って声援を送る観客ら=2018年8月25日、北海道函館市、白井伸洋撮影
5万人を集めた地元凱旋ライブ。手を振って声援を送る観客ら=2018年8月25日、北海道函館市、白井伸洋撮影

事務所設立「ファンが支えてくれた」

GLAYの25年間には、激動の時期もありました。

自分たちで事務所を作って独立し、楽曲の原盤権など全ての権利を買い取ったことが大きかったと、TERUさんは言います。

「あのとき、ファンが最初に理解してくれて、支えてくれました。その時期からGLAYとファンとの関わり方も変わっていったし、ステージからの発し方も変わったと思います。ファンという塊じゃなく、個々に向けて届けられるようになってきたんじゃないですか」

原盤権などの権利を買い取ったことで、GLAYは自分たちの音楽を好きなように流通させることができるようになりました。

例えば、音楽配信のストリーミングサービスで直接リスナーに音楽を提供することが可能になり、そのタイミングや提供先も自由に選ぶことができます。原盤権をめぐって、海外では過去にプリンスがレコード会社と対立し、最終的に獲得しました。最近はテイラー・スウィフトが争っています。

氷室京介さんから衝撃の言葉

ファンクラブ会員向けの有料サイトも、ファンとの距離感を変えました。

「ファンの言葉がダイレクトに届く関係になってきて、毎日コミュニケーションをとれて、ファンの日常が見える場所なんですよ。俺が毎日更新して、朝あいさつすると、『これから仕事に行ってきます』と返事が来たりとか。みんなも頑張っているから俺も頑張ろうと思うし、人と人のつながりで生まれるものが原動力になっています」

「2006年に氷室京介さんと一緒に東京スタジアムに立たせてもらって、すごく背中を押してもらって、これで正しかったんだと思わせてもらいました。周りの友人や先輩、スタッフ、そしてファンにも支えられて、25年やってこられたんだなぁ、と思いますね」

TAKUROさんは前にインタビューで「氷室さんとセッションしたときがピーク。今はもう余生です」と話していました。

同じときにTERUさんは、大きな刺激を受けたそうです。

「あのとき氷室さんは50歳。次の世代と一緒にステージに立ってくれたことをしっかり受け継いで、僕らが50になったら次の世代のミュージシャンを応援できる存在になりたいという目標をもらいました」

さらに、衝撃的な言葉も。

「東京スタジアムの2日間が終わって、氷室さんの楽屋に行ったときに『ビートはもうおまえらに任せた』と言われて、体が震えました。BOØWYの『BEAT EMOTION』を聴いて僕らの『BEAT OUT』が生まれたように、日本独特のビートをどう残していくか。今はすごく意識しています。ビートの効いた楽曲をアルバムに必ず入れていきたいし、GLAY特有のサウンドをいろんな時代に残していきたいと思っています。まだまだ席は譲らないので、この4人でいろんなことに挑戦していきたいですね」

東北六魂祭で演奏するGLAYのメンバー。右はTERUさん、左がJIROさん=2014年5月25日、山形市の霞城公園
東北六魂祭で演奏するGLAYのメンバー。右はTERUさん、左がJIROさん=2014年5月25日、山形市の霞城公園

「解散しないバンド」の理由

TERUさんの話を聞きながら、GLAYが25年解散せずに続いてきた理由を改めて考えました。

4人とも函館市で育ち、年齢もほぼ同じ。TAKUROさんとボーカルのTERUさんが結成したバンドに、ギターのHISASHIさん、ベースのJIROさんが加入しました。

2013年と昨年に函館で大規模なライブイベントを開催するなど、地元への思いも強いことで知られています。お互いの意見を尊重し合い、一緒に年を重ねて、今も友達同士の4人だからこそ、25年たっても新たな挑戦を続けられるのだと思います。

これからは、ボーカリストとしてだけでなく、作詞家、及び作曲家としても成長したい、とTERUさんは笑顔で語りました。

「曲作りは短期集中型です。夏休みの宿題も最後の3日間でガッとやるタイプだったので。TAKUROは夏休みに入ったらすぐ宿題をやっちゃって、後半はゆっくりする、と言ってましたけどね。余生を楽しむ、みたいな」

     ◇

<GLAY>1988年、函館の高校生だったTAKUROさん、TERUさんを中心に結成されたロックバンド。高校卒業を機に、HISASHIさんを加えた3人で上京し、その後、JIROさんが加わった。94年、デビューシングル「RAIN」発売。現在は、来年1月まで続く25周年記念のアリーナツアーの真っ最中。詳細はサイトまで(https://www.glay.co.jp/arenatour_2019/

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