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私たちが「アフリカの貧困」記事を読もうと思うために必要なこと
数あるクラウドファンディングの中でも、「5万人の命を救う」という大きな目標を掲げたプロジェクトが進んでいます。場所はアフリカのタンザニアのさらに「へき地」。日本人になじみがあるとは言えない土地で支援を呼びかけるのは2人の若手日本人医師です。「ハードルの低い支援」を掲げる2人の言葉から、同じ人間なのに、なぜ、アフリカの貧困に関心を抱きにくいか。どうすれば無関心の壁を乗り越えられるのか。その答えを考えました。(朝日新聞記者・広部憲太郎)
タンザニアの最大都市ダルエスサラームから車で約8時間。ケニア国境に近いキリンディ県クウェディボマ地区で、妊産婦や新生児のための病院の建設が進みます。支援活動をしているのは、日本のNPO法人「あおぞら」。理事長で総合診療医の葉田甲太さん(35)は「公的病院が近くに無く、足も伸ばせない狭い場所でわらを敷いて生活しているような状態でした」と言います。
葉田さんは学生時代、カンボジアに小学校を建設。その体験をつづった本「僕たちは世界を変えることができない」が、俳優の向井理さん主演で映画化もされました。医師になった後、カンボジアで新生児を亡くした母親と出会ったのをきっかけに、18年、同国のへき地に保健センターを設立。その実績もあり、タンザニア政府や国際協力NGOワールド・ビジョンと共同で、病院建設に動きだしました。
タンザニアは医療施設へのアクセスが悪く、妊産婦10万人あたりの死亡者が398人(15年、ユニセフ調べ)。クウェディボマ地区の近隣の診療所2カ所も徒歩で2~4時間かかります。自宅分娩(ぶんべん)の習慣が残り、安全な環境が確保されていないとのことです。
私が前任地・三重県の取材先から紹介されたのが、葉田さんとともに活動する中西貴大さん(30)でした。都内で救急医として働く中西さんは、三重大学医学部の学生だった14年、大学の実習で1カ月間、タンザニアの病院で働きました。「小児科病棟は一つのベッドに、お母さんと子供が2家族分、計4人寝ているのに驚きました。整形外科だと、廊下にマットを敷いて、骨折している人が横たわっている。大都市の大学病院だったにもかかわらずです」と振り返ります。
中西さんは兵庫県出身。医師としての原点は、05年に同県尼崎市で発生し、死者107人の大惨事となったJR宝塚線(福知山線)脱線事故でした。当時高校2年生。高校の卒業生や在校生の親、担任の教え子らが亡くなりました。「映像を見ると、たくさんの人が運ばれて病院がパンクしている。身近な場所にいるのに何もできなかった。この無力感を一生背負って生きていたくない」
三重大医学部に進学。兄がフィリピンでワークキャンプに参加していたこともあり、国際貢献への関心が高まります。1年生の時、東南アジアを旅行しました。ベトナムのハノイで出会った日本の大学生が、学生団体を作ってフェアトレードに関わっているのを知り、「自分も大学生のうちから海外と関わって医療支援したい」と思うようになりました。
10年、三重大に学生団体を作り、ラオスに診療所を作る活動を始めます。イベントを開いたり、大学の学園祭や津市のお祭りに出店したりして、地道に資金を集めます。葉田さんの本を読み、交流が始まったのもこの頃です。11年、ラオスに今も続く診療所を建てました。「診療所だけで大きく変わるわけじゃない。でも、シンボルのような場所を作ることで、僕たちも継続して関わっていけると思いました」
国際貢献活動に取り組む大学生は少なくありませんが、就職すると、学生時代と同じペースで活動するのは困難です。中西さんも、そうしたケースを見てきました。6年生に進級する前の13年、思い切った行動に出ます。1年間の休学を申し出たのです。「医師になっても今までのような活動ができるか不安で、もう一度自分の夢を見つめ直そうと休学しました」
丸1年日本を離れ、世界を歩きました。ベトナム・ハノイでは世界保健機関(WHO)でインターンを務め、地域医療の現状を勉強していたフィリピン・レイテ島では大型台風で被災し、街が壊れる様子も目の当たりにしました。アフリカ諸国やインドも回りました。
「高校まで同じ集団の中で、いかにいい成績を取るかという生活だった。そんな何も持っていなかった自分がラオスに診療所を作り、世界各国の人との縁をいただいた。困っている人がいれば手を差し伸べる。そんな軸は今も変わらない」
卒業後は神奈川県や東京都の病院で働きながら、ラオスの病院で手術を経験するなど、国際医療活動を続けました。葉田さんとも連絡を密に取り、「あおぞら」の活動に関わり始めました。
昨年11月、中西さんは病院建設準備のため、4年ぶりにタンザニアを訪れました。建設予定地のクウェディボマ地区に住む16歳の少女の訴えに、衝撃を受けます。少女は数年前、母親とおなかの中にいたきょうだいを分娩中に亡くしました。中西さんや葉田さんを前に涙をこぼしながら、訴えました。
「看護師になりたい。自分と同じように悲しむ人たちを見たくない」
中西さんは言います。「『仕組みを大きく変えるには政府単位で動かさないと意味がない』と言う人もたくさんいます。でも、大きな組織で8割は変えられても、残り1、2割は現場が動かないと行き届かない。僕らが出会った16歳の少女が抱いた看護師への夢をサポートできるよう、顔が見える支援を大切にしたい」
今年8月末、横浜市で第7回アフリカ開発会議(TICAD7)が開かれました。企業進出が進むアフリカは、援助から投資の対象に軸足が移っているとの見方もあります。しかし、中西さんは「以前と比べ、都心部は大きなビルが目立つようになった。でも、地方に向かう道は全く舗装されておらず、窮状は全く変わっていない」と言います。
WHOなどのリポートによると、世界では年間30万3千人の妊産婦が亡くなっていますが、66%にあたる20万1千人は、タンザニアを含むサハラ以南のアフリカ各国での死者です。
私はアフリカについて取材した経験はほとんどありません。30歳の中西さんに「同世代の若い人は、アフリカにどのくらい関心があるのか」と尋ねました。中西さんは「関心が低いというより、分からないというのが本当のところだと思う。肌の色も文化も違う。物理的に距離があると、感覚的にも存在が遠くなるのは分かります」と言います。
今夏、横浜でTICADが開催され、関連報道は多くありましたが、世間一般で話題になったとは言えません。日本メディアもアフリカに駐在記者を置き、懸命に現地のルポを伝えています。ただ、50カ国以上もあるアフリカ全域をカバーするのは難しいのが現状です。
少しでも関心を高める道筋はないのか。私は、中西さんの「日本の地域医療と途上国の医療はリンクしている」という言葉にヒントがある気がしました。私が今年5月まで赴任した三重県の山間地や漁村は極端に高齢化率が高く、医療施設が離れた場所にしかないというケースを目の当たりにしました。
日本とアフリカの現状は一見真逆ですが、必要な人に必要な医療が届きにくいという点は共通しているのではないでしょうか。中西さんも将来、大学時代を過ごした三重県に戻り、地域医療を良くしたいという希望を持っています。まず日本の現状に思いを寄せれば、海外の窮状も「自分ごと」として関心が向くかもしれません。
中西さんは「現地に行くだけが正解じゃない」と言います。「クラウドファンディングに参加したり、支援を訴えるパンフレット作りを手伝ったりするだけでも、アフリカとつながると思います。一生タンザニアに行くことはないかもしれません。でも、僕らの活動を通じて、現地の景色や温度感を知ってもらい、身近な国だと思ってもらえたら、すごくうれしい。できるだけ支援のハードルを低くして、多くの人に参加してもらえたらと願っています」
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