感動
かなわなかった末期がんの願い スナメリ「大ちゃん」の海岸へ
「大ちゃん」と名付け、声をかけてかわいがったスナメリにもう一度会いたい。「近代捕鯨のまち」として知られる下関の関門海峡で、がんを患いながら、スナメリに愛情を注いだ女性がいました。病が進む中、女性はスナメリのために「最期の仕事」に取りかかります。女性の思いを、今、家族が引き継ごうとしています。(朝日新聞下関支局記者・山田菜の花)
関門海峡を右に眺めつつ、JR下関駅(山口県下関市)から国道9号を北東に進み、長府地区にさしかかると、海側の丘の上に突如、クジラを模した不思議な建物が現れた。旧下関市立水族館の鯨館だ。「近代捕鯨のまち」下関の栄華を伝える遺構である。
急坂を越えて鯨館のふもとに出ると、三軒屋海岸と呼ばれる小さな浜が広がる。竹下美由姫さん(37)はこの浜のそばで育った。母親の上崎(じょうざき)美代子さんは特に、関門海峡が一望できる景色が好きで、折に触れては漂着物の清掃をした。
「あら、あれ何?」。2005年ごろ、いつものように海岸の掃除をしていた美代子さんは、海面が違うことに気付いた。灰色の肌がキラキラ光って見えた。小型の鯨類の一種、スナメリだった。関門海峡を含む瀬戸内海には野生のスナメリが7千~9千頭ほど生息しているという。
丸い頭に愛らしい口元。美代子さんはスナメリに恋をした。病院事務の仕事を終えた午後、毎日海岸に通って観察日時や頭数などを細かく書き留め始めた。干潮時には浜から5メートルほどまで近寄ってくる。観察を続けるうちに一頭ずつ見分けられるようになり、名前をつけた。体の大きい子は「大ちゃん」。春に生まれた子は「はるちゃん」。声をかけてかわいがった。
一人娘の竹下さんも、仕事が休みの日は一緒に観察するようになった。竹下さんが一眼レフをプレゼントすると、美代子さんの活動はさらに熱が入った。ボラを捕ったり潮を吹いたりする貴重な姿を活写。浜を訪れた人たちにはその写真を見せながら生態を解説した。美代子さんとスナメリがいる浜は交流の場になっていった。
「体調が悪いんよね」。16年暮れ、美代子さんが体のだるさを訴えた。竹下さんが病院に連れて行くと、かなり進行した膵臓(すいぞう)がんだと分かった。手術はできないと告げられた。
残された時間はあと半年。「スナメリの本を作りたい」。美代子さんは撮りためた数千枚の写真からお気に入りのカットを選び、竹下さんが5冊のフォトブックに仕上げた。浜のすぐ近くにある病院に入院してからも、窓から関門海峡を眺め、スナメリを捜した。見つけるとうれしそうに「今日は会いに来てくれたんよ」と話した。
17年3月19日、いったん退院した美代子さんは浜を訪れた。「見に行く」にかけて自身が定めた「スナメリの日」。竹下さんや友人とくす玉を割って記念日を祝った。直後に再入院。「また海岸に行きたいな」。美代子さんの願いはかなわなかった。4月29日、62歳で息を引き取った。
竹下さんは結婚を機に市内の別の場所で暮らしている。仕事帰りに海岸そばの実家へ寄り、美代子さんの愛猫2匹にエサをあげ、13年ほどに及ぶスナメリの観察記録や写真を整理する毎日だ。天気が良ければ必ず浜にも出向く。時折、東側からスナメリたちが泳いできて、プカリと顔を出す。「お母さんが呼んでくれたんだね」。胸の内でそっと語りかける。
竹下さんには新たな目標ができた。実家を改装してカフェを開こうと、休日を充てて夫とDIYに取り組む。一角には、美代子さんが撮ったスナメリの写真などを飾るつもりだ。「母が残した足跡を多くの人に知ってもらえる場にしたい」
三軒屋海岸にはいま、スナメリの観察場所を示す看板が立てられている。美代子さんの観察記録を元に作られたという。
野生の鯨類に出会える街。看板は、下関の魅力を掘り起こして逝った一人の女性の思いを静かに伝えている。
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