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<金正男暗殺を追う>ミスターYは言った「あれが雇った俳優だ」
「いたずら番組の撮影」と称して金正男(キム・ジョンナム)氏に毒を塗ったとされるベトナム人のドアン・ティ・フォンさん(31)は、正男氏のことを「番組が仕込んだ俳優」だと思い込んでいた。カメラマン役の男から「俳優」だと言い聞かせられていたからで、その思い込みが「いたずら」成功の決め手になっていた。(朝日新聞国際報道部記者・乗京真知)
事件前日の2017年2月12日午後、フォンは空港のそばにあるホテルにチェックインした。ホテルの外壁はオレンジと白のペンキで塗られていて、よく目立った。宿泊料金は1泊2千円ほどと手頃だった。
捜査資料によると、フォンはホテルにチェックインした後、ロビーでハサミを借りた。自室に戻って鏡を見ながら、茶髪を肩までの長さに切りそろえた。フォンは「新しいヘアスタイルにして、かわいく写りたかった」という。カメラマン役のミスターYからは「13日の撮影はとても重要で、ユーチューブに投稿する」と予告されていた。
手持ちの美容器具で、毛先をカールさせたり、側頭部にウェーブを付けたりした。髪全体にふんわりとしたボリュームが生まれ、活発な印象に仕上がった。カメラ写りを確かめるように、携帯電話で何回も自撮りした。
事件当日の13日朝、フォンは入念に化粧し、お気に入りの白い長袖シャツと青いスカートを着てホテルを出た。配車アプリのウーバーを使って空港へ向かった。
空港に着いたら、まずやらなければいけないことがあった。それは、帰りのタクシーの乗車券を買っておくことだった。いたずら撮影が終わったら、すぐに現場を離れられるように、カメラマン役のミスターYから乗車券の購入を指示されていた。フォンはミスターYの言いつけ通り、乗車券を買ってから、待ち合わせ場所の出発ホールに移動した。
ミスターYは、捜査当局が「北朝鮮の工作員」とみる犯行グループの1人だ。
出発ホールでミスターYと落ち合った。ミスターYは、撮影地点となる出発ホール中央の自動チェックイン機前にフォンを連れて行き、撮影の手順を語り始めた。「今回は見栄えのいい動画を撮るために俳優を雇った」「あとで男性が現れるが、それは我々が雇った俳優だ」「その俳優が現れたら、撮影を始める」
つまり、今回のいたずらの相手は、通りかかった旅行客ではなく、番組が仕込んだ俳優という説明だった。俳優が現れたら、これまでの撮影と同じように、後ろから忍び寄って顔に液体を塗りつけ、立ち去ればいい。
2人は俳優が現れるのを、じっと待った。約20分後、それらしき人影が出発ホールに入ってきた。ミスターYは、あれが俳優だとフォンに知らせた。おなかを突き出して、ゆったりと歩く影。ミスターYが言う俳優とは、実のところ、正男氏のことだった。
ミスターYはなぜ、正男氏のことを「俳優」と呼んだのか。ミスターYは、フォンが過去の撮影で一般人への「いたずら」をためらうことがあったため、「俳優を雇った」と説明することで、遠慮なく「いたずら」を実行させる狙いがあったとみられる。
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【ウーバー】捜査資料によると、フォンは移動の際、配車アプリのウーバーを多用していた。事件当日の朝も、ホテルから空港にウーバーで向かった。事件2日後に逮捕された際も、ウーバーの到着を待っていたところだった。一般に犯罪者は移動の痕跡が残ることを嫌うが、フォンは乗り降りの記録が残ることを気にしていなかったようだ。
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