IT・科学
声を失う……その時、一番恐れたこと 難病患者が伝える言葉の価値

失わないと実感しにくい、声の役割。常にその可能性と隣り合わせのある難病の患者と、テクノロジーで患者をサポートする研究者に「声を失う」ことについて話を聞きました。
「好きだよ」と他人に代わりに伝えてもらう?
『WITH ALS』代表の武藤将胤(まさたね)さんは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病の患者です。ALSは、知性や感覚はそのままに、運動能力が衰えていく病気。症状が進行するにつれ、手足が動かなくなります。やがて呼吸もできなくなるため、延命治療には人工呼吸器が必要です。武藤さんも人工呼吸器をつけるための気管切開手術を受けています。
日本では2013年の調査時点で、約9,200人がこの病気を患っています。原因は不明で、病気の進行を抑える薬・症状を和らげる薬はありますが、特効薬はまだ、ありません。人工呼吸器を使わない場合、病気になってから亡くなるまでの期間はおおよそ2~5年とされています。人工呼吸器は命を救う重要な選択肢ですが、デメリットもあります。
その一つが「声を失う可能性」です。ALSにはもともと、声を出す機能が衰える症状があります。さらに、人工呼吸器をつけるための気管切開手術によって、空気の通り道に穴が空くことでも、声を出せなくなります。つまり、命を救うための選択が、声を出せなくなるデメリットと引き換えになっていたのです。「今でもそう思っている患者さんは多いです」と武藤さんは言います。ただし、自分の声で。

しかし、スピーチカニューレによる発声は上手くいかない場合もあり、ALS自体が声を失うことのある病気です。武藤さんも気管切開手術からスピーチカニューレ装着まで、しばらくは声が出せなくなり「ずっとこのまま(声が出せない)なのでは」と怖くなったと言います。
「声が出せないというのは、こんなにももどかしいものかと思い知りました。伝えたいことを透明文字盤と呼ばれる器具で介助者に読み上げてもらったり、視線入力装置で人工音声に読み上げさせたりといったことはできますが、一文字一文字を伝えるのに時間がかかりますし、やはりニュアンスが変わってしまうんですね」
声の抑揚や間といった要素により、言葉が与える印象は大きく変わります。声が戻るのか、心配する家族や友人らに「大丈夫だよ」と声をかけようとしたものの、介助者や人工音声による読み上げでは「大丈夫」ということが伝わらないのではないかと心配になったそうです。他にも、声が出ないとこんな言葉に違和感が。
「妻に『好きだよ』と伝えたいとき。こういう大事な言葉ほど、やはり他の人の声や、人工の声ではなくて、自分の声で伝えたいですよね。そう考えてみると、声というのは本当に、自分という人間を表す、個性そのものなのだと気がつきました。病気によってそれが奪われるというのは、とても残酷なことです」
結果的に、スピーチカニューレによる発声に成功した武藤さん。喜んだのは本人だけでなく、周囲もだったと言います。「最初の声を聞いた時に、妻が泣き出して。身近な人の声が失われてしまうというのは、本当にショッキングなことなのだとよくわかりました」(武藤さん)
「気管切開をしたらしゃべれない」の誤解
「現在は人工呼吸器によって呼吸がしやすくなったので、しゃべるのも楽になりました。人工呼吸器を装着するための気管切開手術を受けるとしゃべれなくなってしまうというイメージが強いですよね。でも、むしろ早めに気管切開手術をすることで、スピーチカニューレで話せるようになることはあると伝えたいです」
人工呼吸器をつけて延命治療をすることを望まない人は30%ほどという調査もあり、その理由には「声を失う」ことへの恐怖心もあると、自らの体験を踏まえて考える武藤さん。「そこに希望があれば、人工呼吸器による延命治療を選ぶ患者さんも増えると僕は思うんです」と続けます。
しかし、武藤さんが人工呼吸器の装着に踏み切れたことには、もう一つの理由が。それは「自分の声による人工音声の作成」というテクノロジーが一般にも提供され始めたことでした。

分身ロボット『OriHime』や視線入力装置『OriHime eye』を開発するオリィ研究所代表の吉藤オリィさんが、武藤さんと出会ったのは2016年のことです。オリィさんは自分の分身となってコミュニケーションするツールであるOriHimeの開発を通して多くのALS患者と交流があり、当時から「患者の個性をALSに奪わせない」ということについて、問題意識を共有していたと言います。
その「個性」の一つが「声」でした。そこで注目したのが、自分の声をあらかじめ録音しておき、それを元に機械学習により人工音声を作る技術。これがあれば、「自分の声」で話し続けることができます。しかし、問題はその費用。100万円以上になることもありました。自社で開発できないか、試してみたこともあるというオリィさんですが、実用に足るものの制作は「一朝一夕でできることではなかった」と振り返ります。
「ただでさえ、声というのは当事者にもあまり重視されないんですよ」とオリィさんは指摘します。そこには「少しずつできないことが増えていく」ALSという病気特有の事情がありました。
「できないことが増えていくって、すごく不安ですよね。なぜ不安になるかというと、未来が見えないから。ALSの患者さんはまず、それまでの仕事や日常生活を失って、今度は介護をどうするとか、やがては人工呼吸器をつけるつけないという命にかかわる選択を迫られる。未来が見えない中で、なかなか声のことまで頭が回らないんです」
人工呼吸器をつけるかどうかの段になって、ようやく「声を失うかもしれない」という可能性を突きつけられるALS患者。「ただでさえ介護にお金がかかる上、急に払うにはあまりに大きな額です。結果的に声を残せず、後で後悔する患者さんも多くいました」(オリィさん)
「もちろん、『自分の声はこれ(一般的な人工音声)だよ』って心から思える人もいる。それは否定してはいけないわけですが、周囲にとっては、やっぱり慣れ親しんだ人の声が、ある日を境に人工的な、時に違う性別の声に変わることに、違和感を覚えることもあるでしょう」
支援の輪を広げたのは、社会課題への「想像力」
「人前で話をする仕事をしていなければ、踏み切れなかったでしょう。他の患者さんがためらうのも、よくわかります」と武藤さん。金額の問題をどうにかしたいと、さまざまな人工音声の研究者への面会を繰り返しました。その中で出会ったのが、『コエステーション』というサービスを開発する、東芝デジタルソリューションズでした。
コエステーションはスマートフォンアプリでいくつかの文章を読み上げることで、自分の声を元に合成した音声を作成するサービス。視線入力装置などと連動して利用するときは有料ですが、音声の作成・保存は無料です。武藤さんはオリィさんの『OriHime eye』との連動を模索しました。
「コエステーションを使えば、誰でも手元のスマホに、自分の声のデータをストックしておくことができます。そして将来、必要なときが来たら、そのデータを視線入力装置に使えば、自分の声を元に合成した音声でコミュニケーションができるので、声を“温存”できたことになる。早速、オリィくんに相談しました」
『OriHime eye』との連動は「技術的には可能」(オリィさん)。しかし、その開発には費用がかかります。今回、二人はその資金を、クラウドファンディングで集めることを決めました。これまで度々、クラウドファンディングを成功させてきた二人でしたが、今回は特に大きなチャレンジだったとオリィさんは言います。
「これまでは本をプレゼントしたり、イベントのチケットを渡したり、支援者に明確なリターンがありました。しかし今回、支援者の動機は『今、困っている人を助けたい』『将来、自分や周囲の人にも同じことが起きるかもしれない』という想像力だけ。それで支援が集まるのか、正直に言えば、未知数なところがありました」
オリィさんは「直接的にメリットがある患者さんからお金を集めるのがシンプルな方法ではある」ものの、「社会の課題として、当事者以外も含めたみんなで解決したかった」と言います。想像力による支援の輪により、たしかに社会課題が一つ、解決に向けて前進した珍しい事例だと言えるでしょう。
ALSは未だ現代の“不治の病”。しかし、患者をサポートするテクノロジーもまた、発展していきます。武藤さんは当事者として、どのような思いでそれを見つめているのでしょうか。不安はないのでしょうか。武藤さんはゆっくりと、しかしはっきり、こう話します。
「未来に向けて生き続けていくために、怖いのはむしろ、自分の個性を奪われることの方。だったら、目の前の課題にちゃんと向き合って、それを解決することに時間を使っていれば、不安はなくなります。僕の目標は、ALSが治る未来まで辿り着くということ。目の前の課題から逃げてしまうと辿り着けないから、挑戦する。その連続ですね」