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「天皇決戦」叫んだ中核派、今はコミケ出展 ブースで売っていたもの

中核派がコミケで販売していた冊子とコピー本
中核派がコミケで販売していた冊子とコピー本

目次

 新しい令和の時代が始まりました。憲政史上初めて退位で天皇陛下が代わったこともあり、世の中の空気は平成が始まった30年前とは異なります。天皇制に反対してテロ・ゲリラを繰り返した過激派を取り巻く環境も大きく変わったようです。当時、最も多く事件を起こしたとされる中核派もコミケにブースを出したり、YouTubeを使ったりしています。若い活動家は令和の時代、どんな思いでいるのか。警視庁の公安担当の記者(33)が取材しました。(朝日新聞社会部記者・小早川遥平)

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報道陣よりも早く動画中継

 「ただいま前進社に対する不当な家宅捜索が行われています!」

 3月8日の早朝、東京都江戸川区にある中核派の拠点「前進社」に警視庁などが家宅捜索に入りました。中核派の活動家が実際とは異なる住所を申告して運転免許証を取得した免状不実記載がその容疑でした。

 中に入ろうとする捜査員の列の横でカメラに向かいマイクを握っていたのは、中核派全学連の高原恭平委員長(22)。中核派にとって約40年ぶりという現役の東大生で、五輪反対のビラを1人で学内で配っていたところ、SNSでオルグ(勧誘)されたという経歴の持ち主です。

 少し前まで前進社の家宅捜索といえば、中から出てこない中核派に対し、機動隊員がエンジンカッターで鉄扉を切るのがお決まりの光景でした。それが報道陣よりも早く家宅捜索の様子を撮影し、捜査の不当性を訴える動画をYouTube上のチャンネルで発信しているのです。いったい何があったのでしょうか。

中核派全学連がYouTubeに上げた動画。高原恭平委員長が家宅捜索の様子をリポートしている
中核派全学連がYouTubeに上げた動画。高原恭平委員長が家宅捜索の様子をリポートしている

平成の幕開けにもテロ繰り返す

 中核派は、革命で共産主義体制の実現をめざす過激派の一つです。日本共産党から分かれた日本革命的共産主義者同盟(革共同)が1963年に中核派と革マル派に分裂しました。過激派は爆弾や時限式発火装置を使うことをいとわず、警察当局は「極左暴力集団」と呼んでいます。

 その学生組織である全学連は「全日本学生自治会総連合」の略です。過激派は活動家を大学自治会の役員にするなどして各校に拠点を置き、それぞれの影響下にある連合組織を独自に作りました。なので、かつて内ゲバを繰り広げた革マル派にも全学連はありますが、全く別の組織です。

 昭和の終わりに生まれた記者にとって、過激派は1960、70年代の安保闘争やベトナム反戦運動などのイメージが強いですが、実は平成の幕開けにもテロ、ゲリラを繰り返していました。労働者階級による革命をめざす過激派にとって、天皇制の打倒は主要な闘争課題の一つだったのです。

エンジンカッターで前進社の鉄扉を切る機動隊員。少し前まではお決まりの光景だった=2017年11月1日
エンジンカッターで前進社の鉄扉を切る機動隊員。少し前まではお決まりの光景だった=2017年11月1日

今も警察が定期的に家宅捜索

 昭和天皇の逝去から1年が経ち、その年の秋に向けて政府の即位の礼委員会が発足した90年1月8日。午後9時半ごろ、東京・渋谷の常陸宮邸と京都市上京区の京都御所の2カ所でほぼ同時刻に大きな爆発音がとどろきました。

 幸いけが人はでませんでしたが、付近から金属弾が見つかりました。中核派から「天皇即位儀式完全粉砕へ歴史的第1弾放つ」と題した犯行声明が朝日新聞東京本社などに送りつけられたのは、その2日後のことです。

 警察白書によると、過激派はこの平成2年を「90年天皇決戦」と位置づけ、全国で143件のテロ、ゲリラを起こしています。革労協狭間派による警視庁独身寮を狙った連続爆弾テロで警察官1人が死亡し、複数人が重軽傷を負うという痛ましい事件も起きています。中核派はこの年、鉄道の運行を妨害したり、神社を焼失させたりするなど、「124件のテロ、ゲリラ事件を引き起こした」(警察白書)とされています。

常陸宮邸近くの歩道に落ちた金属弾を調べる捜査員。建設工事現場に止めてあった無人の乗用車のトランクから、爆発音とともに金属弾数発が発射された=1990年1月8日、東京・渋谷
常陸宮邸近くの歩道に落ちた金属弾を調べる捜査員。建設工事現場に止めてあった無人の乗用車のトランクから、爆発音とともに金属弾数発が発射された=1990年1月8日、東京・渋谷

 公安関係者は中核派について「反皇室闘争において老舗と言うべき存在だったが、平成2年にやりすぎて世間の支持を失った」と話します。それ以降は反原発や労働運動などの大衆運動への浸透に路線を変更し、2003年以降はテロ、ゲリラを控えています。近年のYouTubeなどでの発信もそうした「ソフト路線」の延長線にあると言えるかもしれません。

 一方、中核派は「国家権力の不当な暴力から運動と組織を守るために非合法・非公然体制を堅持します」(昨年12月3日の機関紙「前進」)と掲げています。公安関係者は「今も暴力性を隠して組織の維持・拡大を図っている」とみているのです。警察が定期的に家宅捜索を行うのは組織に打撃を与えるとともに、組織の実態解明を狙ったものといえるでしょう。

天皇陛下が即位の礼を終えた報告をするため関西を訪問するのに反対して、中核派などの集会が開かれた=1990年12月2日、京都市上京区
天皇陛下が即位の礼を終えた報告をするため関西を訪問するのに反対して、中核派などの集会が開かれた=1990年12月2日、京都市上京区

コミケ出展、運営側「言論の自由がありますから」

 昨年の大みそか、中核派全学連の活動家の姿が東京・有明の東京ビッグサイトにありました。マンガ同人誌の祭典「コミックマーケット(コミケ)」に出展するというのです。これもソフト路線の一環なのでしょうか。現場を訪ねました。

 大会本部で取材の趣旨を告げると、コミケ準備会の市川孝一・共同代表が応じてくれました。

 ――中核派が出展しているみたいですが、これまで過激派が出たことは?

 「我々が確認できる限りは初めてですね。全然違う名前に変えていたら分かりませんが」


 ――過激派の出展は問題ありませんか?

 「そうですね。言論の自由がありますから、日本の法律に触れない限りは誰であろうと私たちは特別扱いしません」

 市川共同代表によると、出展できるのは同人誌を手掛ける個人やグループ。暴力団対策法などに掛かったり、危険物を持ち込んだりしない限り、平等に抽選されるそうで、今回の倍率は1.4倍といいます。

コミケの会場。最終日の大みそかは1万1400のサークルが出展し、21万人が訪れた
コミケの会場。最終日の大みそかは1万1400のサークルが出展し、21万人が訪れた

サークル名は「みどるこあ」長机には旗

 中核派のサークル名は、その名をもじって「みどるこあ」。名前を伏せているわけではなく、ブースに行ってみると長机に「中核派」の旗が掛かっていて、「カクマル完全せん滅」と書かれた白いヘルメットをかぶった活動家ら4~5人が腰掛けています。ただ、1万以上のブースがひしめき、コスプレ姿の人が行き交うこの場では目立ちません。ビラを配りながらオルグをしているわけでもなく少し拍子抜けしましたが、ブースで話を聞いてみました。

 「ビラは配ってもいいみたいですが、今回は波風を立てたくないのでやめときます」。そう話すのは出展の責任者の吉田悠さん(28)。前進社で暮らす全学連の活動家です。

 ――では、今回の出展の狙いは?

 「2年前にYouTubeに『前進チャンネル』を開設して好評だったので、宣伝としてやってみようというのが一つ。もう一つは自分自身としてコミケに出展してみたいという気持ちですね」


 ――コミケにはいつから参加している?

 「高校2年のときに友人に誘われて参加しました。もともとアニメや自主製作が好きで。無名だった作家が商業誌で活躍していくのを見るのが楽しいんです」

 そんなアニメ好きの彼がなぜ中核派に身を置いているのでしょうか。「たぶん分かってくれないと思いますが」と前置きして切り出しました。

 「もともとは父親の影響です。小さい頃から労働者集会に連れて行かれて」

 ――反発はなかった?

 「ないですね。小学生の頃は集会のせいで『夕方のアニメが見られないな』とかはありましたが」

中核派全学連のブース「みどるこあ」
中核派全学連のブース「みどるこあ」

意外な購入者

 吉田さんは、大学生になってアニメの制作に没頭していたとき、大学側に夜間のサークル棟の使用が禁止されたことがあり、解除を求める連名の要望書を集めるなどする中で学生運動にのめり込んでいったといいます。
 
 ――中核派内ではコミケ出展に反対はなかった?

 「特にないですね。オタク枠と言うと語弊がありますが、サブカルチャー好きの人たちでやっています」


 ――全学連にはオタクが多い?

 「それほどですが、前進チャンネルのシンパには、アニメのアカウントの人が多いかもしれません」


 ――そういう人を取り込みたい?

 「それはもちろん。当たり前ですよね。やじ馬根性でもいいので、理解者になってくれたらうれしい」

 そう話す彼の手元の紙には「正」の字が大量に書き付けられていました。この日の朝から販売した「中核」の冊子、全学連の活動家が漫画などを描いたコピー本など、グッズの売上数だといいます。

 どんな人が買うのでしょうか。中核派のTシャツと缶バッジを買った都内の20代の会社員男性は、「本人たちの前では言えませんでしたが、実は機動隊のファンなんです」と打ち明けてくれました。コミケにはミリタリーグッズを買いにきたといいますが、「機動隊が対峙(たいじ)している人たちも見てみようと。普段は表に出てこない人たちと会えるのは娯楽としては面白い」。

 ここまでを見ていると、単なるサークル活動のようですが、販売していたクリアファイルには扇動的な見出しが躍っています。

 「11・14 渋谷に大暴動を」「人民の敵・機動隊、デカ、自警団ら一切の反革命分子を撃滅せよ!」

中核派がコミケで販売していたクリアファイル。渋谷暴動事件の直前に発行された機関紙「前進」が印刷されている
中核派がコミケで販売していたクリアファイル。渋谷暴動事件の直前に発行された機関紙「前進」が印刷されている

過去の暴動事件を「偉大な戦い」

 1971年11月、沖縄返還協定の批准に反対する過激派が火炎瓶や鉄パイプを持って暴徒化した渋谷暴動事件。クリアファイルは当時、渋谷への結集を呼びかけた「前進」の号外を印刷したものです。この暴動では新潟県警から派遣されていた警察官(当時21)が殺害されています。

 ――なぜ、このようなクリアファイルを?

 「これは当時沖縄であった闘争に対して東京で連帯した偉大な闘いだからです」


 ――殺人を肯定しているようにも受け取れますが?

 「不謹慎であるという声も聞いていますが、そこは本質ではない。後ろめたく思ってはいないことを示したいです」

 彼らは内ゲバも火炎瓶も知らない世代。最後に取材を通じて気になっていたことを聞いてみました。


 ――なぜ、過去の歴史を背負ってまで中核派に身を置いているのですか?

 「運動の継承性ということだと思います。個人で活動するのは限界がある。多くの人間をどう動かしていくか、革命党に蓄積されている運動の文化は一朝一夕ではいかないのです」

中核派の拠点「前進社」=東京都江戸川区松江1丁目
中核派の拠点「前進社」=東京都江戸川区松江1丁目

ソフト路線のこれから

 「90年天皇決戦」から30年近く。新天皇が即位し、神器などを引き継ぐ「剣璽等承継の儀」があった5月1日、皇居から近い銀座に中核派のデモ隊が差しかかりました。「今日はメーデー、労働者の日。天皇即位でつぶさせないぞ」「天皇制はただちに廃止。労働者の力で社会を変えよう」とシュプレヒコールを上げています。

 警視庁は当日、前回の代替わりを踏襲しながら数千人態勢で警備にあたりました。今年10月には即位を内外に宣言する「即位礼正殿の儀」とパレードが控えていますが、前回パレードがあった90年11月12日に東京都内で34件のゲリラ事件があり、車列への爆竹の投げ入れもあったことから警戒を高めているのです。

 ただし、過激派を取り巻く環境は変化しています。警察庁によると、中核派の構成員は約4700人。90年の4800人から微減にとどまりますが、構成員の高齢化が進んでおり、組織温存・拡大が課題となっているからです。

 中核派全学連は4月に杉並区議選に候補を擁立し、当選。支持者の拡大に取り組んでおり、「この段階でテロ、ゲリラを起こす危険性は低い」と公安関係者は話します。5月1日のデモでも天皇の即位がメーデーと重なったことから政権に批判を向けていますが、「天皇制そのものを粉砕するとはなっていない」(公安関係者)とみているのです。

 近年、「会える革命家」を掲げてYouTubeやコミケなど露出を増やしている中核派。手段を選ばないようにも見えますが、取材をしていると戦略的に感じる一面もあります。

 高原恭平委員長が突然、表舞台に登場したのは1年前のこと。それまではペンネームで顔写真も出さずに活動していました。「対当局を考えると組織の基盤がしっかりしてから名前を出したいと考えていた」のだと言います。

 なぜ東大なのか。「帝国主義支配階級の心臓部たる東京大に不抜の学生拠点をうち立てる」と中核派は言います。

 公安関係者も「最終的に革命を起こすための組織温存であり、平和的な存在になったわけではない」と念を押します。令和の時代、中核派のソフト路線はどこへ向かうのか、公安当局はどう対峙するのか、追い続けていきたいと思います。

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