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ひこにゃん休業騒動、広まった誤解に後悔 番記者が伝えたかったこと
「ひこにゃん、やむなく休業か」
滋賀県彦根市が世界に誇る人気キャラクターが見られなくなる? 3月末に配信されたニュースは瞬く間にネットを駆け巡りました。この記事を書いた朝日新聞彦根支局長の大野宏記者は、ひこにゃんへのある「誤解」が広まってしまったことを「忸怩たる思い」と言います。「ご当地キャラ界のレジェンド」にいったい何が起きていたのか。幸い、長期休業は回避されたひこにゃん。4年前から駐在し、番記者として100本近い原稿を書いてきた大野記者が騒動を振り返ります。
4月13日、ひこにゃんは13回目の誕生日を迎えた。彦根城の城下町にある「四番町スクエア」には各地のキャラや延べ約1300人のファンが集まって祝ったが、人の輪の隅っこで居心地悪そうに長身をすくめている男性がいた。「石でも投げられんかな」と独りごちて壇上に立った。
「ひこにゃんを危機に陥れたと、最近すこぶる評判の悪い彦根市長の大久保貴でございます」。捨て身の自虐ジョークは、幸いそこそこのつかみになった。
発端は「花火」だった。
市は2月議会に、総額443億6千万円の新年度予算案を提案した。財源不足の恐れが将来あることから、一般会計で87事業を見直し、計約11億7200万円を減らす内容だった。
この「事業仕分け」が物議を醸した。毎夏の彦根大花火大会への補助金支給は中断、彦根ばやし総おどり大会は廃止。小中学校の机や椅子の更新も見送った。
大久保貴市長は「良い予算が組めた」と胸を張った。だが、大型施設の整備費は堅持。予算案に計上されない市役所本庁舎の耐震化工事費などを含めると、実質的には前年度比で約20億円増と過去最大規模に膨らんだ。
これには市議会も収まらず、「失政のつけを市民に回すのか」と3月20日に予算案を丸ごと否決した。同じ日に市長の不信任決議も提案されたが、こちらは1票足りずに否決された。
そこで、市は職員の人件費などの義務的経費に絞った暫定予算案を28日に提出した。この暫定予算から、ひこにゃんの運営関連経費の3020万円が外されたのである。
ひこにゃんは毎日3回、彦根城や城下町でゆるいパフォーマンスを披露。1回あたり3~5人の「お世話係」がついて、司会進行や場内整理に当たっている。
他にも年間約120回全国でイベントに出演しており、経費の大半はお世話係を手配して出番を管理している団体への業務委託費。義務的経費に当たる市職員の人件費は入っていない。
皮肉なことに、前年度よりも手厚く予算が付いていたのだが、大久保市長は「ひこにゃんの活動は義務的性質を有しない」と判断。「議論が発生し、年度内の予算成立を困難にする可能性のある政策的経費は計上しなかった」と説明した。
ひこにゃんを休止の危機に追い込む暫定予算案に反発を強める議員もいたが、再度否決すれば新年度からの市民生活への悪影響は避けられない。案は28日夕方に可決され、「ひこにゃん、休業か」のニュースが全国に流れた……というわけだ。
ただ、暫定予算に政策的経費を計上してはいけない、とする法的根拠は無い。時間に限りはあったが、市は議会の反応を探りながら、ひこにゃんのように反発の少なそうな政策的経費を盛り込むことはできたはずだし、市長権限で専決処分し、後に議会の承認を求める手もあった。
しかし、「ていねいにご説明したつもりだが、お認めいただけけなかった」と予算案不成立の責を議会の無理解に求めるような市長の姿勢からは、そうした努力は感じられなかった。本予算を丸ごと否決されての暫定予算は地方自治体では異例。ひこにゃんがとばっちりを食った構図は説明しづらかった。
記事が配信されると、「ひこにゃんの赤字がかさんだから、予算を削られた?」という反応が広がった。これは誤解で、筆者としては忸怩たる思いがある。彦根市の財政が芳しくないのは事実だが、ひこにゃんはそうじゃないのである。
その証拠に、2017年度の決算を見てみよう。ひこにゃんは市が商標登録しているので、お土産物などに商業利用されると入る貸付収入が約1500万円。「ひこにゃんの活動を応援するために」と目的指定されているふるさと納税が約1350万円。LINEスタンプの分配金などを合わせて実質3千万円を稼ぎ出した。
歳出は6439万円と一見大赤字だが、これは城下町探索の動画アプリを2700万円近くかけて作ったからで、実質的な活動費は2363万円。毎日の食いぶちぐらいは自力で確保し、活動用の基金残高は2018年度末で6160万円。貯金もしている「出来るネコ」なのだ。
経済効果も大きい。滋賀大社会連携研究センターが昨秋市内で実施したアンケートによると、彦根城の来訪者の22%が目的に「ひこにゃん」を挙げた。
昨年の来訪者は推定202万人。官主導の大型イベントがなく、7月の天候不順も影響して、前年から10数%減ったが「四番町スクエア」は7月から毎日1回ひこにゃんが登場するようになり、真冬の平日でも観光客が訪れるように。グッズの売り上げが2~3割伸びたという。
センターの石井良一教授は「彦根でしか見られないキラーコンテンツ。子連れ客への訴求力は大きく、中国圏からの来訪者もひこにゃんが大好き。もし見られなくなれば目当ての来訪者が減るだけでなく、知らずに来た人をがっかりさせる悪影響も出る」と指摘する。
大久保市長は「市職員による『直営』などで活動を持続できるようにする」と再三繰り返した。ただ、新年度を目前に控えても、市の担当部局は具体的な検討に入っておらず、休止もしくは活動の縮小は避けられそうになかった。
しかし、「救いの手」は案外早く差し伸べられた。昨年度の活動を業務委託されていた一般社団法人「日本ご当地キャラクター協会」の荒川深冊代表理事が28日夜に市長と面会し、協会が募金や寄付で活動資金を集めて暫定予算期間中は「自主運営」することを提案。了解を得た。
4年前に記者が彦根に赴任して以来、朝日新聞には「ひこにゃん」を含む記事が約150本掲載されたが、その9割近くを手がけた。
「おおのくんはネコの記事ばっかり書いてるなあ」と県内に住む学生時代の友人のご母堂にあきれられたが、懐具合にまで首を突っ込んできたのは自分だけだ、と自負もしている。
ひこにゃんは彦根井伊家2代当主直孝が、白い猫に招かれて雷雨を逃れた、という故事から生まれた。いわば「招き猫」の元祖だ。生活に直結しているけど分かりにくく、耳目を集めにくい予算や議会の記事に、市民のみならず全国の注目を集めたのはさすがというよりない。
「ひこにゃんはもめ事が起きるたび大きくなった」と言う人もいる。ブレイク直後に原作者と市が著作権を巡る訴訟を繰り広げたことで、全国区の注目度が保たれた、というのだ。今回も「彦根に行けばひこにゃんに会える」という事実を改めて広めたとも言える。
ひこにゃんの誕生日の翌日、彦根では市議選が始まった。21日に新しい顔ぶれが決まる市議会は、6月にはひこにゃん関連経費を含む本予算案を審議することになる。再度の市長不信任案提出やリコールもあり得る状況だが、記者は転勤で5月に彦根を離れる。一ファンとして、遠くでやきもきすることだろう。
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